経済学に何ができるか – 文明社会の制度的枠組み (中公新書)
著者:猪木 武徳
販売元:中央公論新社
(2012-10-24)
販売元:Amazon.co.jp
★★★★☆
経済学者は価値観から中立な「科学」になろうとしてきたが、著者もいうように新古典派経済学が前提とする個人主義は19世紀以降の西欧に固有のきわめて特殊な価値観である。それだけで社会の複雑な問題が解けるわけはないし、経済問題の中でも経済学で解ける部分は限られている。人々の行動の中で目的合理的な行動はごく一部にすぎず、多くの人は感情や政治的利害などに動かされるからだ。
経済学はこういう問題を避けて解きやすい問題だけを解いてきたが、著者は経済問題から出発して、それを経済学の分析用具でどこまで解明できるかを考える。たとえば中央銀行の独立性は「平時」には大した意味がないようにみえるが、大恐慌のような時期には「最後の貸し手」としての中央銀行が政府から独立し、貨幣を乱発しないということが通貨の信認を支え、経済が全面的に崩壊することを防ぐ。人々の信頼は経済学の外側の問題だが、経済システムを支えるもっとも重要な要因である。
また経済学は幸福の代理変数として所得を考え、その集計量としてGDPを使っているが、これは欠点の多い尺度である。GDPが0.1%上がったとか下がったとかいう統計より、人々が将来の生活に対して抱く不安とか、他人に評価されているかどうかといった個人的な事情のほうが幸福度にはるかに大きな影響を与える。そういう主観的な要因の計測はむずかしいが、それは重要ではないということを意味しない。GDPを補完する指標として、アンケートのような手法も利用する必要があろう。
さらに経済学が世の中を動かすためには、民主主義の中では政治家を説得しなければならない。これは経済理論の研究よりむずかしい問題で、政治家は(どこの国でも)経済学を理解していない。その深刻な事例は、最近のヨーロッパ通貨危機だ。最適通貨圏の理論によれば、ヨーロッパ全域を通貨統合することは明らかに最適範囲を超えているが、アメリカに対抗するための政治的野心によって通貨統合が進められた。
このように経済学で解ける問題は限られているが、それ以外の社会科学は経済学以上に曖昧でアドホックだ。社会の複雑な問題を理解するベンチマークとして、経済学のロジックを理解することは「大人の必修科目」といってよい。本書は経済学の理論を解説しているわけではないが、その考え方を身につけるための教科書としておすすめしたい。