電子書籍ベンチャーに「メイカーズ」の可能性はあるのだろうか

新 清士

MAKERS―21世紀の産業革命が始まる
MAKERS―21世紀の産業革命が始まる

クリス・アンダーソン「メイカーズ」(NHK出版)の話を、そこかしこで聞くことが多くなった。「ロングテール」(早川書房)や「フリー」(NHK出版)を書いた人物であるため、否応なくときめくのは、購入者の皆さんと一緒だ。ただ、思ったよりも肩すかしを受けたというのが正直な気持ちだった。

ところが、最近、紙メディアでも、メイカーズが成り立つ可能性があると思わせる瞬間があった。もう、私は紙からデジタルへの一方通行になると考えていた。しかし、逆にデジタルの書籍をオンデマンドで紙メディアへと展開する逆転のビジネスを試す企業が出てきたのだ。11月18に行われた「文学フリマ」という小説や評論などの文章の同人誌を書くことが好きな人の集まりに、私自身も出展してきた。私自身は近未来に生きる人の心の変化に関心があり、それをテーマに趣味で小説を書いていて、それを紙に本にまとめて販売に行く。その場で、BCCKSというベンチャー企業の代表取締役の山本祐子さんから提案を受けた話だ。


■製造手段を握る人々のみが収益を上げる時代を描く「メイカーズ」

「メイカーズ」の全編を貫いて書かれているテーマは、3Dプリンタといったような機材がダウンサイジングされてくることによって、これまで一部の工場といった製造手段を握っている人々に権限が集中している状態が開放され、一般の人でも製造業にオンデマンドに参入でき、販売ルートもウェブを通じて簡単に確立が可能になったことで、ビジネスのあり方が転換する姿が描かれている。

そして、それを特許によってガチガチに押さえてしまうのではなく、オープンソースとして多くの人に開放し、コミュニティを形成していくことで、結局は、企業はメリットをユーザーコミュニティと一緒に成長でき、より収益を上げられるようになる、という可能性を議論している。誰もが大きなリスクを負うことなく、企業家に容易になることができる時代を語っている。

すでに日本では、ゲームやアニメのフィギュアの世界では、事前注文を受けた後に限定生産をするということが一般的になってきており、在庫リスクを最小限にまで下げるリスク管理手法が浸透している。アンダーソンもわずかながら言及している。

■少部数のクリエイティブな書籍の生産大国日本

それで、BCCKSは電子書籍として作ったデータを48ページ500円からオンデマンドで、デジタル書籍を紙の書籍として生産するサービスを展開している。電子書籍を紙として生産するニーズがあるところに着目して参入してきている。
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BCCKSのサービスを利用して、雑誌を紙のオンデマンド、ソニーの電子リーダー、iPadの専用アプリで並べて表示したケース。今後はKindleも対応予定。

日本は、日本はユーザーによる少部数の紙メディア出版大国だと言ってもいい。日本最大のイベントであるコミックマーケット(コミケ)では、2012年夏には3日間で3万5000サークルが参加し、参加者は延べで56万人に及んでいる。今年の東京ゲームショウが22万人で過去最高だったことを考えると、どれだけ巨大なイベントであることがわかるだろう。

そこでは、大半は「紙」メディアが相変わらず中心だ。コピー誌から本格的なオフセットで販売しているサークルなどいろいろだ。あまりまともな経済統計は存在しないが、小規模印刷会社のオンデマンド印刷は、コミケによって巨大な市場を形成していると推測される。ただ、サークルの出展料の8500円を回収できて、さらに多くの利益が出せるようなサークルはごく一部の1割以下に限られるだろう。

■デジタル化の波はオンデマンド印刷にフィットするだろうか

クリエイティブな仕事は、値段が付けにくい。買う人にとって、主観的に無価値でなものは、無料でもあっても、ゴミになるだけだ。逆にほしい人であれば1000円でも、場合には数万円以上も払う。一方で、無料でもいいから、自分のクリエイティブを見てほしい人はたくさんいる。クリエティブ産業の常として、きちんとビジネスが成り立つのはピラミッドの頂点に行くことができたごく一部の人に限られる。ただ、採算度外視して、膨大な量の作りたいという人がいるから、新しい才能の登場の可能性があり、その頂点は富んでいく。日本のマンガ、アニメ、ゲームのコンテンツ産業が一定の力を持っているのは、こうした人たちが数多くいることが一つの要因だ。

一部の紙の書籍は部分的には、電子書籍への移行が始まっているが、まだ、コミケという場では、対面販売の魅力が強く、それほど本格普及する段階までには進んでいない。現代は、まだ、リアルな紙の状態を求める人は少なくない。特に、10代が中心に読んでいるライトノベルと呼ばれる分野では、紙であることに強い価値を見いだしている若年層の読者は多い。

そのため、クリエティブ産業の欲求とオンデマンド印刷は商品特性との組み合わせが適切であれば、作り手と買い手のニーズがフィットする可能性がある。BCCKSは、まだ、どのような層に刺さるのか模索が続いている状態だが、印刷された紙の書籍は一般に流通する書籍とは遜色はなかった。現在は専用リーダーが必要だが、近くKindleなどへの対応も検討しているのだそうだ。

ただ、1部500円は決して高くないが、安くもない。さらに、製本した際の送料がかかってしまうため、どうしても価格はもう少し高くなる。在庫コストも発注者に生まれる。「文学フリマ」での一般的な販売価格は1000円に設定されていたが、玉石混合の同人誌に適正価格と感じてもらうのも容易ではないかもしれない。ただ、これも機材のコモディティ化が進むにつれて、今後、生産コストは下がっていくのだろう。読者に対して、選択肢の一つとして、電子だけではなく紙を選べるというのは、魅力的なのかもしれない。それこそメイカーズだ。

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文学フリマでのBCCKSの出展スペース。電子書籍からオンデマンドで作られた紙の書籍が並ぶ。女性は山本祐子さん。

■デジタルから書籍へのニッチのメイカーズを作れる余地はベンチャーにあるか

アンダーソンは、メイカーズの世界が、ニッチの世界であることを認めている。世界全体は今までと同じように多くの労働者と生産設備を必要とする世界は、簡単には消滅はしないだろう。賃金の安い国へと流出は続くだろうが。

また、現状は、これらのメイカーズに参入するのに有利なのは、比較的能力としてITスキルを持っている人たちに限られているように見える、製造業の裾野が広がる可能性として、「Facebookは2500名の雇用者を抱えているが、それがソーシャルゲーム企業などを通じて10倍以上の3万人の雇用を生みだしている効果がある」という数字を根拠に、今後メーカーズの浸透によってアメリカでの製造業の復権をアンダーソンは主張するが、「3万人」という数字は、数十万人の雇用を生みだしてきた自動車産業といったものの代換えに容易になるとは、私には思えない。

また、私は、メディアやゲームというサービス産業でコンテンツを生産する側で、働いているという面もあるからだろう。デジタル化可能なコンテンツはどんどんと、物理的な価値を失い、情報を生産する金銭的価値も減り続けている姿を、ここ何年も見てきた。だから、紙にこだわる道も決して楽ではなく、デジタルに移行前の過渡期ビジネスで終わる可能性は十分にある。

ただ、山本さんは様々な同人誌を出版しているサークルに声をかけて、自社のサービスを使わないかと、勧めて回る作業を続けていた。アマチュアのみならず、耳を傾けるプロの参加者も少なくなかったようだ。他のベンチャーとも激しい争いになるだろうし、いずれ、アマゾンや大手出版社も大規模に参入してくる可能性の高い分野だろう。そのなかで、どうニッチ市場を形成できるのかは、山本さんにとっては大きな挑戦だろう。ただ、メイカーズとしてのニッチを作り出す新しい戦略を見いだしてほしいとは感じもしている。

新清士 ジャーナリスト(ゲーム・IT)
@kiyoshi_shin オフィシャルブログ
めるまがアゴラにて「ゲーム産業の興亡」や、日本経済新聞電子版「ゲーム読解」ビジネスファミ通ブログ「人と機械の夢見る力」を連載中