天野祐吉さん逝去に寄せて 私が『広告批評』読者だった頃 正しい故人の偲び方

2013年10月22日 13:28

天野祐吉さんが亡くなった。突然のことだったので驚いている。ふと思い出した。私は、彼が創刊した『広告批評』の、意識の高い読者だったことを。故人を偲びつつ、『広告批評』とは何だったかを振り返りたい。


どうしても結婚式と葬式ではキレイゴトを言いがちである。私は少なくとも前者では本音を言う。「新郎と新婦は共通のご友人の紹介で知り合いまして・・・」などと紹介されるわけだが、そんな時には、「合コンだと訂正しろ」とちゃんと突っ込んだ。

人が亡くなった時も当然、功績について話す。それは時に、極度な美化につながったりすることもある。

先週はやなせたかし先生が亡くなった。私もやなせたかし先生のことは好きだし、尊敬している。

ただ、『アンパンマン』で正義や愛について伝え、世代を超えて愛されたという、テンプレ化された紹介文には同意しないことにしている。なぜなら、私はちょうど『アンパンマン』が放送開始になった頃にはとっくに中学生だったし、まだ子供がいないので、この作品をほぼ見たことがないからだ。わかっているふりをするのは、故人に申し訳ないと思うからだ。

むしろ、私にとってのやなせたかし先生は『手のひらを太陽に』の、やなせ先生だった。この歌にどれだけ救われたか。自分語りではあるが、私は父親を小学校5年生の時に亡くした。脳腫瘍だった。もともと、私が生まれる前から闘病生活を送っていた。

その心が揺れる時期に、私の担任になった教師は、私が人生で出会った最低の人間の一人だった。「母子家庭の長男の割に自覚が足りない」と言って、皆の前で私を殴った。神童と言われた私は、一気に学校と勉強が嫌いになり、劣等生になったのだ。

その時に、音楽の授業で歌わされたのが『手のひらを太陽に』だった。この曲を歌い、生きる勇気が湧いてきた。涙さえ流れてきた。たとえ、歌の伴奏をしているのが、あの、人生最低の先公だとしても、だ。

だから、私はしっかり見てもいない『アンパンマン』のことを取り出して、「やなせ先生、ありがとう」と言うのは偽善だと思っている。あくまで、あの作品をほぼ見ていない私にとって、なのだけど。私にとっては、『手のひらを太陽に』こそが、やなせたかし先生だ。

このように、あくまで自分の感じたことで、死を受け止め、考えて、その想いを胸に徹底的に生きることが故人と向き合う流儀だと思っている。

天野祐吉さんのことを書くのに、やなせたかし先生の話が長くなってしまった。ちゃんと書く。

私にとって、天野祐吉さんは、たしかに、彼の追悼記事にあるとおり、『CM天気図』の人であり、『広告批評』の人ではあった。しかし、前者は10代の私にとっての楽しいコラムだったけれど、後者との接し方は極めてこじれている。

私が『広告批評』を毎号のように買っていたのは20代前半の頃だった。買っていた理由は、「『広告批評』を買っている自分が好き」だったからだ。もっと言うと、『広告批評』を買うことこそが、その時に勤めていた企業への抵抗だと思っていたからだ。

情報誌を出している企業、リクルートに新卒で入社した。会社は私を、「クリエイティブ」で「クレバー」だから採用したものだと思っていた。就活や、キャリアに関する記事を書いている私だけど、当時ははっきり言って、ただの「勘違い野郎」だった。

実際は、単なる兵隊の一人だった。名も無きショッカーのメンバーくらいのものだ。いや、ショッカーはまだ、世界征服というビジョンがあり、たとえ倒されようとも、仮面ライダーに立ち向かっていくからいい。

私は希望外の配属で営業マンとなった。何もかもが希望外の配属だった。入社してから気づいたが、リクルートはいわゆる営業会社だった。日々是営業だった。

本当の自分はこうじゃない。自分はこんな場所にいる人間ではない。そんなことを考えていた。

『広告批評』はそんな私にとって、大いなる救いだった。そこには「クリエイティブ」な臭いのする世界があった。営業の途中に『広告批評』を買い、移動中の電車で読んでいる時は至福のひとときだった。

その時の天野祐吉さんのコラムを、まるで分かったふりをして読み込んでいた。特集記事も、各社のCMの情報も読み込んだ。

同じ営業部の頭まで筋肉でできた上司や同僚たちには、こういう世界は理解できるわけがないと見下していた。

いつか転職して、こういうCMを創る世界に行ってやると思っていた。

しかし、広告代理店の社員に会い、この本の内容を無駄に熱く話すと、「君、CM詳しいね。あはは」と言われ、鼻で笑われた。気づいた。CMを創っている人たちは、必ずしもこの本を読んではいないということを。私のように、広告の世界に憧れつつ、今の仕事に悶々としている人が読者なのではないか、と。

いつしか、私もこの本を読まなくなってしまった。「クリエイティブ」なんて言葉も使わなくなった。現実に気づくことができたのだと思う。その後、この本は休刊になった。

ただ、この本を読まなくなった瞬間、私はやっと目を覚ましたのだった。

私は一応、いま、物書きというたまに若者からは「クリエイティブですね」なんて言われる仕事をしているけれど、私はできるだけ「クリエイティブ」という言葉を使わないことにしている。なぜなら、たとえ、広告を創るにしろ、文章を書くにしろ、期待されていることに応えるのが仕事だから。そして、クリエティブに見えることは別に目的ではなく、手段だから。日々、それに取り組んでいる者からすると、言うのも恥ずかしいことだから。だから、単なるブロガーが「表現者」なんて言っていると虫唾が走るのだ。

別に故人を批判しているわけではない。むしろ感謝の念しかない。『広告批評』は読み物として大変面白かったし、広告を批評するというジャンルを確立した功績は大きい。

元読者として故人に感謝しつつ、意識高く『広告批評』を読んでいた時代を振り返ってみた。いまやこの本を知らない人も多い中、実際どうだったのかを伝えることも、私流の「故人を偲ぶ」という行為だから。

天野祐吉さん、ありがとうございました。

合掌。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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