古色蒼然たる「維新国会議員団幹部」―「維新の会」は何時から「古物商組合」になったのか?

北村 隆司

石原慎太郎、平沼赳夫、松野頼久、片山虎之助、藤井孝男、小沢鋭仁と言う「維新国会議員団幹部」の顔ぶれを見て、国民はどんな印象を受けるであろうか?

私には「古物商組合」の幹部名簿としか思えない。

既得権を徹底的に排し「日本の統治機構を変える」と言う維新の会の方針に新鮮さを抱いて来た私だが、時計の針を元に戻すことが「統治機構の変革」なら御免蒙りたい。


「太陽の党」の面々には理解出来ないとは思うが、最近の国際政治は軍事力や経済力などのハードパワー万能時代から、教育、文化などをブランド化したイメージを中心にしたソフトパワーの時代にゆっくりと動き出している。

更に重要な事は、行き過ぎとも思える簡潔性を求めるIT時代は、政治理念の伝達に四字熟語の様な簡単な標語とそれに相応しいイメージング、所謂サウンドバイトの良し悪しがキーポイントになりつつある事だ。

メディアが勝手に解釈するサウンドバイトは、宣伝用のキャッチコピーと違い、伝えたい内容や本来の文脈とは関係なく引用される危険性が高く、政治家のイメージや不用意な発言が命取りとなりかねない。

維新の国会活動の象徴である「維新国会議員団幹部」がこれだけ古びた顔ぶれでは、最新の水着を求める国民に応えて、ショーウインドーに「ふんどし」を身に着けた老人モデルを並べる様なもので、国民は「ふんどしの生地(政策)」を吟味する前に購買意欲をなくしてしまう事は間違いない。

政治はある意味で「人気稼業」であり、事実や理屈以上にイメージが大切である。この事は、小沢氏の例をとってもはっきりしている。

「維新の会」に、国民の期待に応える気持ちがあるならば、一刻も早く「太陽の党」とは離婚して、「みんなの党」との交際を始めて欲しい。

いくら、来年は「巳年」とは言え「爬虫類」をモデルに使う「日本維新の会」の神経は理解を超えている。