ジョブズのDNAを引き継いだナイキのイノベーションから学べること

大西 宏

先週のメルマガでご紹介したのですが、日本ではおそらくこの秋にナイキから魅力的な商品が売り出されます。日本の多くの人がはまってしまった「ものづくり神話」の呪縛から解き放ってくれるいい見本になるかもしれません。それは、Nike+FuelBandです。そして、紹介されている発表会の映像や、Nike+FuelBandから感じるのは、ひとつはアップルのスティーブ・ジョブズの影響です。そしてもうひとつは、もう世界は「ものづくり神話」だけではついていけないところまで進化しはじめていることです。


ナイキへのジョブズの影響については、もちろん、スポーツのためのデジタル製品とネットを結んだNike+の新しい分野をアップルの協力を得て切り開いたことや、ジョブズがナイキのCEOパーカーに電話で「ナイキには世界最高の製品がいくつかある。だれもが絶対欲しいと思うような製品だ。その一方で、つまらない製品もたくさん作っている。つまらないモノは捨てて、優れた製品に集中するんだ」とアドバイスしたことなどはよく知られていて、互いに親交があったことを考えれば当然かもしれません。しかし、ジョブズが逝去し、またこのNike+FuelBandの開発は独自で行ったことを考えると、ナイキはジョブズ流をものにしたのではないかと感じさせます。

Nike+FuelBandは、一日の活動量を計るリストバンドにすぎません。しかし、日本の時計メーカーにはなかった「ものづくり」を超えた新しい次元を体感させてくれます。また、技術にしてもマーケティングにしても「ものづくり」をいかに超えるかに焦点が移っていることをまざまざと見せてくれます。

「モノ」という視点ではすでにあった技術がほとんどです。すでにある技術を使ってイノベーションを起こすところもジョブズ流といえるかもしれません。
加速度センサーが内蔵されていて消費エネルギーまで算出してくれるという点は、カシオなどの日本製品でもすでにあります。携帯にもその機能のついたものもあります。高技術、多機能、ハイスペックなハイテク製品をつくることは日本のお家芸です。しかし、Nike+FuelBandは、まったく異なる新しい価値のレイヤー(層)をつくりだすことに成功しています。

まずはその違いを雰囲気で感じていただければと思います。製品ジャンルが少し違うのですが、象徴的なのでまずはCASIOのSmartAccessのサイトを御覧ください。
casio
CASIO – Smart Access – ストップウオッチ :
いかにもハイテク感に溢れた見せ方で、極められた高い技術を感じさせてくれます。「ものづくり」を追求した優れた映像だと思います。

次にNike+FuelBandのサイトをご覧ください。下の動画は、NIKE+FUELBANDの紹介映像です。新進気鋭のサンフランシスコの小さなデザイン会社 Astro Studioがデザインしたリストバンドの写真とスペックとしてはそっけなくUSB、BLUETOOTH、LED Displayと書かれているだけです。

またこちらは、「人生はスポーツだ、大切にしよう」というPR映像です。ちなみにナイキが掲げる”Make it Count”は、「今日を大切な日の1日と数えられますように」「今を意義ある時にしましょう」「常に一生懸命生きましょう」という意味が含まれている言葉だそうですが、「計測しよう」とも引っ掛けているのでしょう。
英語上達のヒント集  To make it countを使う方法 :

この#MAKEITCOUNTのPR画像は話題になっていて、Youtubeでも見ることができますが、ナイキが描く世界観を感じさせます。

さきほどのカシオはストップウォッチでナイキのは活動量をはかるものと分野は違います。しかし感じていただきたいのはその雰囲気の違いや、なぜその違いが生まれたかの背景です。どちらがいいかの問題ではありません。おそらくトップアスリートには日本の製品がマッチしているかもしれません。しかしナイキはあらゆる体を動かす人、つまりすべての人に呼びかけているのです。誰にとっての価値を提供したいのか、どのような価値を提供したいのかで、アプローチがまったく違っています。

ところで、このNike+FuelBandが提供しようとしている価値はなにでしょうか。目標の活動量にいたるプロセスの見える化です。リストの縁に赤から黄色、設定したゴールに近づくと緑の小さなLEDのラインが光ります。
もうひとつは一日の終わりに得られる「達成感」です。もちろん日本のこの種の時計もグラフがでてくるものもありますが、それとは違う感性に訴えかける色鮮やかな表示がでてきます。ナイキが売っているのは、モノそのものではなく、「達成感」ではないかと感じます。

さらにiPhoneやPCと同期をとることができます。見事に美しいグラフでプロセスや目標を達成した際にキャラクターが登場してそれを祝い、体を動かした結果の満足感を高めてくれます。

さらに、この結果を仲間とシェアすることで、互いに勇気づけあったり、競ったりもできるのです。孤独でストイックになりがちな運動を、仲間とシェアすることで楽しい世界にしようとしています。

つまり、ナイキは、アップルがウォークマンが変えた音楽ライフを、さらに進化させ変えたように、「健康でアクティブな日常を楽しむ方法」という価値を、技術、デザイン、またスマートフォンやSNSを駆使して提供しているのです。そして「人生はスポーツ」だと価値観を伝えてきます。

もうひとつの仕掛けは、Fuelという新しいNikeが独自に開発した活動量の単位です。3軸の加速度センサーが計測したデータと酸素消費量との相関性をもとに、独自に弾きだす数値です。ウォーキングやジョギングだけでなく、サッカーなどの球技でも運動量を計測できる新しい単位です。確かに歩かなくとも、その場でストレッチングをしたり、スクワットをしたり、腕を伸ばしたりするだけでもFuelの数値は上がります。さまざまな体の動きを感じとっているようです。もしこの基準値が新しい標準となれば、これほど強いものはありません。GoogleのPageRankみたいなものでしょう。

技術のひきこもりを起こしかねない「ものづくり」ではなく、ものづくりをも含め、価値観、デザイン、独自のFuelという基準の開発、iPhoneやPCとの同期、さらにコミュニティづくりなど、想定されるすべての要素を動員して、「Nike+FuelBandの世界」を提供しようとしているのです。

さらにひとつ巧妙なのは、リストを極力シンプルにし、サイズ以外は、ひとつの品種とすること、圧倒的な量産効果を高めようとしていることです。これもアップル流です。

ようやく遅ればせながら経産省の「ものづくり白書」も、これまでの「ものづくり」の危うさを訴えるように変わり、それなら「超・ものづくり白書」とでもすればいいと思いますが、こちらも資料はダウンロードできるので、目を通して見る価値はあると思います。
2012年版ものづくり白書(ものづくり基盤技術振興基本法第8条に基づく年次報告)(METI/経済産業省) :
マーケティングも、ますます顧客の声を集め、分析するだけでは無力になってきています。それぞれの分野が関わる生活の価値観、また文化を感じ、またどのように人びとは変わりたいのかを想像し、感性を駆使して、新しいコンセプトやポジショニングを生みだすことが求められてきているように感じます。産業財でも、モノそのものだけでなく、それを生かすシステム、たとえば医療では診断システムなどがあって、はじめてモノを超えた付加価値が生まれてきます。こちらも現場を声を集めているだけでは診断システムが生まれてくるわけではありません。いずれも「超マーケティング」の発想も必要になってきているのでしょう。

さてNike+FuelBandは日本ではこの秋からの発売になります。今のところ並行輸入品しか手に入りません。米国では149ドルだそうなので、秋の発売を待ったほうが賢明かもしれません。しかし、現代において付加価値を創造するとはどういうことなのかを示すいい見本だと思います。