「半沢直樹」の不在

2013年09月23日 01:43

ちょっと前に食事中に30分ぐらい見ただけでアホらしくなって見てなかった「半沢直樹」について、ツイッターで藤沢数希氏が「何が面白いかわからない」と書いているので「私もそう思う」と書いたら、すごい反響がきてびっくりした。

そこで念のため、そのとき録画したビデオを早送りで見たが、印象は同じだ。原作はバブル期の話で、それを現代に舞台を移しているのだと思うが、今どきあんな単純な不良債権でメガバンクが大騒ぎになるはずがない。90年代に私も不良債権の現場をたくさん取材したが、最大の違いはドラマのように個人の責任は問わないということだ。


原作者は元銀行員だから、それを知って脚色していると思うが、日本の会社では不祥事の責任は関係者全員で負うのだ。もちろん実際には責任者がいるが、それは外部にはわからない。90年代に100兆円もの不良債権が出たのに、役員が刑事訴追されたのは日債銀や長銀などごくわずかで、それも無罪になった。有罪になったのはイトマンの河村社長ぐらいで、日住金の庭山社長は何も刑事責任を問われなかった。

現実はドラマとは逆に、半沢みたいな現場が暴走して過剰融資し、それも何年も先送りしてあちこち飛ばすので、本当の責任者は誰かわからないことが多い。その責任を役員が形式的にとるが、ほとぼりがさめると復帰することも多かった。大蔵省でも、日住金の破綻処理を阻止して住専問題の原因になった寺村銀行局長は、なんと全銀協に天下りした。これが『「空気」の構造』でも論じた実質的権力と形式的権威の分離による無責任の体系である。

「半沢直樹」はドラマとしてはおもしろいのかもしれないが、日本の銀行の実態を真逆に描いている。最大の問題は、役所でも銀行でもどこに責任があるかわからない構造なのだ。政府も国会も実態調査をせず、日銀が部外秘で報告書をつくったらしいが、非公開だから実態も責任者も結局わからない。これから国債バブルが崩壊したときも、同じような迷走がまた始まるだろう。

一般視聴者は、日本の会社をだめにしているのはああいう悪い役員で、半沢のような現場がそれを追及すればよくなると思うのだろうが、残念ながらそういうヒーローは存在しえない。日本の会社では「みんなで決める」ので、追及すべき責任者がいないからだ。それが日本企業がグローバル競争で負け続ける最大の原因である。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 青山学院大学非常勤講師 学術博士(慶應義塾大学)

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