グローバルな競争の始まり?

松本 徹三

引き続き顧問として雇って頂いてはいるが、私は今年の6月でソフトバンクモバイルの取締役を退任しており、今回この様な記事を書いても、別に「自画自賛」とは言われないだろうと思っている。株主は「規模の拡大」よりも「安定的な収益構造」を求める傾向があるから、ソフトバンクがまた借金を増やす事を危惧する事もあろうが、私は、下記のような理由から、今回の「スプリントの買収」に至る決断を、終始一貫して支持している(「イーモバイルの併合」については、言わずもがなである)。今回はその背景にある考えを披露したい。


通信事業は「規模のメリット」が大きくモノをいう事業である。だから、各社が買収や合併によって常に自らの規模の拡大を志向していくのはいわば当然といえる。どの国でも、早い時期には思惑に駆られた中小の事業者が乱立する傾向があるが、時間の経過と共に自然に数社に集約されていく。通信事業の難しさを理解していない人は、「電波免許をオークション制にさえすれば、どんどん新規参入者が現れて競争が活性化するだろう」と考えている様だが、そんな風には決してならないだろう。「新規参入の小規模事業者」では、如何に頑張っても「先行する大規模事業者」に太刀打ちできる訳がないからだ。

1990年代の中頃に、ソフトバンクは1.7GHzの周波数免許を獲得して新規参入を果たそうとしていたが、土壇場でこれを思いとどまってボーダフォンの日本法人を買収し、1.7GHzの免許は返上した。日本では何故か「何でも一から自分でやるのが偉く、人が持っているものを買収するのは卑怯だ」と考える不思議な価値観が一部にあるようで、この事自体を非難する人さえいるが、もしソフトバンクがこの様な決断をしなかったら、ボーダフォン、ソフトバンク、イーモバイルの3社は弱小事業者として不効率な経営に喘ぎ、ドコモとKDDIによる寡占状態を招いていただろう。

ソフトバンクがボーダフォンを買収した時点では、ボーダフォンのマーケットシェアは16%にも満たず、更に減少しつつあったから、二社による寡占体制を防ぐには、これがぎりぎりのタイミングだったと言ってもよい。もしこの買収のタイミングがもう少しでも遅れていたら、ボーダフォンの市場シェアは、その後直ぐに導入されたナンバー・ポータビリティー(番号を変えずに事業者を乗り換える制度)の餌食になって、更に大幅に減少していただろう。こうなると、如何にソフトバンクが得意の営業戦略を駆使しても、挽回は不可能になっていたかもしれない。回りだした雪ダルマはどんどん大きくなり、一定の規模に達しない雪の玉は、最後までまともな雪ダルマにはなれないのが通信事業の難しさだ。

今の日本の携帯電話業界は、大手三社の力が拮抗して、あらゆる局面で熾烈な競争が繰り広げられている状態だ。各社とも既存の顧客を失わないようにあの手この手の防御策を講じているから、これ以上の市場シェアの急激な変動は見込み難い。事業者同士の熾烈な競争は、勿論ユーザーにとっては望ましいことではあるが、今のように「他社から乗り換えてくれたらその場で何万円差し上げます」といったような「呼び込み」が日夜行き交っているようでは、ユーザーは何が何だか分からなくなってしまう。

各社ともこの様な節操のない「仁義なき戦い」はもうそろそろやめたらどうかと考えるのは、果たして私だけだろうか? 外国の投資家等も、現在の各社の競争の仕方には少し呆れ顔で、明らかにそう願っているようだ。

少し特異なところもあるが、日本の携帯通信市場には世界をリードする先進性がある事は事実だ。「携帯電話機の多機能化」は、組み込みソフトに拘ってOS導入の決断が出来ず、それ故にガラパゴス化を招いてしまったが、SIMロックによって実現可能になる「通信事業者による端末機の割賦販売」などは、欧米事業者が現在次々にこれに倣っている状態だ。各事業者が、この様な市場で鍛えられた事業ノウハウを「飽和した日本市場ではなく発展余地を十分に残した海外市場で生かしてみたい」と考えるとしたら、それは健全な欲求だと思う。日本メーカーにとっても良い刺激になる

飽和状態にある日本市場でこれ以上の規模の拡大を求めれば、血で血を洗う戦いにならざるを得ないが、海外に目を転じれば、全く違った景色が見えてくるだろう。ソフトバンクは、取り敢えず、モバイルインターネット化が世界で最も進んでいる米国市場で、「既存の最大手二社の寡占状態を打ち崩す」という「多大の困難を伴う戦い」に果敢に挑もうとしているが、ドコモやKDDIにも、世界のどこかで同じ様な挑戦をしてほしいという気持はある。取り敢えずはソフトバンクは世界第三位の携帯通信事業者になりそうだが、ドコモやKDDIがこの地位を脅かそうと動くなら、大変面白い事になるだろう。

「海外への進出」というのは、既に手垢のついた言葉になってしまっているが、そうではなくて、始めから「グローバル・プレイヤーの一員」としての自分を意識している事こそが肝要だ。今は、サッカーでも野球でも、多くの選手達が海外のチームで活躍しているから、彼等が集まって「日本代表チーム」を作っても、その力は大体推し測れる。オリンピックなどの国際的なイベントの華々しさのお蔭で、今はどんなスポーツ選手でも始めから世界を目指す。

産業の世界でも、「世界市場でシェアを取れねば、日本市場でも早晩生き残れなくなる」という事が、ようやく幅広く理解されつつあるが、それでも分野別に濃淡がある。自動車や電子機器などの一般消費者を相手にする商品を手掛けるメーカーに比し、国の庇護を受け、公共団体などからの発注に支えられてきたメーカーはこの理解が遅い。サービス分野でも、流通業や飲食チェーン、ゲームやマンガなどの分野では動きが早かったが、電力や通信、水道などの分野では、殆ど実績が出来ていない。

ソフトバンクのスプリント買収に関連しては、過去におけるドコモの失敗例などを引き合いに出して、警告を発するコメントも散見されたが、「日本のやり方では海外では通用しない」というアドバイスは、当然の事を言っているだけなので別に参考にはならない。むしろ、「ガバナンスのあり方」や「戦略の立て方」、「外国人経営者の質の見抜き方」や「日本人スタッフの役割の見極め」と言ったものについての「透徹した識見」こそが求められているのであり、これは全てのグローバル・オペレーションにおける黄金律であるとも言える。

事業の成否は、最後は「人」が決める。これは日本で行う事業であれ、海外で行う事業であれ、同じ事だが、海外の場合は、この「人」に求められるスキルセットに、更に幾つかの難題が付け加えられるのが頭の痛いところだ。「英語によるコミュニケーション能力」は絶対的な必要条件だが、勿論十分条件である訳もない。外国人を納得させ、出来れば心服させる為には、「ビジョンとパッション」「親しみ易い人柄」「業務上の幅広い知識」の三つを、バランスよく併せ持っていなければならない。率直に言って、日本にはそのような人材はあまり多くはない。