財政出動と別荘のモダンな関係 

小幡 績

ドッグイヤーという言葉は聞かなくなったが、変化の激しい世界であり、経済であることに変わりはない。

いや、むしろ、それが加速しているから、当然のこととして、あえてそんな言葉を使うのは間抜けに見えるということだろう。

そうなると、財政出動が必要になる。

経済は激しく動くが、人間はそれほど柔軟ではないからだ。


失業が経済で一番問題なのは、有効な資源を無駄に放置することになるからだ。

それは設備などの資本も同じなのだが、人的資本が、物理的資本と異なるのは、生きているということだ。

生きているものは、メンテナンスをしないと死んでしまう。ペットですらそうだが、能力を維持するためには、使わないと駄目だ。もちろん機械も同じでメンテナンスしないと動かなくなる。別荘もそうだ。メンテナンスをしないと価値が下がる。

それは別荘でも自宅でも同じくメンテナンスは必要だが、大きく違うのは、自宅は常に住んでいるということである。

常に住んでいれば、無意識のうちにメンテナンスをすることになる。空気の入れ換えは、自宅から出たり入ったりするし、窓も開けるし、洗濯物も取り込む。別荘は、空気の入れ換えのために、それだけのために何かをしないといけない。

湿気によるカビは別荘の建物の価値を大きく下げる。

また別荘は趣味的なモノで、盛り上がっているときは、欲しくなるし、本当に贅沢で、余裕があるときは大きな価値を持つことになる。

だから、買うときは高いが売るときは安い。いや、盛り上がり、別荘バブルの時に、軽井沢の別荘を売れば儲かるケースもまれにあったかもしれない。バブルの時に限っては。

そう。バブルである。

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別荘と雇用の類似性は、メンテナンスが難しい、ということだ。失業しても失業保険があればいい、ということは経済的にはあり得ない。カネを使って、人的資本を劣化させているだけだからだ。労働者は、働き続けることによって、メンテナンスが図られる。特殊な仕事を除いて、ほとんどがOJT,on the job trainingだ。だからこそ、失業を最小限に抑え、皆を働かせ続けることが重要なのだ。

したがって、財政出動しても、経済主体の将来期待が変わらなかったとしても、失業を減らすために、失業保険を払うのではなく、仕事を生み出す、job creationが重要なのだ。

それを政府が直接できれば、それは素晴らしく、出来ない場合は、民間経済にjobが生まれるような仕掛けをするために財政支出する。

重要なのは、一旦労働市場から離れてしまうと復帰が難しいと言うことだ。

だから、米国の失業率は8%という見かけよりも、長期失業者が多いのが問題である。

同時に、若年失業者も重要で、最初のエントリージョブがとれないと、そのままずっと労働市場からはみ出したままになってしまう確率が高い。人的資本を蓄積しない仕事ばかりになってしまう。(この点は、Krugmanと私の意見は一致している。)

だから、財政出動により、経済全体の期待は換えられなくとも、経済の流れが変わるまで、労働力の質を維持するために、財政補助で何か出来るのであれば、それはする意味がある、ということになる。

良い均衡、悪い均衡と言う言葉を使えば、経済が構造変化を起こし、従来の均衡が崩れていくときに、新しい均衡が2つあり、新しい悪い均衡(現在の失業者はみんな単純労働者に、しかし、今失業していない人は優遇され続け、人的資本を蓄積を続ける)と新しい良い均衡(ほとんどの労働者が、それなりに人的資本を蓄積し続ける)へ政府の財政出動が導けるようであれば、出動の意味があることになる。

しかし、これはマクロの財政政策ではなく、ミクロの個別の政策ではないか、という指摘を受けるだろう。

もちろんそうだ。ミクロの政策は重要だし、有益だ。

しかし、ここではマクロ財政政策に絞って考えよう。

マクロの財政政策ですら、この問題に役に立つ、あるいは関係する、という可能性について考えてみよう。