自由民主党直系以外の政党が単独で過半数を獲得して立ち上げた戦後初めての政権として、大きな期待をもって迎えた民主党政権であったが、残念ながらこの政権交替は失敗であった。
政権誕生の1年前に世界を襲ったリーマンショックは、直接的な影響は軽微であったが、経済の冷え込みに伴う世界的な消費の落ち込みや超円高で、受けた輸出産業のダメージは大きく、結果的には世界で最も衰えたのは日本の経済であった。
政治と経済は生き物であり、刻一刻と変化する。この様な経済環境の激変にも拘らず、その変化を織り込んでいないマニフェストを今でも死守しようとする事自体が、平和ボケの典型であろう。
民主党が掲げた5つの約束(1)子育て教育 (2)年金・医療 (3)地域主権 (4)雇用・経済再興は、(5)「無駄遣い廃止」で捻出した原資を前提とした施策であった。
実際は、民主党は既得権者の抵抗にもろくも屈し、無駄の廃止は実現出来なかった以上、橋下市長の様に「既得権者との決別」宣言をしてでも無駄を省くか、国民に詫びてマニフェストの変更をするのが、政党のあるべき姿であった。
報道によると、野田・小沢会談終了後、野田総理は「行政改革は一生懸命やり、地域主権改革も戦略会議をつくり、地方交付税も増やし、社会保障にも力を入れてきた。経済再生は当然で、消費税を上げる時には経済を好転させる努力を懸命に行う」と述べ、小沢氏は「国民にはそうは伝わっていない。私共は国民生活第一と言う理念を掲げて政権を託された。大増税の前に中央集権の官僚支配から地域主権に変える大改革をし、そこから無駄を徹底的に省き、我々の新しい財源とすると言う事だった。我々が描いたビジョンはどこかへ忘れ去られようとしており、消費税だけが前面に出ている」と野田総理を批判したと言う。
これだけ見れば、小沢氏の言い分に分がある。
然し、小沢氏は続けて「このまま突っ込んで行ったら負ける。消費増税か否かの占拠になったら増税反対派が勝つ。首相は待ったなしだと言うが、日本の財政は欧米諸国とは違い未だ余裕がある」と断じたと報道された事で、小沢氏の増税反対は国の為と言うより、票目当ての自己勢力拡張策に過ぎないことがはっきりして仕舞った。
古来「備えあれば憂い無し」と言う。この言葉を裏返すと「憂いが有れば備えよ」と言う教えであり、この機に及んで、日本の危機的な財政状態を全く憂いていないとしたら、小沢氏に日本の未来を託す事は危険千万である。今回の東日本大震災やそれに伴う原発事故で、慢心が被害を大きくした事を学ばなかったのであろうか?
問題は、どちらの主張が正しいか? ではなく、どちらを信用するかである。
私は、選挙目当てに耳障りの良い言葉を並べる小沢氏より、不器用な野田総理の方を信用する。
『日本改造計画』を発表し、自らの政策・政見を広く国民に問うた頃の小沢氏は、私には輝いて見えたものである。『日本改造計画』では、「過半数が賛成している案を、少数のダダっ子がいて、その子をなだめるために、いいなりになってすべてを変えてしまう」のは「少数者の横暴」だと述べていたが、この主張は何処へ行ってしまたのだろうか?
これだけではない。小さな政府路線を標榜した筈の小沢氏だが、民主党代表となってからはその路線を急転させ、「行き過ぎた市場主義」の修正と「国民の生活が第一」というスローガンを前面に打ち出し、原子力発電を「過渡的エネルギー」と位置づけていた同党のエネルギー政策を、恒久的エネルギーとして原発を積極的に推進するという見解に修正したのも小沢氏だ。原子力発電が重大問題になっている現在,この問題で沈黙を守る小沢氏の政治的計算は国民を裏切るものである。
政治家である以上、筋を通すのも、時代の変化に応じて主張を変えるのも必要な事である。その際、大切なのは「動機」である。
世に言う、バルカン政治家は、その時々の状況変化に応じ、敵味方を目まぐるしく変えていく政治家の事を指すが、国を思っての変幻自在であるのか、自己利益追求目的であるかで、その評価は一変する。
団子レース的な派閥争いは、敵対相手の変心・寝返りなどその時々の状況の変化に素早く迅速に手を打てる手腕を持つ政治家を生むが、小沢氏はその申し子の様な存在である。国論を分裂させ、内政を利権化して政治グループ同士での同盟・敵対も繰り返すことが得意な小沢氏型政治家は日本の未来には今や不要で有る。
小沢氏は日本財政はギリシャより遥かに良いと断言されるが、残念な事に小沢氏の力は、市場は勿論、各付け会社の足元にも及ばず、とても便りにする訳には行かない。
この際、野田総理は小沢氏と決別して、物事を決められる政治に踏み切るべきである。同時に、小沢氏の警告は警告として真摯に受け止め、橋下市長に土下座してでも「統治機構」の徹底改革の仕方を学んで欲しい。
北村 隆司