選挙後のこれからが正念場

松本 徹三

この記事が掲載される頃には参院選の結果は既に出ていると思うが、この原稿を書いている現時点の予測とそんなに違う結果が出ているとはとても思えない。自民党は大勝し、批判勢力は四分五裂、安倍総理は「選挙民は自分たちの考えを支持した」と考えて、本来やりたかった事をいよいよ実行しようとするだろう。


安倍総理が本当にやりたい事とは、かつて小泉総理の跡を次いで政権の座についた時にも真っ先に掲げた「美しい国、日本を復活させる」という事である筈だ。彼としては、この事はもっと早く表に出したかった筈なのだが、「折角アベノミクスで点を稼いでいるのに、新しい論点を出して世論を二分し、参院選前に不安定な状況を作り出すべきではない」という戦術的な判断から、敢えてこれを封印してきたものと思われる。しかし、無事に参院選を終えれば、最早我慢は出来ないだろう。

一時幅を利かせた「進歩的文化人」と呼ばれる人たちなどが語ってきた「現実性を顧みない綺麗事」に強く反発し、「当たり前の事を言い、当たり前の事をやるのを、躊躇う必要はない」と考えている彼の胸の内は、私にも良く理解できるし、同意するところも多い。しかし、私が危惧するのは、彼が「一人の日本人としての立場」からしか「歴史」と「世界の現実」を見ていないという事だ。

これは、彼だけではなく、多くの日本人に共通する事なので、私は大変心配している。隣国である中・韓との関係悪化は、それだけでも日本の国益を守る上で大きなマイナスになるだろうが、これに加えて、欧米人も「日本人は大戦前を懐かしみ、右傾化している」と考えるに至って、「日本特殊論」が徐々に広がって行けば、日本は国際社会の中で次第に「孤立」していく事になるだろう。「美しい国、日本」に拘る日本人の多くは、こういう状況に直面すると、「あいつ等には所詮は何も分からないのだ」と反発して、更に内に閉じこもり、自らの「孤立」を増幅させる恐れもある。

「美しい」という言葉は主観的なものだから、どういう国が「美しい国」であるかを明らかにするのは難しいが、こういう事は言えるだろう。海で囲まれた島国に住む日本人は、太平洋戦争後に米軍に一時期占領されるまでの二千年近くもの間、他民族に祖国を蹂躙された事がなかった。だからこそ、内に向かって凝結し、自己完結的に純化した文化を育む事が出来たのだ。日本は昔から「美しい国」だったのだという発想があるとすれば、その根拠は実はこの辺にあるのかもしれないと、私は常々思っている。

ほぼ同じモンゴロイドの遺伝子を持っているにもかかわらず、韓国人の場合は丁度その正反対で、半島という地理的条件故に、漢民族や北方騎馬民族、更に、時には海を渡ってくる日本人の侵攻を受け、しばしばその支配下で苦しんだ。この事は、大国であるにもかかわらず、何度も北方騎馬民族の支配を受けた中国人にも、一部共通すると思う。それ故にこそ、彼等の中には、「したたかな処世術(外交戦略)」や「日本人とは相当異なった価値観」が育まれてきたものと思われる。

しかし、我々が考えるべき事は、「世界の殆どの民族の歴史は、日本の歴史より中国や韓国の歴史に似ている」という事だ。一時期の米国を除けば、彼等は常に、自分たちを取り囲む色々な民族や、政治的或いは宗教的な勢力とどう付き合うか(或いは対抗するか)を、したたかに計算しながら生き延びてきた。従って、日本人の言う事は、精神論的な色合いを持てば持つ程、違和感を持って受け止められる事が多いと思う。

私は、内部に凝結して純化した日本文化の「美しさ」を否定するものではない。しかし、その一部は地理的な幸運がもたらしたものである訳だから、自ら秘かに誇るべき事ではあっても、他国との比較において誇るべきではない。日本人が、自らを「世界の人々の中での日本人」と意識する事なく、「日本人とガイジン」という対立軸の中でしか意識出来ないとすれば、外国人もまた、日本人をいつまでも「異質な人々」としてしか見ないだろう。

今となっては、そのような事を考える人はもう殆どいないだろうが、私は、昭和二十年の終戦間際には、日本人は民族として極めて際どい状況にあったと思っている。もし昭和天皇があのようなお方でなく、何よりも自分自身の面子に拘るような人だったとしたら、どういう事が起こっていただろうかと考えると、背筋が寒くなる。

もし、ポツダム宣言の無条件受諾を決めた最後の御前会議で、天皇陛下ご自身が、「国体が護持出来なければ、朕は皇祖皇宗に申し訳が立たない。卿等(首相以下六人の閣僚)はもう少し頑張れないのか」と一言言われたとしたら、何が起こっていたであろうか? 仮に「本音」は異なっていたとしても、元々それを主張していた内閣と陸海軍は、その場で即刻「徹底的な本土決戦」の方針を決め、同時に天皇のご座所を長野県の地下壕に移す事も決めただろう。そして、数十日を経ずして、随所に米軍の上陸を許した日本全土は、瞬く間に沖縄と同じ状態になっただろう。

絶対不可侵の統帥権を持った天皇を奉じた戦争指導部は、この地下壕から各地に詔勅や命令を出そうとしたであろうが、有線の通信回線は随所で切断され、無線通信も妨害電波で不通となっただろうから、それもたちまちのうちに思うに任せなくなっていただろう。

この為、各地で孤立した陸軍の指導者は、「天皇の意を体したものである」と称して、それぞれ勝手に色々な命令を出さざるを得なくなっていただろうし、中にはそれを良い事に、自分自身の考えを推し進める人たちも出てきただろう。いや、それ以前に、天皇のご座所においてすら、「国が滅びるまで徹底抗戦すべき」と考える一部の将兵が、天皇の耳目を塞いでしまっていた可能性もある。

今、海外で作られる映画等では、「忍者」が日本を代表する戦士であるかのような扱いを受けているが、現実には「忍者」の地位は極めて低く、硬直的な「武士の生き方」や、桜の花のように潔い「大和魂」が、ごく自然に、日本人の最高の規範とされていた。

従って、多くの日本人は、降伏する事は勿論、偽って降伏したと見せかけて粘り強くゲリラ戦を行うような事すらも潔しとせず、随所で「天皇陛下万歳」と叫んで、「玉砕攻撃」や「民間人も巻き込んだ集団自決」を敢行していただろう。

海外にいた日本の将兵も、降伏も帰国も出来ないままに通信が途絶し、結局同じ運命をたどらざるを得なかっただろうし、旧満州帝国や朝鮮半島に居住していて退路を断たれた日本人は、ソ連軍や米軍の支援を受けた現地の「民族解放組織」に拘束され、辛酸をなめていただろう。

ソ連軍は、日本のポツダム宣言受諾後に実際にサハリンに武力侵攻した位だから、勿論大挙して北海道に上陸、米軍もこれを看過するしかなかっただろう。ソ連軍は、北海道だけに留まらず、青森や秋田あたりまで侵攻し、出来るだけ広い地域を米軍より早く占領下に置こうと試みただろう。

いや、それ以前に、東京、大阪、名古屋等に、あと数発の原子爆弾が比較的短時日のうちに投下されていただろう。もしかしたら、ソ連軍も、米軍に遅れまじと、未完成の原子爆弾を実験をかねて日本のどこかに投下していたかもしれない。これら全ての出来事の結果として、日本民族は全人口が一千万人を切る位までに激減し、国は南北に分断されて、生き残った人々とその子孫は、今なお悲惨な生活を強いられていたかもしれない。

「美しい国」に対する憧憬と根を一つにするかもしれない「大和魂」の危険性を強調するあまりに、歴史のIFがもたらす陰惨な仮想現実に皆様を誘い込んでしまって申し訳なかったが、このような極限的な状況を敢えて対象にせずとも、平穏な現在の状況下での日常的な政治判断についても、歴史のIFを常に考えながら、それがもたらす結果を検証しておく事は必要だろう。

安倍総理が、遅ればせながら「日本人の手で憲法を書き直す」事に意欲を持つのは、結構な事だ。また、国防の為に軍隊を持つ事は、如何なる独立国においても常識なのだから、この事を明確にした上で、自衛隊のあり方をきちんと規定する事にも、反対する理由は全くない。しかし、その前に、日本の過去の歴史の評価については、国民相互の間でも、諸外国との間でも、徹底的に議論して、きちんとしたコンセンサスを取っておく事が欠かせないと、私は強く思っている。

世界経済の動向は、結局は米国の「出口戦略」の発動のタイミング如何にかかっているように思える。従って、アベノミクスの評価も、結局はこれに連動して揺れ動く事になるだろう。ということは、しばらくは安倍総理の強気の姿勢が揺らぐような事態にはならないかもしれない事を意味する。だからこそ、国民は、安倍総理が自信過剰になって、彼の考える「美しい国」路線を突き進む事に、これからもずっと警戒を怠ってはならないと思う。