ネット選挙解禁になって投票率が100%になっても、投票に行くダケでは若者の声は反映されない

高橋 亮平

シルバーデモクラシーグラフ

総選挙も投票日まであと1週間を切った。
ネット上では、「インターネット選挙解禁」などが騒がれ、あたかもネット選挙が解禁しないから日本の政治がおかしくなるかのようにも聞こえるが、問題の本質はもちろんそんなところにはない。
SNSをはじめとしたインターネットによるデモクラシーの構築については、大きな可能性があり、また別に書くことにするが、少なくとも若者は、投票ダケではなく、どう政治力を高めて政治に声を聞かせるかという意識をしなければならない。


まず、事実として数字の上では、仮に若者の投票率が100%になっても投票者の数は高齢者の声とほとんど変わらない。
高齢者の声が過度に反映されるシルバー・デモクラシーの現状を共有してもらうために、世代別の人口割合と投票者割合を比較してみる。
若者を0歳から30代まで、高齢者を60歳以上と定義した場合、人口で見ると、高齢者の割合は31.2%にしか満たないのに対し、若者の数は42.8%をも占める。
こうした人口割合で考えれば、若者の声の方が反映されてしかるべきとも思うが、実施に投票した人の数で見ると、こうした状況は一転し、若者の割合が29.2%に対して、高齢者の割合は39.3%とほぼ逆転する。
こうした状況は、今後、少子高齢化に拍車がかかることによって、さらに悪化する。
世代別投票率が現状のままだった場合、若者の割合は、2020年に17.9%、2030年に16.7%、2040年に15.9%、2050年に14.8%と下降を続け、2060には14.3%まで影響力はなくなる。
このことは同時に投票率を上げるだけでは、若者の声は反映しないことを示している。
2010年の参議院議員選挙の時点で、若者の投票者数が、60歳以上の高齢者と同じになるために必要だった投票率は93.5%だった。
この時点で、すでに現実性が薄いと思うが、これが2020年になると113.7%と既に100%の若者が投票に行ったとしても高齢者の声に勝てないという現実を目の当たりにすることになる。当然この状況は、少子高齢化と共に今後さらに拡大を続けることになる。

だからと言って、若者が投票に行っても意味がないと言っているわけではない。
筆者も大学時代の2000年に代表理事を務める『NPO法人Rights』を立ち上げ、若者の政治参加をうったえ、2008年には『ワカモノ・マニフェスト』を発表し、世代間格差是正や実質破綻した社会システムを持続可能な仕組みへの転換をと訴えてきた。
とくに、同世代やさらなる若者に対して、政治参加の必要性をうったえてきた。
大事なのは、こうした現状を共有した上で、どうすれば、若者の声を政治に反映されるようにできるのかというアウトカム(政策目的)を常に念頭に置きながら、最も効果的なものを考え、SNSやネットの活用についてもその可能性を広げていくことだ。
インターネット選挙解禁ありきはなく、若者の声を政治や政策形成に反映させるために、どういった仕組みを創るか、また、どう政治力を高める仕組みを創るかということから、SNSなどICT活用についても考えて行くべきではないだろうか。

単純化して言えば、政治家や政党等にとって、「アラブの春」ではないが、「若者を敵に回すと大変なことになる」と思わせるか、「こうすれば若者が票になるのか」と甘い蜜のように思わせるかが重要だ。
どちらにとっても重要なのは、若者の投票率が数%上がるということ以上に、若者が選挙に留まらず大きな動きにつなげ、連動して他世代まで共感し波及しそうなものがあると思わせるか、若者はこういうことを要求して投票先を決めようとしているのかといった何かを求める動きをリアルに仕掛けることだ。
同時に、それを『コンニャク化』『ゼリー化』するとともに、こうした思考や行動自体を『見える化』していくことで影響力を強めていくことが重要である。
こうした手法にとって、SNSの持っている特性には共通点があるように思う。

解散後の選挙戦序盤、政治家や政党の思考の中で、社会的にインパクトが大きく争点だと思われた「原発に対する立場」は、選挙中盤で票にあまり影響しないことが分かると、一気に争点の中心は経済政策など他の政策へとシフトして行った。
まさにこれと逆のことを仕掛けられるかが、若者には問われている。

その一つになり得るのが『世代間格差の是正』であると筆者は思い、この間仕掛け続けてきた。『ワカモノ・マニフェスト2012』として示した政策の一つひとつに共感する必要はない。
しかし、世代として、こうした問題を一つの共通する大きな課題であることを共有し、その視点で政策を判断し、投票するということが示せたら、政治家や政党もまた、今回はもちろん、選挙後の対応や来年7月に行われる次の国政選挙など、意識せざるを得ない状況になってくるのではないかだろうか。

高橋 亮平