リーダーになりたければ英語は徹底的に極めよ

田村 耕太郎

英語はできるだけ極めるべきだ。世界を動かすような舞台で英語ができないものは人間扱いされない。これからの時代、世界を動かすリーダーや世界に発信するエバンジェリストを標榜するなら英語を徹底的に極めた方がいい。日本の内需だけを狙うなら話は別だし、狙うに足る内需はまだまだ十分残っている。断わっておくが今回の文章は万人向けではない。ただ、本当に世界を変えるようなリーダーになりたければ英語は限界を定めず極めた方がいい。


「話に内容があれば、論理的に整然と言えれば、英語がたどたどしくてもいい」これは少し前までなら正しかったかもしれない。しかし、今や内容があるのは当たり前。内容があってもたどたどしかったら聞いてもらえない。これが正直な世界だ。

日本にいると実感しにくいだろう。日本に来ている外国人は日本人と何かしたいわけだし、この島国に滞在する限り逃げられないから、下手な英語でも状況から類推して理解しようとしてくれる。もちろん、分野やタイミングによるが、世界を動かすために日本に来る外国人はほとんどいなくなってしまったのではないか。

まず内容だが、たどたどしい英語でも相手に聞かせるような内容の話は世界の最新の情報にアクセスし、世界の様々な人々に触れていないと出てこない。内容を高めるためにも英語力が重要な時代だ。

たどたどしい英語を聞かせるためには、聞き手にとって自分が圧倒的に有用で有利なポジションにないといけない。残念ながら今や日本や日本人ではそういうアドバンテージを持ちにくい。アベノミクスが今後次のフェーズの規制改革や資本市場改革で世界の想定を超えることをやり世界が日本がまた輝くかもと思えば少しはそうなるかもしれないが、いまだに悔しいが世界は懐疑的であり、人口減少や高齢化や東アジアの安全保障を考慮に入れると日本のチャンスは限定的だとみている。人口減少や高齢化を逆手にとってチャンスに変えられたら、世界を振り向かせることになるかもしれない。

中国やブラジルは世界を振り向かせているが、彼らはその上に日本人より完璧な英語を話す。彼らと話すと、「語彙や発音やイントネーションやアクセント等適度であればいい」なんて誰も思っていない。「出来る限り英語の精度を高めよう」としている。われわれの耳に訛って聞こえるシンガポール英語やインド英語も耳を澄ませばはるかに発音もいいし、言い回しや語彙もずっと豊富である。相当英語を訓練した日本人でもやってしまうRとL、BとV、SとTHの混同なんてまずない。

何度も言うが、私は全般的に話をしているのではない。ビジネスや政府やプロフェショナルとして世界をリードしたいなら英語は発音、語彙、言い回し等完璧にすべきだ。ちなみに発音は相手の文化に対する敬意でもある。発音をいい加減にした外国語での発言は、相手の文化へのリスペクトが入っていない。発音が完ぺきな日本語を話す外国人にわれわれが自然に敬意を感じるのを思い出してほしい。

私は色んな国際会議で日本人は自分一人だけという状況に置かれる。今年の3月のユタ州のスキーリゾートでのアメリカ中心の各界リーダーが集まって3日3晩議論ばかりするという会合で実感した。いいたいことを結論から言って論理的に理由を説明するまで詰まってはならない。あれだけのメンバーに囲まれたら詰まった瞬間、上から議論をかぶせられ、話題を自分の舞台に変えられ、ネイティブが戦略的に早口で難解な言い回しや語彙を使って反撃してきたりする。アジア人の顔をしたネイティブやネイティブでなくても訓練された英語を使う各界リーダーに彼らは慣れている。「母国語とは構造がかなり違う第二言語に苦労しているんだ」なんて、相手の思いやりや好意をアジア人の顔を下げていても、もう期待できない。しかも、本番の交渉はやたらデカい音で音楽がかかっている場所や、多くのネイティブが徒党を組んでいる場所で、ゆっくり聞いてもらえない中で自ら切り込んで流れを作って、自分の舞台を用意しないといけない。

これが日本人の置かれた舞台だ。TPPだって、安全保障だって、公式の場だけの交渉がすべてではない。それに下手な英語では戦う前に戦う気力が半減している。

適度に国際交流を楽しみたいとか、そこそこの事業の成功を望むというような方々は、各々の経験上必要なレベルの英語というのがあるだろうし、それでいいだろう。そこそこでいいと思っている人に文句は全くない。

しかし、色んな意味で日本を代表する立場の人や、ビジネスで世界を変えたいとまで思っている人は、英語を極めるべきだ。相手の好意に甘えて、発音はどうでもいいとか、内容があればいいとか、思わない方がいい。そのレベルなれば、そもそもネイティブの話にも相当内容がある。話の内容なんて最初からあって当たり前。論理的な話し方も当たり前なのだ。

それくらい日本人の英語力と聞いてもらえるという甘えは世界から取り残されている。心の底からそう感じる。まだまだ英語が完璧でない自分への自戒の念を込めてつたない文章を書かせていただいた。

この記事は田村耕太郎のブログからの引用です