プリキュアの報道は妥当

生島 勘富

幼女に対する犯罪があると、その犯人の趣味が報道されることが多い。
先日も「犯人はプリキュア好き」という報道があり、これに対し、多くのアニメファンから「なぜそんな報道になるのか!」という憤りの声が湧き上がりました。

しかし、私は、これは妥当な報道だろうと思います。


■考え方の整理

「犯人はプリキュア好き」という報道から、「アニメと幼女に対する性犯罪」についての考え方を整理すると

  1.相関がない
    「アニメと幼女に対する性犯罪」は何の関係もない。
  2.相関があって因果関係はない
    幼女に犯罪を犯すような人はアニメを好む傾向が強い。
  3.正の因果関係がある
    アニメを観ることによって幼女に犯罪を犯すようになる。
  4.負の因果関係がある
    アニメで幼女に対する劣情を昇華できる。
  5.とにかくむかつく
    (分からなくはないですが……)

マスコミの報道や識者のコメントは、2か3のイメージ(仮説)を持ってなされています。
私は2のイメージを持っていましたが、議論?のお陰で4になりました。

マスコミや憤りの声を上げている人が非常に多くいますが、いったい、どのような立場で憤りの声を上げているのか分かりません。(つまり、5じゃないかと考えます)

■恐らく相関がある

「犯人はプリキュア好き」と報道するマスコミや、私を含むそれを見る人はこのように考えます。

幼女に対する犯罪を犯す人は、幼女に興味があるわけだから、幼女に関連するアニメやゲームにも興味があるだろう。という仮説を持っています。
例えば、アニメに興味がある人と、幼女に対する犯罪を犯した人の人数が以下の様になると仮定すると

  アニメに興味あり アニメに興味なし
一般 10,000,000人 40,000,000人
犯罪を犯した人 400人 100人
100万人あたり 40人 2.5人

アニメが好きな人はそうじゃない人に比べ、16倍も「幼女に対する犯罪を犯す」可能性が高いことになります。私はもっと高く数十倍になるのではないか?と考えています。
「悪意を持って結びつけよう」と思っているのではなく、仮説にも説得力があり「結びつかないと考える方が無理がある」と思っています。
「10~数十倍の確立になる」と考えられるなら、報道されるのは当然であるわけです。
後述する、減っているかどうかは全く関係ありません。
「アニメが好きな人という少数派逆に多く含まれているであろう」ということを示すことは、ニュースバリューがあるのです。

尤も、統計データに基づくものではなく、仮説であり印象に過ぎません。

が、仮説を語ってはいけない、印象を語ってはいけない。ということはないのです。

もし、「報道が気に入らない」と考えるのであれば「ほぼ1倍である(相関はない)」とデータを示すか、「ほぼ1倍である」という仮説を立てて、相手の仮説を崩すしかありません。
存在しないことは悪魔の証明ですが「相関がないこと」を証明するのは悪魔の証明ではないのです。

ところが、その様なデータは存在しないようですし、出てくる反論は「犯罪者のほとんどが米を食べていた」とか、「犯罪者のほとんどが水を飲んでいた」のようなもので、それら例と比較すれば、「犯人はプリキュア好き」という報道の正当性を証明することにしかなりません。「10~数十倍になるだろう」という仮説(イメージ)を持っているマスコミや、私を含む多くの読者(視聴者)には、何の説得材料にもなり得ないのです。

それどころか「やっぱり彼らとは話が通じないし、怖い存在だ」というような、逆の印象しか与えないでしょう。

■因果関係があるか?

報道の中には、識者のコメントとして「アニメを観ているから幼女に対する犯罪に走る」というものがあります。

しかし、そのような因果関係を証明するには、心の内面を調査する必要があり、非常に難しい。因果関係を単なる印象で軽々に言うのは、非常に問題があると思います。

データ的にはアニメの普及に合わせて「幼女に対する犯罪」は減る傾向にあるようです。
このデータも相関を示すもので、すぐさま負の因果関係があるとは言えないのですが、もしそこに、因果関係が成立するのであれば、アニメを観ている人達の中に「幼女に性的興奮を覚えるが、アニメで昇華している」人が多く存在する。ということになります。
それを声高に訴えるのも、実はアニメ(サブカルチャー)好きには都合が悪いことではないかと思います。

しかし、いろんな人の意見を聞いて、私は「減らす方の因果関係があるんだろう」つまり、「劣情を昇華するために使っている人が多くいる」と考える様になりました。

■なぜ、大きく報道されるのか(何と混同されているか)

大きく報道される理由は「幼女に対する性犯罪」は、他の犯罪に比べ嫌悪感が非常に強いことが主な理由です。場合によっては殺人と同等以上の嫌悪感で受け取られます。性癖は人それぞれで、そういう性癖の人は可哀想ではありますが「幼女(幼児)に対して性的興奮を覚えるという性癖」は、存在自体が許されない社会悪となります。

所謂、酒鬼薔薇聖斗事件は、暴力的衝動が性的興奮に繋がる性嗜好障害者による殺人事件でしたが「幼女(幼児)に対して性的興奮を覚える」というのは、同様にペドフィリアと呼ばれる性嗜好障害であるようです。(もちろん、ペドフィリアの人達に性嗜好障害があったとしても、責任能力に関わる障害がなければ犯罪を犯しても責任は問われます)
幼女(幼児)に対して性的興奮を覚える」ことは、治療が必要な性嗜好障害という病気です。であるなら治療が必要です。

病気になったことは不幸なことで不可抗力ではありますが、病気を治療しない自由も、病的な趣味を満たす権利もないのです。

「アニメを好む自由」は当然ありますが、報道に憤りを示す人達の行動は、アニメなどに興味がない人達にとっては「幼女(幼児)に対して性的興奮を覚えるという性癖を認めよ」と言ってるように見えるのです。
「社会悪」とは認めてないばかりか「当然の権利」と思っているんじゃないか?と感じるのです。

「アニメを好む自由」の主張と、「性癖の自由」の主張を同一視する人が多い(私もそうです)から、そういう報道が何度もなされるわけです。

なお、「同一視する人が多い」という統計がどこにあるのか?って思う人は、親戚が集まる冠婚葬祭や、就職活動の面接で「プリキュアがどれほど好きか」語ってみれば理解できると思います。
もちろん、アニメ関連の会社では喜ばれるでしょうが、実際には隠す人がほとんどですから、実は分かっているのではないでしょうか?

「常識ではない」ということを示すために、統計データが必要で、常識であれば統計データは不要です。

■女性専用車両と自浄努力

痴漢(は元々男性を指しますから、文章としておかしいですが)の99%以上は男性ですから、犯人が特定できなければ、近くにいた男性が疑われることになりますし、女性(冤罪に怯える男性も)からの要請に応じて女性専用車両もできました。

痴漢でない男性としては不愉快ではあり、女性専用車両の存在を「差別」であるという人も中にはいますが、痴漢について「男性である」以外に区別がほとんど付かないため、差別ではなく社会的に許容されるべき区別であると、概ね理解されています。

「アニメを好む自由」と「性癖の自由」の違いは、そういう趣向のない人にとっては判別ができませんし、後者はどんなに主張されても認めるわけにはいきませんから、判別できない主張を繰り返すなら、女性専用車両にあたるような規制がなされる可能性も捨てきれません。

「なぜそんな報道になるのか?」という憤りの声は、マイナスの効果しかないのです。

「幼女(幼児)に対して性的興奮を覚える」ことは治療が必要な病気であり、病気になったことは仕方がないにしても、その病気を治療しない人は社会悪ですから、まずは、そこに向かって何らかの行動を起こすべきです。

自由・権利は、勝ち取るものですから声を上げることは良いことですが、声を上げる相手が違うから、犯罪者まで擁護しているように見えるのです。

解決策として、プリキュア(など?)を好む成人男子を「大きいお友達」と呼ぶそうですが、番組内で「『大きいお友達』はペドフィリアのカウンセリングを受けましょう」と呼びかけたらどうでしょう。コミケやアニメグッズのパッケージに印刷するなども有効でしょう。それらによって、ペドフィリアとアニメ(などのサブカルチャーを)好むことは違う、ということをアピールすることと同時にペドフィリアの人に「治療が必要である」という周知も行えます。

もちろん「相関すらない」と証明できるなら有効ですが「データがないから相関なんてないんだ」というような話では、多くの人を納得させることは不可能でしょう。
証明できないなら「犯人はプリキュア好き」というような報道はなくなりません。

幼女(幼児)を守るためにも、アニメを守るためにも自浄努力が必要なのです。

サブカルチャーは日本の独自文化で海外にアピールするべき重要産業ですが、同時に「幼児ポルノに対する強い批判」は常にあります。外圧に弱い国ですので、自浄努力なしに「思いつきで文句を言ってる」という状況で外国からの圧力が掛かれば、皆さんが想像する以上の規制が掛かるでしょう。

私としてはどっちでも良いのですが(苦笑)

株式会社ジーワンシステム
代表取締役 生島 勘富
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