黒田も池田もくだらない 

小幡 績

先ほどは、池田氏の記事に100%賛成とコメントしたが、よくよく田中氏の引用の記事を読んでみた。

くだらない。

くだらないのは、田中氏でも、黒田氏でも、池田氏でもなく、私だ。

こんなものを議論の対象にした私はくだらない。

コメントを読んで、この記事を読んでしまった読者に対するお詫びの思いをこめて、何がくだらないのか、反省文を書いてみよう。


要は、ポパーも歴史哲学もどうでもいいからだ。

黒田氏の思考の背景を探ることは、知的遊びとしては、あるいは、投機的に儲けるために日銀の次の一手を予測するためには、意味があるが、現状で現実的にベストの金融政策は何であるか、という唯一、社会において意味のある議論をすることには繋がらない。だから、もうお遊びは止めよう。

私が、池田氏に100%賛成で、素晴らしいと思ったのは、彼のエントリーの最後の文章だ。

「こういう数値目標は透明性という点では望ましいが、それ自体が政策の科学性や有効性を保証するわけではない。黒田氏に必要なのは、経済は限りなく複雑で簡単に反証も検証もできない現象であることを認識する謙虚さではないか。」

この二文にすべては集約されている。

現実の経済はどうなっていて、経済には何が必要で、そのためには、政策として何が出来るのか。

これがすべてだ。

そのためには、社会、経済、金融市場を、自分の目で観察し、データを観察し、人々の行動を観察することだ。そして、トライアンドエラーで、柔軟に修正することを厭わず、丁寧に経済をよくしていくことが必要だ。

そのためには、一か八かのギャンブルは必要ない。それどころか、とりかえしがつかなくなる。後戻りの出来ない政策は取るべきではない。

現在の日本経済の問題は、何か。

潜在成長力の低下である。

それは需要不足か、供給能力が落ちたことによるのか。

ここは、賛否あるだろう。現状では、両者が混じっているということだろう。しかし、そこで、需要不足は、公共事業を追加することでも、資産バブルを起こして気分を良くすることでも、価格でしか勝負できない産業を無理やり維持することでもない。なぜなら、これらは持続可能でないし、さらにいうと、これらの生産からアイデアは生まれず、イノベーションは誕生せず、将来への生産力向上への人的資本、知識資本への投資にならないからだ。

それはともかく。

マクロ経済が完全にコントロールできない以上、マクロ政策については、丁寧に謙虚に、ミクロ政策については、インセンティブを重視しつつも、創造的破壊を引き起こすものを一つ一つ行うことが必要だ。

後戻りの出来ない、マクロ的実験を行うことは、ポパーの精神から言っても科学的ではないのではないか。期待に働きかれればうまく行くかどうかはわからない。何事も我々にはわからないのだ。

それならば、池田氏の言葉通り、謙虚に現実の経済に向き合うことだけが重要なのではないか。

戦争であれば、核爆弾を打ち込むことではなく、空爆することでもなく、丁寧に陸軍が上陸し、敵と市民を一人ずつ丁寧に見分け、手間隙と命を懸けて、敵だけを倒すことではないのか。

核爆弾を落とすことは、勇気のあることでも、知的なことでもない。

愚か者か、怠け者のやることだ。