戸籍という遺物 - 『戸籍と国籍の近現代史』

池田 信夫
戸籍と国籍の近現代史―民族・血統・日本人
遠藤 正敬
明石書店
★★★★☆



婚外子や夫婦別姓をめぐる議論をみると、自民党の自称保守には戸籍へのこだわりが異常に強く、「戸籍にない通名を使うのが在日特権だ」というネトウヨに通じる面がある。機能的にほとんど意味のない戸籍がこれほど話題になるのは、それが「日本人」のアイデンティティの核にあるからだ、と本書は指摘する。

JBpressでも書いたことだが、現在の戸籍は日本の伝統でもなければ「家族の一体性」とも無関係な、旧民法の「家」制度の遺物である。古代に日本が中国から輸入した戸籍はゆるやかなもので、夫婦同姓も婚外子差別もなかった。

それを変えたのが明治維新だった。夫婦別姓が原則だった日本が大陸法を輸入して同姓を強制し、嫡出子の長男を戸主とする厳格な序列をつくった。そして天皇を頂点とするピラミッド構造の底辺にいたのが、被差別部落民や朝鮮人だった。壬申戸籍では、彼らは同じ日本人とされる一方、本籍地で差別されたのだ。

この特殊な戸籍は、国家の体をなしていなかった日本に「一君万民」の中央集権的な支配体制を確立し、国民をすべて「臣民」として管理しようとする制度だった。しかし戸籍はもともと古代中国の制度であり、労働人口の流動的な近代社会では時代錯誤だった。それは大日本帝国の支配装置であり、戦後の民法とは相容れない。本来は終戦とともに廃止すべきだった。

特にその矛盾が鮮明にあらわれたのが、外国人の扱いである。日本は韓国や台湾を支配下に置いて多民族国家になり、一方では彼らを日本人として同化しながら、他方では戸籍によって排除した。その矛盾が、戦後の「在日」をめぐる扱いにあらわれた。

普通の戦後処理では旧植民地の住民は国籍を選べるが、日本は終戦直後に在日の国籍が自動的に消滅したものとみなした。これは本籍地で国籍を決める「戸籍原理主義」で、このため当時60万人いた在日外国人は、すべて「帰化」の手続きをとらないと不法滞在になった。

しかし彼らの多くは帰化せず、帰国もしないで日本に住み続けた。日本政府も歴史的な事情を勘案して滞在を認めた結果、在日の多くは日本人でも韓国人でもない宙ぶらりんの状態になった。これは日韓条約である程度解決し、1991年の入管特例法で在日韓国人は「特別永住者」として永住権を認められたが、いまだに彼らは戸籍にもとづく日本国民としての権利をもたない。

彼らに選挙権や被選挙権を与えるべきだという運動がある一方で、この中途半端な状態を「特権」と勘違いする連中も出てくる。その原因は、戸籍中心の日本の民法である。それはグローバル化の進む世界で、祖先が日本人かどうかという「血統主義」で外国人の定住を困難にしてきた。あの韓国でさえ戸籍を廃止した今、「グローバル人材」を求める日本がこんな大日本帝国の遺物を守る理由はない。

丹念に調査した力作だが、いささか「告発調」なのが気になる。在日が帰化しないのは制度だけが原因ではなく、日本の在日コミュニティの中で排除されるからだ。帰化しないで選挙権を求める彼らの主張も身勝手で、こういう軋轢が韓国の被害妄想の一つの原因になっている。戸籍をなくせばこうした問題も解決し、日韓関係も正常化するかもしれない。