社会科学的な経済学と行動科学的な経済学

2012年11月03日 19:12

本年の「日経・経済図書文化賞」の一冊に、池田新介さんの『自滅する選択』(東洋経済新報社)が選ばれ、今日発表になった。どうもおめでとうございます。

それで、私がその紹介文を書いたのだけれども、最初700字という話だったのが、「受賞作が5つで、3人の著者による受賞作もあったため、スペースが大変厳しくなっ」たからといって、さらに削られてしまったので、到底(私の文章力では)意を尽くすことはできなかった。ということもあって、関連してちょっと考えていることを書いておきたい。


物理学(熱統計力学)における「個々の粒子の運動–>相互作用–>物理系の状態(平衡)」に倣って表現すると、社会について考える際にも、「個々の人間の行為–>相互作用–>社会の状態(均衡)」という3つのレベルが区別できる。ちなみに、equilibriumという同じ英単語を物理学では「平衡」と訳し、経済学では「均衡」と訳すのが一般的である。さらにちなみに、「個々の粒子」は自分で考えたり、将来を予想して動きを変えたりしない(と想定される)が、「個々の人間」はそうするので、物理系よりも社会システムの方がより複雑だという話になる。

本来的には、行動(行為)-相互作用-状態(秩序、均衡)の3つのレベルすべてに深い関心を寄せるべきなのだろうが、上記のような複雑性の大きさからすると、すべてに深い関心を寄せることは、人間の認知能力(cognitive capacity)の限界から無理なところがある。複雑な社会システムを丸ごと理解することは困難なので、社会に関わる学問は、経済学、政治学、社会学、心理学、人類学、等々といったかたちでモジュール化されている(されざるを得ない)。

どのレベルに焦点を当てるか、どの側面に焦点を当てるかで区分されているのだが、行動(行為)に関心のウェイトが高い(換言すると、相互作用-状態(秩序、均衡)の分析には相対的に関心の薄い)諸学は、行動科学(behavioral sciences)と総称されている。これに対して、相互作用-状態(秩序、均衡)の分析に関心のウェイトの高い諸学は、社会科学(social sciences)と総称されている。

これまで経済学は、もちろん社会科学として自他共に位置づけられてきた。すなわち、そのコアな関心は、相互作用-状態(秩序、均衡)の分析にあり、市場メカニズムの働きに関する一般均衡論的な分析や戦略的相互依存関係にある主体間のゲーム理論的分析が経済学の中心的な内容を構成してきた。ただし、このことは、行動(行為)のレベルへの関心はある意味で希薄なものに止まらざるを得なかったということでもある(人間の認知能力は限られているから)。

例えば、初級のミクロ経済学でまず習う消費者(家計)行動の理論は、現実の消費者の行動の複雑さからすると、あまりに平板で単純なものに過ぎない。なぜそうかというと、その目的が相互作用の分析のために必要な需要関数(生産要素に関しては供給関数)を導くことにあって、現実の消費者行動そのものを分析しようとは本気では考えていないからである。要するに、伝統的な経済学は、個別主体の行動に関しては「合理性の公準」を置くことで基本的にはよしとし、関心を相互作用-状態(秩序、均衡)の分析に集中してきたのである。

しかし、こうした状況は万人の満足を得られるものではない。当然に、生身の人間の経済行動そのものをより深く理解したいという思いをもつ者がいる。そうした思いの強い経済学者達によって発展させられてきたのが、行動科学的な経済学、即ち「行動経済学」である。行動経済学の発展によって、現実の人間の経済行動に関する理解が深まったのは間違いない。ただし、少なくとも現状における行動経済学には、大きな限界がある。逆に、相互作用-状態(秩序、均衡)のレベルの分析が手薄なのである。

よく「合成の誤謬」といったことに言及されるように、個別の主体の行動がそのまま社会的に帰結につながるわけではない。しかるに、いまの行動経済学は、それが記述するような行動バイアスを持つ人間が相互に作用したときに、どのような帰結が生まれることになるのかについてほとんど何も語っていない。そうである限りは、行動経済学は、よくて伝統的な経済学を補完するものであって、後者を置き換えるようなものでは絶対にあり得ない。レビン(David K. Levine)の主張の核心は、まさにこの点にある。

例えば、金融市場にいくらたくさんの様々な行動バイアスをもった投資家が存在していたとしても、一人でも合理的な投資家がいて、裁定行動になんの制約もないとすれば、市場価格は、合理的な投資家だけが存在する場合と変わらなくなるはずである。そうであれば、市場価格の形成に関心がある場合には、非合理的な投資家の存在は無視しても何ら差し支えがないということになってしまう。

経済学は、社会科学的であると同時に行動科学的なものであることが理想なのであろうが、繰り返し述べているように、人間の認知能力には限界がある。このことを踏まえていうと、伝統的な経済学と行動経済学とは研究戦略(あるいは研究上の関心)の違いであって、どちらが優れているとか正しいとかの問題ではない。行動経済学がさらに発展することを祈念するけれども、当面は、それによって伝統的な経済学がリプレイスされてしまうことはないと考える。

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池尾 和人@kazikeo

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