保守政治家は「ナチス」と「ヒロシマ」の響きの違いを認識せよ

北村 隆司

安倍内閣の発足以来、自民党の保守派幹部による発言が国際的物議を醸す事が急増している。

第二次大戦と言えば、「ナチス」「パールハーバー」「ヒロシマ・ナガサキ」と言う言葉が直ぐ思い浮かぶが、これらの言葉の各国の受け止め方や過敏度(センシビリティー)の違いの大きさは、日本人の想像を超えた物がある。

麻生発言への内外の批判が炎上したきっかけは、発言内容も然ることながら、「ナチス」と言う言葉を日本的な感覚で不用意に使った事にもある。


ある「ブログ記事」に「国内だけ、日本国民だけの評価を気にしていたら良い時代は終わった。世界の中で日本がどのように見られているのか。そこを意識し、日本国を正しく伝えいくことが非常に重要になる。世界各国も、世界を意識している。不当な侮辱や事実誤認に対しては徹底的に抗議するのが、世界の政治家や政府の姿だ」と言う指摘があったが、正にその通りで、麻生氏を始めとした「保守(右翼)」失言政治家は、これから相当の努力をしないと「やはり野に置け蓮華草」のことわざ通り、大国日本の指導的な地位は荷が重過ぎる。

我々日本人にとっては「ヒロシマ・ナガサキ」は「非人道的戦争」の象徴だが、欧米では未だその感情は共有されておらず、一方「ナチス」と言う言葉には極めて敏感である

そこに飛び出したのが、副総理の「ナチスの手口に学べ」発言である。

欧米では相手を侮辱、中傷する最も強い言葉として使われる「ナチス」と言う言葉を、日本の副総理が、「ナチスの手口に学べ」と発言した事は、例え話にしても、悪趣味の度を越している。

これは、下手なコメデイアンが笑いを取る為に「女性の性器」に触れる事と同じくらい、下品で侮辱的な例えである。

麻生副総理はアキバオタクと言われる位だから、自分の発言が瞬時に世界を駆け巡る事はご承知の筈で、今後は漫画だけでなく副総理に価する国際的教養を身に着ける努力をして貰わないと、日本の政治的恥部が世界に広がるばかりである。

自民党保守派による、第二次大戦中の日本の行動擁護発言が続出し出すと、欧米のメディアは安倍政権を保守政権と呼ばず、右翼政権と呼ぶようになった。

右翼と保守の違いの定義は知らないが、右翼と呼ばれる事は「世界の中枢から外れた」と言う響きが強く、日本の影響力、信用力を著しく傷つける事を自民党の保守派は承知して欲しい。

欧米が「ナチス」と言う言葉に敏感であるのに対し、アジアでは「日本の侵略否定」に強い拒否反応を示す。

この事情を知ってか知らずか「当時、経済を断交されて日本の生存が危うく、自存自衛だと思った多くの人が戦争に行った。従い、村山談話の『侵略』という文言はしっくりしない」と言う主旨の自民党高市政務調査会長の「日本の侵略肯定論」は、アジアの友邦国の日本に対する不安と不信を一気に高めた。

この発言に対する内外の強い批判を受けた高市氏が「党に迷惑がかかったのならおわびするが、私の考え方は変わらない」と言う英語には翻訳出来ない「純日本的」な「落とし処」弁明をすると、不思議や不思議、日本のマスコミは矛を収めてしまった。

安倍首相自身も、「学会では侵略の定義は定まって居らず、安倍内閣が村山談話をそのまま継承しているわけではない」と答弁したが、この発言も、その後の批判に抗せず「安倍政権は全体として受け継いでいく方針で、侵略も、植民地支配も否定したことはない」と修正するなど「右翼本音発言」「撤回」の連鎖が止まらない。

中には、従軍慰安婦問題に関する橋下徹氏の発言も右翼発言だと問題にする向きもあるが、これは「右傾化」とは全く異質の個別具体的な問題認識の違いであり、別個に取り上げる事にしたい。

気をつけなければならないのは、「発言撤回」とか「この辺が球の落とし処」と言う日本独特の収拾方式を、我々国民が何となく受け容れて仕舞う曖昧さである。

日本ではこれで落着したと勝手に合点している問題が、実は海外では決着して居らず、これが再燃すると「外人はしつこい」と切り捨てる日本のご都合主義的なローカル性にも真剣に向き会う必要がある。

米国で迎える「真珠湾攻撃記念日」は、今でも日本の卑劣さをこれでもかと言うほど強調し、日本人としては愉快な日ではない。

それに比べると、日本の「ヒロシマ・ナガサキ」被爆記念日は、ストイックで退屈な儀式と化した感があリ、国際的な発信力はゼロに近い。

「ヒロシマ・ナガサキ」を「ナチス」や「真珠湾」と並ぶ過敏度(センシビリティー)を持った悲劇として世界に認識させる為に、日本の保守政治家を巻き込んで「ヒロシマ・ナガサキ被爆式典」を國際発信力強化を目指して改組する努力も、日本の政治家の國際感覚を磨く為に役立つかも知れない。

2013年8月13日
北村 隆司