18年前のスパイ in Paris --- 中村 伊知哉

アゴラ編集部

18年前、パリでスパイをしていた頃、衆議院逓信委の議員団を接待する仕事(?)がありました。自民党から共産党まで一緒に引き連れて飲み食いするすさまじい仕事(?)でした。そのとき、自民党の先生がたと朝まで飲んでたシャンゼリゼの店に今います。

このコラムは夜中に書いているから誰も読んでないと思うので言いますが、当時、官官接待で筆舌に尽くしがたい体力を使ってました。バブル崩壊直後とはいえまだ霞ヶ関不祥事露呈前、おおっぴらにはできないけどお金もちょいと使える時代で、パリ駐在員は年間500件を超える日本からのお客様の相手をしていました。朝・昼・晩フルコース3連チャンを数日続けるなんて芸当であります。


このころのことは、同じ活動をしていたアメリカ人たちがスパイ罪で国外追放になったり、大蔵省不祥事発覚のネタがパリから発信されたり、けっこうヤバい話がたくさんあるんですが、ホントまだヤバいんで、いずれ。

朝まで飲んでた話題は小選挙区制導入の是非。先生方が大声で怒鳴っていたのを訳もわからずなだめていました。もう夜が明ける。6:00ですよ。8:30にはフランステレコムのアポを入れてますよ。心配になったぼくが議員に告げると「おっ、まだ2時間も寝られるな」という答え。この人たちと同僚になりたくないと思いました。

その議員が言ったことを今も覚えています。「おれたちは毎日毎日、一瞬一瞬、目の前の案件を決断していく。その決断に、命をかけるんだ。」そうか、そういう仕事なんだな。役人はじわじわと議論を重ね、煮詰めていくが、大いなる決断はしない。それを政治家がやってるんだ。ということに気がついたんです。今の政権に、これを踏襲してもらいたい。「熟議より決議」。

さて、その自民党議員、その後大臣まで務めながら現在不遇、に先日、赤坂のモツ焼屋で遭遇しました。カウンターで一人、遠くをみつめて、大量の燗酒を無言であおっていました。かける言葉がありません。もう一人の議員はその後、自殺。立候補するひとはエラいと思います。

パリには毎年来ています。でも今回はいつもと違います。次男と一緒にいるのです。18年前、彼はパリで生まれました。正確には隣町のヌイイ市の病院。ヌイイ市長だったサルコジさんのもとに出生届を出しました。パリ市長はシラク。ミッテラン政権末期でした。生まれた病院、家、町を、ぼくの足腰が立つうちに見せておこうと思いまして。

だから、18年ぶりに訪れたところもあります。ヌイイ市の病院、観光客があふれているので敬遠していたルーブル、モンパルナスのガレット街など。もちろん、毎年きっちり訪れる食堂にも行きました。「子ウシの頭のくにゅくにゅしたもの」を食わせるレストラン、牛の腎臓とカエルを食わせるビストロや、絶品鴨ラーメンの中華屋など。

この町は変わりません。建物たたずまいは100年以上ほぼ同じ。18年前と違うと言えば、ミッテラン図書館と日仏文化会館ができたことぐらいかな。カフェやTABACの看板もそのままで、銀行もケッセデパルニュやクレディアグリコルなど同じロゴが安心感を誘います。

だって東京といえば、六本木ヒルズや東京ミッドランド、丸ビルや山王パークタワー、渋谷マークシティ、新しいカルチェが続々と生まれています。銀行の看板は、第一勧銀、興銀、長銀、三和、富士……どれも残っちゃいません。

いつも行くパリど真ん中の商業施設「レアル」が工事中でした。その近くの食堂に入り、大量にタルタルステーキを食らいつつ、こういう生肉を食い続けることにフランス人は命をかけるだろうが、日本じゃ事故が起きたらすぐユッケ禁止とかになびいちゃう、そのビビリ感・縮こまり感はどうよ、ブツブツ言ってたら、「「モンキーズ」ボーカルのD・ジョーンズさん死去」という報が飛び込んできました。

ぼくが作詞作曲した「Bye Bye」という曲が少年ナイフ2枚目の「山のアッちゃん。」に収録されています。これはモンキーズへのオマージュでした。ぼくにとってはモンキーズはビートルズよりも先に触れた西洋ポップス。

テレビ番組「ザ・モンキーズ」が明治チョコバーのCM、ナレーション石坂浩二、あっウルトラQの声のひと、でオンエアされていたのが小学1-2年生のころ。少年ナイフに「チョコバー食べたいョの唄」というぼくがタイトルをつけた曲がありまして、これはスタイルカウンシルへのオマージュなのですが、チョコバー→モンキーズ→洋楽の潜在記憶がぼくらの世代にはあるのです。

ザ・モンキーズには、モンキーズがパリのレアル周辺をホンダのバイク「モンキー」に乗ってグルグルする回があります。当時レアルは中央市場でしたが、71年に大型商業モールに改築されました。それも現在、大規模工事中。パリも、変わるのかな? 遠き哉60年代、であります。

そのビデオ、どこかにあるかなあ。パリの映像アーカイブ「ビデオテーク」でチェックしてこようと思います。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2012年6月22日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。