「敦賀廃炉」は良しとして、後出しじゃんけんの損害は誰が負う!

北村 隆司

地球の終わり、人類の破滅を予測した信仰やカルト的なものは有史以来数限りなくありましたが、東日本大震災の襲来と共に、日本にも「予測」ブームが到来した事は、何か恐ろしい気がします。

地震予知と言えば、日本も秀才中の秀才が集まるエリート集団の東京大学地震研究所などが有名ですが、最近はどうも「オカルト占い師」の集まりでは? と疑がいたくなる様な「予測」を連発しています。

その一つが、佐藤比呂志教授を長とする東京大学地震研究所の研究者が「霊峰富士」の崩壊を予測した事です。


「明日起きてもおかしくない」と言ってきた東海大地震も起きていないこの時期に、「霊峰富士」も崩壊し、殆どの原発の下には「活断層」が走ると脅されたら国民は住む所がありません。

「惨劇予知」をされた御殿場や立川では、役所も住民も落ち着き払い引越しの気配もしませんし、土地が暴落したと言う話も聞かないのは、誰も「予知」なる物を信用していないからでしょうか?

その様な時に、アゴラ記事「活断層、放射能安全基準報道の迷走–おやおやマスコミ」を読んで、日本の予測エリート集団が、潤沢な国費を使って膨大な設備や人員を動員して予測活動をして来ながら、東日本大震災も阪神淡路大震災も予測出来ませんでしたし、これまでの処、これと言った成果は何も挙げて来なかったからくりが判りました。

然し、世の中には、“危ない事は怪我のうち”と言う諺もある通り、安全側に重点を置いて「敦賀原発廃炉」の結論を出すのも、一つの見識でしょう。

だからと言って、敦賀2号機の下に「活断層」がありその活断層は「敦賀2号機」を廃炉にしなければならない程危険だと言う「専門家」を信用して物事を決定する事は、後に重大な禍根を残します。

そもそも、津波による原発事故を全く予想できなかった「専門家」が、今回の調査では一方の当事者の参加も許さずに結論を出した後に、「我々の出した結論に反対するなら、その証拠を持ってこい」と言うやたらと横柄な態度に出た事は、既に「専門家」の決定ではない「公権力」による決定である事を物語っています。

従い、例え「敦賀廃炉」を決定するにしても、原子力規制委員会の専門家調査団の“科学的(?)結論”とは全く別の政治的な決定でなければなりません。

兎も角、これだけ居丈高な姿勢で「専門家」を名乗られると、池田先生のブログに指摘された様に「活断層はなぜ今ごろ『発見』されたのか」と聞きたくなるのも当然です。

これまでの原子力規制委員会の動静を見る限り、決定責任を避けたい行政や政治がその逃げ道を「原子力規制委員会」の「お墨付き」に求め、「原子力規制委員会」は検証が不可能に近い「活断層」にその科学的な根拠を求める「出来レース」に思えてなりません。

やはり「『原子力規制委員』は、無能と言うよりミスキャスト!』」と言う私の記事が的中したようにう思えます。

いずれにせよ原子力規制委の結論は、結果責任を追及されない「廃炉」に向かってまっしぐらで、これを覆すのは政治的にもかなり難しくなってきました。

そこで出てくるのが、当時の認可基準を全てクリアーして建設された原子炉が、その後の認可基準の変更により命令または世論の圧力で「廃炉」に追い込まれた場合の損害の負担は誰がするのか? と言う問題です。

定期検査の後の再開条件も新基準に従えと言う事になりますと、その費用は莫大なものとなり、一方的に基準を替えた国側の責任はどうなるのでしょう?

そもそも、これまでの設計、建設基準を作ったのは国であり、その基準に従って来た善良な第三者に、あれは間違いだったから新基準を遡及適用して再稼働を禁止するが、その賠償はしないと言うのでは、企業も国民も今後は安心して日常生活を送る事も出来ません。

法律や規定の遡及適応刑事事件では禁止されていますが、国家を含め誰もが想定出来なかった膨大な結果責任を当該企業にだけ押しつける事はフェアではありません。矢張り、国家がその責任の大半を負うべきです。財源に問題があるのであれば、東西ドイツが統合された時に東独の圧制に耐えてきた東ドイツの住民への連帯を示す為に設けた「統一税」に倣い、時限立法として「廃炉税」を設けるのも一つの方法です。 
これが難しいのなら、せめて政府保証による長期償還の「廃炉債」の発行ぐらいの救済処置は検討する価値は有ると思いますが、如何でしょう?

この措置は、廃炉により経済的被害を受ける現地のコミュ二テイーの救済にも役立ちます。

2013年5月22日
北村 隆司