常見陽平さんが「統合失調症」について書かれていたので、私も自分のことを書いておきたくなった。そのうち、一度こういうことについて、お話しさせて頂く機会を頂ければよいのにと、少しばかり思っている。
私自身は、「躁鬱病」を抱えており、10年以上にわたってい非常に苦しんできている。癲癇用に使われていた薬が、精神医療でも使えるよう認可されるようにになったため、その薬が自分にあったこともあり、この2年あまりは、比較的安定している。医師からは、もう一生、薬を飲むつもりでいるようにとの指示が出ている。
■私が鬱病になった過程
直接な発症は、私自身が働いていた、現在であれば「ブラック企業」と呼ばれるゲーム会社の職場で働いて潰されたことがきっかけだ。プロジェクトは、今から考えてもひどいもので、終了後に半数がその会社を去るという、精神的に各スタッフが追い詰められた職場だった。そして、そうした行為が平気で認められる環境でもあった。
まあ、当時の私が、上司とまったくうまくいっていなかったということもあったが、いろいろな意味で、まだ、日本のゲーム業界の97年頃をピークとする家庭用ゲーム機のバブルの雰囲気が残っていた。プロジェクトのプロデューサーが昼間から、職場にいないのが当たり前で、ゲーム会社のトップのモラルが崩れていたことが、まかり通った時代だった。その会社は、まだ生き残っているが、内部はどのような状態であるのかは、知らないし、知りたくもない。
■鬱病という自覚なく狂気にはまり込んだ。
プロジェクト終了後に、私はほとんど気が狂っている状態になっていた。自分のことがよくわからなくなり、暴れもした。家の窓ガラスを割り、オーバードーズ(薬を多用に服用すること)を2回繰り返し、目が覚めたら病院のベッドで、口のなかに管が入れられることがあった。今では、処方箋で出る薬ぐらいでは簡単には死ねないと言うことは知っているが、調子が悪くなると自殺願望は鎌首を上げてくる。
倒れたときには自分には鬱病という自覚はなかった。また、私の治療の場合は、鬱病と判断され、10年近く、躁鬱病としての診断が遅れ、的確な治療が行われてこなかった。また、鬱病という言葉も社会のなかに、現在ほど浸透していなかった。なので、鬱病と病院で言われたときには、まったく納得がいかなかった。私は几帳面な方ではなく、鬱病の定型に当てはまるような気もしなかった。
鬱病ではないかもしれないが、ゴッホのことは、いつも友人だと思う。
彼の気持ちはわかる気がする。
■自分の人生は終わったと考えていた
私が行われたのは、地方に住む両親により、強制的に実家につれて戻ることだった。
日本人らしく仕事をしなければ、というプレッシャーのなかに中にあったが、諦めるしかなかった。ただ、コタツに入って、天井を見るだけで、身体を動かすことができない日々が続いた。本当に身体を動かせないのだ。空気が重く、自分が押さえつけられているような気分がする。強力なおっくう感、ため息ばかりが続く日々。生きていることに意味がないのではないという強烈な恐怖感。
自分の人生は、そこで一度終わったと考えていた。
そして、次の1年を、ただぼんやりするだけで棒に振った。
ネットでブログのような記事を書いていたことをきっかけに、ライターとしての仕事をちょこちょこと頂くようになった。しかし、どう頑張っても書けないのだ。心のエネルギーが足りない。文章を書いていると、自分の精神力が急激に消耗していく。そういう状態から回復するには、3年以上かかった。
■精神科は楽な稼業だと思いもした日々……
その後も、病院を変えながら、自分の病気とつきあうことになった。当時の大病院では、予約システムがまともに機能しておらず、2時間以上待たされて、5分で診療を行って処方箋が出て終わりということは日常的だった。全体で3時間以上。
同じような病院はいくつもあり、通院がバカバカしくなることも何度だった。しかし、薬を得るためには2週間に一度の通院を続けるしかなかった(現在は4週間)。
よく寝てくださいと繰り返し言うだけで、薬が出て終わりという病院もあった。精神科の医師とは、ずいぶん楽な商売なのだなあと思いもした。
本棚の一角を占める関連書籍を読むと、セカンドオピニオンとして、合わないと思ったら、医師を変えろということが、結構、どの本にも書かれている。要するに、5分診療では、押しかけてくる患者を捌くために、患者の実情が何もわからなくてもいいとうところも、平気であったのだろう。
良心的な方も、もちろん、多いのだろうが、適当な精神科医も多いのではないかという思いもするようになっている。
■誤診は10年続いた
鬱病と躁鬱病は、決定的に違う。出る薬が違うのだ。
鬱病は、精神の波が低い方に基本的にあるので、その弱さを補完するために、押し上げる薬を使う。しかし、躁鬱病の場合にその薬を処方した場合には、鬱期の状態まで躁期に跳ね上げてしまうので、結局、躁期の期間を高めてしまう。その後に、高い躁期の後には重い鬱期やってくる。躁が大きければ大きいほど、その後に来る鬱の深さも大きくなり、むしろ、状態は悪化する。なので、躁鬱病の場合は、波の全体の振幅を安定させる薬を使う必要がある。私の場合は、結果的に誤診であり、その状態は10年続いた。
躁状態に跳ね上がったときには、iPadとかの電化製品を買い始め、無茶な量の仕事を受けまくる。そして、いずれ鬱状態に転落し、それらの仕事を受けたことを心から後悔する。鬱状態の仕事は、心はいつも切り刻まれたような状態になる。
躁鬱病と判断されたのは、大学病院を退官された比較的近所に開業された、今の先生だった。躁鬱病の実体がわかってきたが、お互いに病状のパターンをつかみ、誤診であったことの診断がつくまでには、さらに1年はかかった。その先生には、もう3年以上お世話になっている。
そして、先生に「薬なしだが人生も激しい方を選ぶのか」、「薬を使ってなだらかな道の人生を選ぶのか」と言われ、結局、生活の安定と、仕事の生産性をあげるために、後者をを選んだ。そういう方向で薬が出た。それでも、躁鬱病から解放されたわけではない。大きなイベントの後には疲労が一気に吹き出る。今は、東京ゲームショウまでに相当無理していた疲労が一気に出ている状態だ。
■「仕事をするな」と言われても…
調子が悪いときには、自分なりのパターンがあることに気が付いている。本が読めなくなり、メールが読めなくなる。そして、ぼんやりとおもしろくもないバラエティを動けないまま見ている。頭が混乱しても文章を書くどころではない。集中することができないのだ。
定期的にそれが来るため、文章を書きたいと思っても、書けないときが来る。そして、結果的に原稿を落として迷惑をかける。日経新聞電子版での毎週の連載の原稿を落としている時は、大概そういうときだ。
今の医者には調子の悪いときには、「そういうときには、仕事をするな。諦めろ」と言われる。そういうときは私の場合はひたすら眠る。できるだけ、その状態を早めに伝えるようにしているが、障害を持たない人にはいまだに意味がわからないだろう。昨日は調子が悪く、実際に仕事にならなかった。
それでも、現実に引き受けている仕事の締切は容赦なく近づき、また、仕事をしていないのは、怠け者だという、日本人特有の仕事をしなければければ、社会人とは思えないような強迫観念がつきまとう。もちろん、フリーで仕事している以上、収入面も圧迫する。安定的に仕事をしている人をうらやましく思うのは事実だ。
闘病生活は、現在も続いており、今後、一生に渡って続くのだろう。
■安易な慰めは、病気に直面している人には役に立たない
今、世間に、鬱病が蔓延しているのは実感としてわかっている。次々にその問題で苦しんでいる大学の後輩たちが出た。彼らはとても優秀だったのに、なぜそうなったのかは正確にはよくわからない。社会で明確な未来像を描くことができず、ただ、プレッシャーが押しかかる現代病が蔓延している時代には、的確な処方箋を見いだすことは容易ではないのだろうと思っている。
精神病を抱えている人に、私自身は、こうすればいいですよ、と言ったような安易に役に立つようなメッセージを出すことができない。自分の経験として、そういう言葉は慰めにならない。
ただ、同じような苦痛を持ちながら、仕事を何とか行っている人がいることを、少し頭の中に置いておいて頂ければと思っている。もちろん、気休め程度にしかならないにしても、なんとか仕事をすることができている私のような人がいることは、知っておいて頂いてもくださってもいいのではと思っている。
人間は何と単純なものではないのかと、最近は思う。
薬という化学物質を取り込むだけで脳の働きが変わってしまうのだから。
新 清士
ジャーナリスト(ゲーム・IT)、作家
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Twitter @kiyoshi_shin