「金」に引導を渡すのはまだまだ早過ぎる --- 岡本 裕明

2013年07月16日 12:01

ノリエリ・ルービニ教授といえば悲観論者の代名詞として投資や金融の世界にいる人ならば知らない人は少ないと思います。氏がその悲観論を大々的に演じたのが欧州金融危機の時で、氏の論調を聞いていると下手な恐怖映画を見るよりスリルがありました。

しかし、氏が完全に方向転換したきっかけになったのがマリオ・ドラギ欧州中央銀行総裁の無制限の資金投入発表からでした。それまでは欧州はもうだめだ、といい続けていたのに「スーパーマリオ」が欧州を救ったというハリウッド映画の結末のようなシーンをそこに見た気がします。


それ以降、氏は比較的ポジティブなスタンスに変わってきているのですが、最近、金(ゴールド)の動向について「ゴールドラッシュの終焉」とする内容の寄稿をしています。これを読んでいてふと思ったのですが、もしかしたらルービニ教授の悲観論は遂にこちら側に矛先を変えたか、という気がしてきました。

私も金相場については長く見続けており、昨今の下落については下げ止まり感がない点からもう一段の下落もあるかも、と感じてはいるのですが、どこまで下がるか、と聞かれれば論理的理由がない点において投資家の心理が変化する事態が生じたところ、とするのが正しいのかもしれません。

チャート的には2008年から2011年にかけて上昇した半値が大体1200ドル台で今、ちょうどそこに到達しており、このところはやや戻し気味にあるのです。

ルービニ教授のゴールド悲観論にはいくつかの理由がありますが、その最大の理由は世界経済においてインフレ懸念がなく、インフレに強い金が投資対象にならない、という点であります。氏はマネーの流通速度が落ちていること、世界の総需要が総供給を上回らない点をあげ、企業の過剰設備、価格支配力の低下、労働賃金改善の交渉力低下などをあげています。

この点は私も以前から主張している点であり、まったく同意します。

但し、一点ルービニ教授に疑問点を提示するならば、氏の前提は世界の経済が現状のまま推移するという話であり、経済危機、金融危機、戦争、旱魃、震災、クーデターなど考えうるあらゆる危機が起きた時は必ずしもそうではないのではないか、ということです。

石油価格が2008年5月に130ドルを超えた後、2009年2月に40ドルを切るところまで下落した時、人々はなぜ、バレル100ドルの時代がこんなに直ぐ戻ってくると思ったでしょうか? ところが、あの当時から石油は実需からみた妥当価格という発想に基づき、バレル当たり75ドルから100ドル程度と言われていたのです。

では、金はどうなのか、といえば国家の備蓄として着実に増えていることは事実です。確かにルービニ教授が指摘するようにキプロスは売却という選択を取りましたが、それは例外的であって、国家の金保有は超長期の戦略に基づいているのであり、目先の価格の変動には捉われないはずです。

それと金が高騰した理由は金融緩和によるドル紙幣と金の交換価値を金本位制時代のレートで比較した発想でした。これは確かにナンセンスでありますが、ドル紙幣が増えたことは紛れもない事実であり、ドル発行ベースで見た金は極めてお買い得価格である、と考える人はいるものです。

投機としての金の熱はすっかり冷めてしまいましたが、実需と長期的投資の観点からの需要は潜在的にまだまだあると考えれば、金が溶け出すことはないような気がいたします。

地球儀ベースで見れば毎日必ず、何かが起きている現代において、100年後を考えるという視点に立てば金の時代の終焉とはあくまでもこの5年間の投機とブームでの話、という気がいたします。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年7月15日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。

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