元ナチス親衛隊大尉の埋葬問題 --- 長谷川 良

アゴラ

「ナチス戦争犯罪者は死ぬと火葬される。墓には埋葬されない。だから、彼らには墓がない」

元ナチス親衛隊のエーリヒ・プリーブケ元大尉の埋葬騒動の背景を調べている時、上記の話を知った。


プリープケ大尉は11日、ローマで100歳で死去した。元大尉は、イタリアで第2次政界対戦中の1944年3月24日、355人の民間人(その内、75人はユダヤ人)を殺害した戦争犯罪容疑を受け、一時期アルゼンチンに逃亡していたが、そこで逮捕され、イタリアに引き渡された。大尉は1998年に終身刑を受けたが、高齢を理由にローマで自宅拘束されてきた。元大尉は最後までユダヤ人の虐殺に関与したことを否定していた。

ローマ市は過去のナチス戦争犯罪者の例に倣い、元大尉の遺体を火葬する予定だったが、元大尉の遺族が「父親はカトリック教会の葬儀を願っていた」と主張したため、火葬は断念され、葬儀を行うことになった(イタリアではどのような葬儀を行うかは遺族が決定し、当局は強制できない)。

しかし、ローマ市当局とカトリック教会ローマ教区は元大尉のカトリック葬儀を拒否した。その時、ローマ・カトリック教会から破門されたカトリック教会根本主義組織「ピウス10世会」(聖ピオ10世会が葬儀を引き受け、ローマ南東部アルバノの「ピウス10世会」所属の礼拝堂で15日、葬儀を挙行することになったのだ。ただし、葬儀反対の左派グループとネオナチグループが衝突したため、葬儀は中断されてしまった。

そこで、元大尉の遺体をどのように処置するかで関係者と遺族が頭を悩ましたわけだ。イタリアのメディアによると、元大尉の遺体をドイツに運び、そこで埋葬する案が出ている。ローマ市の イグナツィオ・マリーノ市長は16日、「ドイツ側と元大尉の遺体問題で非公式の接触をした」と述べている。ドイツ外務省側も「イタリアの駐ローマのわが国の大使館と接触はあったが、公式な要請はまだない」と語っている。

ところが、元大尉の遺族のパオロ・ジャキー二i弁護士は19日、「ローマ市当局と埋葬問題で平和的合意が実現された」と発表した。合意内容は明らかになっていない。明確な点は、ローマ市警察は市内、その周辺の埋葬は不許可したということだ。その理由は、埋葬地がネオ・ナチグループの巡礼地となる危険性があるからだ。元大尉の出身地、独のBrandenburg当局も同じように埋葬を拒否している。ちなみに、元大尉は生前、アルゼンチンで眠っている妻の墓の横で埋葬されることを願っていたというが、アルゼンチンもナチス戦争犯罪者の埋葬を拒否している、といった具合だ。

参考までに、カトリック教会が拒否した葬儀を受け入れた「ピウス10世会」について簡単に紹介する。ローマ・カトリック教会の総本山、バチカン法王庁は「ピウス10世会」と対立してきた。その主因は、第2バチカン公会議に参加した故マルセル・ルフェーブル大司教が教会の近代化を明記した公会議文書の内容を拒否し、69年に独自の聖職者組織「ピウス10世会」を創設したからだ。

ヨハネ・パウロ2世(在位78年~2005年)は84年、条件付けでラテン語礼拝形式を容認する一方、「ピウス10世会」との教会再統合の道を開く努力をしたが、大司教はその直後、教会法に反し、4人の神父を司教に叙階。そのことを受け、バチカン側は同大司教と4人の司教を破門した。

ルフェーブル大司教は91年亡くなり、その後継者にベルナルド・フェレー司教が「ピウス10世会」代表に就任すると、同司教は2000年、パウロ2世を謁見し、05年にはべネディクト16世と会見するなど、教会破門宣言の撤回を実現するために腐心したが、バチカンとの交渉は暗礁に乗り上げたままだ。

興味ある点は、「ピウス10世会」の主要メンバーだったリチャード・ウィリアムソン司教は2008年、スウェーデンのテレビ・インタビューの中で「ホロコーストのガス室は存在しない」と発言し、世界を驚かしたが、元大尉も最後の遺書の中で「ホロコースト」を否定している。元大尉と「ピウス10世会」との間には、思想的に類似性が感じられる。「ピウス10世会」側がプリーブケ元大尉の葬儀を受入れたのも決して偶然ではないだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年10月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。