日韓問題を更にもう一度考えたい

松本 徹三

ここ一ヶ月以上にわたりアゴラでは日韓の問題ばかりを書いてきたので、そろそろ話題を変えようと思っていた所だったのだが、山田高明さんの「何故韓国は歴史を書き変えたのか?(前後編)」がよく読まれているので、私ももう一度だけ記事を書く必要を感じた。


山田さんが書かれている事は概ね正しく、私も同意見の所が多いが、矢張り若干の誇張があり、全ての事実がバランスよく網羅されているとは言い難い。権力欲の権化のようだった李承晩が、反対勢力を徹底的に弾圧する為に、旧統治者であった日本を「悪の権化」に仕立て上げる必要があり、その為に「嘘で固めた韓国の歴史教科書」が出来上がったのは事実だし、歴代の政治家が同じ理由でそれを踏襲しているのも事実だが、「だから日韓関係の好転等は将来ともあり得ない」と断じてしまうのは早計だろう。

誰かが、たいした事もない人物を実態の何十倍にも美化したら、その実態を知っている人は、これまた極端な言葉でその人物をけなすのが普通だ。ネット上の言論の場合は将にそのオンパレードと言ってもよい。しかし、歴史を語る場合は、極力こういう事は避けるべきだ。

例えば、日本統治時代に上海に作られた「大韓民国臨時政府(臨政)」を李承晩等と共に立ち上げ、形だけでも大日本帝国に宣戦を布告した金九(キム・グ)について、山田さんは「強盗殺人犯で脱獄囚」と一言で片付けてしまっているが、読者は念の為、彼についてのウィキペディアの記載を読んでおいたほうがよい。

ウィキペィアは、この人物について「抗日独立活動が長期に渡ったことや、右翼でありながら『反共』よりも『統一志向』に基づく活動をつづけた事に加えて、独立後早くに暗殺されたことも関係してか、南北朝鮮・左右両翼から比較的尊敬されている人物」であるとし、ソウルにある「白凡金九記念館」の事や、盧武鉉元大統領が毛沢東やリンカーンと並べて彼を「尊敬する人物」として挙げた事も紹介しているが、その一方で、ジャーナリストの金完燮氏が、彼を「偏狭な儒教思想に凝り固まった無知蒙昧な人物」「生まれつきの殺人鬼」とまで評して、ソウル高等検察庁に起訴された事も紹介している。歴史問題についての記述は、全ての側面を網羅する、このようなウィキペィアの姿勢に学ぶべきだ。

金九は、1896年2月黄海道安岳郡鴟河浦で日本人一人を殺害しているが、金九自身は、「自分が殺したのは土田譲亮という陸軍中尉で、国母(明成皇后)の恨みを晴らす為に殺した」として、「白凡逸志」という自叙伝の中でも「国家の大きな恥を洗い流すために、この身を犠牲にして万人を教訓した」と誇らしげに書いている。しかし、実際に殺されたのは、土田という名前は同じだが、軍人ではなく只の旅行中の薬商人であり、女給仕が自分より先にこの土田という日本人に食事を出した事に腹を立てて、仲間5、6人と一緒に殴り殺したというのが真相のようだ。だから、彼の行為は「民族史に残る程の英雄的な行為」とはとても言い難いが、「日本人が特別扱いされている事に対する憤り」が動機であり、「金品強奪」が動機ではないから、山田さんのように「強盗殺人犯」と一言で片付けてしまうのは適切ではない。

金九は自分を実際より偉大に見せたくて小さな嘘をつき、現代の多くの韓国人もこれを信じているようだが、これは結果的に彼を実際より卑小に見せる事にしかなっていない(尤も、自民党時代にソウルで彼の墓所に参拝した小沢一郎さん等は例外かもしれないが……)。彼が後になって、同じ自叙伝の中で語っている言葉のほうが、余程率直で納得出来る。彼はこう書いている。「(日本の敗北は)私にとっては嬉しいニュースというよりは、天が崩れるような感じの事だった…心配だったのは、我々がこの戦争で何の役割も果たしていない為に、将来の国際関係での発言力が弱くなるだろうという事だった」。

上記の金九の小さな嘘に象徴されるように、一般的にいって、韓国人の中にはこういう虚栄的な傾向がかなり見られる。韓国政府自身も、無理をしてでも「自国を偉大に見せたい」という誘惑に駆られてか、「平気で嘘をつく」という過ちを繰り返し、結果として、その意図とは正反対に、徐々に国際社会の信用を落としつつあるように思える。これは、荒唐無稽な「皇国史観」に全国民を染め上げようとして、諸外国から孤立してしまった「かつての大日本帝国」を、そのままなぞらえているとしか思えない。私は若い時に2年間韓国で生活した体験故にか、韓国と韓国人に特に親しみを持っている人間なので、こういう事は本当に残念に思う。

これに対して、日本人は、時折「自分たちのやり方を『至上』と考える事から来る傲慢さ」がちらつくのを別とすれば、通常は何事にも丁寧且つ誠実に対処しているので、所謂「歴史問題」についても、諸外国は次第に日本側の考えに理解を深めていってくれるだろう。いつも言っている事だが、日本は今後とも決して韓国側の挑発に乗らず、「売り言葉に買い言葉」は絶対に避けて、徹底的に「公正さ」を追求し、常に配慮にあふれた言葉で語り、常に筋を通し(従って、筋違いな妥協は一切せずに)、堂々と且つ誠実に身を処していくべきだ。

そもそも、韓国政府は、何故今になってもなお、100 年以上も前の日韓併合の問題について、諸外国の注意を喚起しようとしているのだろうか? これによってどういう結果が出る事を期待しているのだろうか? その「国としての戦略的な意図」が私には全く理解出来ない。もともと植民地主義というものは、一時期欧米諸国が世界中で推し進めたものなのだから、現在の韓国政府が「日本の植民地主義の為に自分たちは不当な扱いを受けた」といくら訴えてみても、欧米諸国はどう対応すればよいのか思いも及ばず、ひたすら当惑するばかりだろう。

山田さんも書いておられるように、かつての李承晩は、終戦後2ヶ月に至るまでの31年間もの間、主として米国に亡命しており、従って形式上は日本統治に服していない為に、自分たちが連合国(戦勝国)側に入れてもらえるよう色々と工作したようだが、「自分は単純に逃げ、韓国人の大多数はまともな反抗もせずに日本の統治に屈服して、結果として日本軍の一部として戦う事になった」のだから、勿論そんな虫のよい事が認められる訳もない。山田さんは韓国が日本を「戦犯国家」として糾弾している事に神経質になっておられるようだが、「統治者」と「被統治者」の関係と、第二次世界大戦における「連合国」と「枢軸国」の関係は、そもそも全く次元の異なる問題なのだから、こんな事はわざわざ論じる必要もない事だ。

今から遡って考えれば、長年にわたる日本統治は、経済発展の問題を脇におけば、韓国人としては、大きく誇りを傷つけられる事だったではあろう。しかし、終戦(解放)後の「国内政治の極度の混乱と腐敗」、何百万人もの人を殺した「同民族内での血で血を洗う抗争」のほうが、客観的に見れば遥かに悲惨な状況を韓半島の人たちにもたらした事は、もとより言を俟たない。この事を直視するのが大きな苦痛である事は十分理解出来るが、既に先進国の仲間入りを果たしつつある現在の韓国の国民は、今こそこの苦痛に耐えて、自らの歴史を直視するべきだ。「歴史を直視しない者に将来はない」という言葉は、将に彼等の為にこそあるのだ。

全ての韓国人が、小中学校で歪曲された歴史を学び、間違った先入観を持ってしまっている事は残念ながら事実だ。しかし、仕事通じて日本人や欧米人と交流した人たちは、次第に色々な事に気がつき始めているのも事実だろう。基本的に知性のレベルが高い韓国人が、何時迄も「嘘で固めた歴史」を小中学生に教え続けるとは私にはとても思えない。日韓は、かつては仇敵同士だった独仏が今やっているように、「お互いの歴史教科書に整合性を持たせる努力」をいつかは始めるべきだが、今は未だ時期尚早と判断せざるを得ず、両国の心ある人たちは、この時期がくるのを忍耐強く待つしかない。

その間、隣国人である日本人がなすべき事は、韓国人が自らその誤りに気づくのを遅らせるような事を、決してやらないという事だ。「日韓併合は、欧米人がやっていた事を真似ただけで、形式的な合法性も整えたのだから、正当な事だった」等という馬鹿な事は言わない事だ。それから、明らかに自らが起こした中国への侵略戦争と、その行き着く所として必然的に起こった太平洋戦争を、自らの為にも今こそきちんと総括する事だ。

先回の記事で、私が古代史について語り、「日本人と韓国人のルーツはほぼ同じでDNAも極めて近い」という事を言ったら、案の定、強く反発する人たちがいた。彼等は、稲作は南方から伝わったもので、別に韓半島から来た人たちに教えられたものではないと、必死になって言い立てる。中には「日本語と韓国語の違いは日本語とサンスクリット語の違いより大きい」という珍説を何の臆面もなく披露する人もいた。こういう人たちには、「とにかく自分たちを韓国人と一緒にして欲しくはない」という気持ちが、異常に強いようだ。それ程にまでも、「嫌韓」「侮韓」の傾向は、韓国人の「反日」の傾向以上に、一部の日本人たちの間で根強いという事なのだろう。

しかし、歴史の事実は曲げられない。紀元前数百年に遡れば、日本列島の西部に居住する殆どの日本人が、数百年にわたり色々なルートで韓半島から流れ着いてきていた人たちの血を多分に引き継いでいた事は、ほぼ疑いの余地もない。そして、特に支配層において、この傾向は強かった筈だ。崇神天皇以降、聖徳太子の時代に至るまでの頃の日本人は、その事を十分に意識しており、だからこそ、その時代の渡来人を親戚同然に暖かく迎え入れる一方で、海を越えて兵を送ってまで、半島南部の諸部族の勢力争いに介入したのだろう。

山口巌さんのご指摘を待つまでもなく、「半島」と「島国」という極端に違う環境が、その後のこの「兄弟民族」の性格を「全く対照的なもの」に変えてしまったのは事実だが、「兄弟民族」であるという事実は変わらない。また、お互いにどんなに嫌いでも、地理的に隣国である事も変えられない。だから、たとえ時間はかかっても、お互いに理解し合えるようになるまで、お互いがそれぞれに努力を重ねる事を、早々と断念するべきではないというのが、私の終始一貫した主張だ。