「それは、会社を辞めてでも、やりたいことなのか」星海社新書初代編集長ご退任によせて 

常見 陽平

9月30日、星海社新書初代編集長の柿内芳文氏が11月末をもって「卒業」することが発表された。この出来事や彼の歩みを通じて、今どきの出版業界や、編集者のキャリアについて徒然なるままに考えてみることにする。


「新書こそがノンフィクションの完成形である」と信じる柿内芳文氏は、まさに新書バカだ。

同氏は前職の光文社時代に『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(山田真哉)や『99.9%は仮説』(竹内薫)『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(城繁幸)などの大ベストセラーを連発したことで知られている。光文社時代の彼の仕事はすべてが記録であり、記憶に残るものだった。これらの他にもヒットを連発したし、佳作も多数あった。

光文社時代の彼の本作りには、法則があった。タイトルとサブタイトル、帯で読者の素朴な疑問や怒りを代弁する。前書きでがっちりと掴む。その後の章では、衝撃的な事実を並べたてていく。章のタイトル、項目見出しもいちいち心を掴むものにする。そして、最後は夕日に向かって叫ぶかのように感情を吐露する。少なくとも光文社時代の彼のヒット作に関してはそう感じた次第である。

彼は著者に、実に気持ちよく書かせてくれる編集者だ。それでいて、著者にいちいちしびれる、気持ち良い一言をかけてくれつつ、しっかり、絶妙に彼の手のひらの上にのせている。著者を持ち上げつつ、明るく何度も書き直しを要求する。「いい感じになりましたね」と言いつつ、あとがきを4回書き直したのは、一緒に仕事をしたときのよい思い出である。



彼は売るためには何でもする。売れる仕掛けをする。中川淳一郎氏の『ウェブはバカと暇人のもの』が出た際に、某誌で著者と編集者の全裸座談会を本当に実施したことは2人の黒歴史としてここで晒しておこう。ただ、売る努力をしない編集者だらけの中、ここまでやる彼は男闘呼、漢(いずれもおとこと読むこと)である。フォローすると、全裸になったのは極端な例であり、いつもまともに売る努力をしている。

天才的な彼だけど、努力の人でもある。入社した後は会社の資料室で昔のカッパ・ブックスを読みあさったのだという。そしてアンテナはつねに敏感である。嗅覚が素晴らしい。

彼が光文社の、いや出版業界のエースだったことは間違いない。

そんな彼から電話をもらったのは、2010年の8月だ。神田駅のホームで電話をとったのを覚えている。光文社を辞め、星海社新書の編集長になるという話を聞いた。私は興奮し、中央線に乗るのを一本遅らせた。盟友中川淳一郎と一緒にお祝いしようという話をしたような気がする。



彼の転身から1年。2011年秋に鳴り物入りで立ち上がった星海社新書は、

戦うことを選んだ次世代の仲間たちに「武器としての教養」をくばること

を目的として掲げた。第1回配本の『武器としての決断思考』(瀧本哲史)は、いきなりベストセラーとなり、「ビジネス書大賞2012」に輝いた。

ただ、それ以外の本には、読者としてほぼ魅力を感じなかった。アラフォーの私は、読者対象ではないのだろうけど。元サラリーマンにはたまらない日経プレミアシリーズ、良い意味で昔の光文社新書っぽくありつつ安心の中公クオリティの中公新書ラクレ、新興の意外にも硬派レーベルのイースト新書(私も今月、ここから出す)ほど好きになれなかった。

次世代の仲間たちに「武器としての教養」を配る、という理念は立派だが、だからといって内容をやさしくするというのは違うのではないかと。その層に届くように、今までの新書とは違うオシャレな装丁で、わかりやすく噛み砕いて伝えたいという意図はあったのだろうが、やや意地悪な言い方をすれば、何でもかんでもやさしく、扇動的に伝えようとしているようにしか見えなかった。本当に若い世代の気持ちを分かっているのかとも思ったのだ。

気づけば、意識高めで、言いっぱなしの、煽り気味の本が増えていった。『年収150万円で僕らは自由に生きていく』(イケダハヤト)などはその代表例だろう(この本の担当編集者は柿内氏ではないのだが)。

LUNA SEA、X JAPAN、Juno Reactor、そしてソロ活動などで活躍中のギタリストSUGIZOは以前、こんな言葉を残している。

「弾けない奴が“ラフに弾く”なんて言うな」
『さよなら「ヴィジュアル系」~紅に染まったSLAVEたちに捧ぐ~』(市川哲史 竹書房文庫)より

星海社新書から出る本にも同様の感情を抱いてしまっていた。

とはいえ、話題になっている雰囲気を醸し続けたのはえらい。所詮ビジネスだ。売れていることは良いことであり、正しい。ただ、それが売れてしまうこと(少なくとも売れている風であること)に大きな疑問、率直に言うならば、嫌悪感を抱いてしまった。私は柿内芳文氏を嫌いになったのではなく、このレーベルが苦手になってしまったのである。

ややきつい言い方ではあるが、
「それは、君が、会社を辞めてでも、やりたいことなのか」」
という、愛と怒りが入り混じった感情を抱き続けた次第である。

その柿内芳文氏も、イベントなどでたまにお会いするたびに、率直に、光文社の時代ほど楽しそうには見えず、悩んでいる風に感じた。当初スラっとしたイケメンだった彼もすっかりお太りになったし、年もとってしまった。

これは、若手のエース編集者から、編集長へと成長、変化する際に直面した課題であり、悩みだろう。彼の卒業の挨拶にも、そのような悩みは感じられる。

話題作は多数あったし、前出した瀧本哲史氏の著書のようなベストセラーもあった。ただ、同書以上に売れた本はなかったと記憶している。『僕たちのゲーム史』(さやわか)や『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(古賀史健)などは佳作だったし、好きな本なのだけど。

ただ、2日経って読み返してみて、彼の卒業宣言には、強い意志と清々しさも感じる。

彼と星海社新書のここ数年の大いなる模索はきっと、大きな財産となることだろう。歴史は試行錯誤と紆余曲折の繰り返しだ。



退任まであと約2ヶ月。集大成的傑作を期待する。レーベル最新作の『「ほしい未来」は自分の手でつくる』(鈴木菜央)も心して読む。題名が意識高いが、この著者だけでなく、柿内氏と星海社新書の宣言なのだと解釈してみる。

今回の選択についても
「それは、君が、会社を辞めてでも、やりたいことなのか」」
と問いかけてみる。

答は、イエスに決まってるだろ。

編集者と物書きは、世の中を面白くしてナンボだろ。

未来は素晴らしいに決まってる。

これは、尊敬する強敵(とも)、漢(おとこ)である柿内芳文氏と、彼に続く若き編集者たちへの、「若き老害」こと私からの檄文である。

柿内さん、お疲れ様でした。断酒絶賛続行中の中川淳一郎と、お祝い会しましょう、今度こそ。