人間の集団と組織について考える --- 岡本 裕明

アゴラ

ここバンクーバーは昔からあることで有名な街であります。それは

「友達が最も作りにくい街」

という異名であります。客観性がどれぐらいあるのか、このあたりは微妙なのですが、私が住む20数年以上ずっと言われ続け、多分、今でもそれは変わらないと思います。私なりに考える理由はここが移民の街であり、様々な国から来た人々の集合体であることから文化、風習、宗教、社会などについて入り込めないものがあることが一因ではないかと思っています。


その中で日系社会もユニークとされています。それは小さな会が数多く存在し、小グループでの活動を心地よく思っていることでしょうか? 数年ごとに交代する総領事はいつも日系団体のイベントに振り回されることになり、申し訳ないと思うこともしばしばです。もう少し組織を大きくして、団体数を少なくする努力が過去何度も行われたにもかかわらず、それが達成できない理由は何か、といえば、「水と油」を一緒にしようとしているのかもしれません。

海外で日本人社会がなぜ、分裂するかといえば一つの理由として、日本をひとくくりにするからではないでしょうか? 北は北海道から南は沖縄まで文化、風習、風土などはずいぶん違うものなのです。また、ステータスも日系人、移民、駐在員、リタイア層に学生、ワーホリと実にさまざまなのであります。これが若者なら吸収力もありますが、ある程度の年齢になるとなかなか受け入れられないものがあるのではないかと私は考えています。

さて、この例は兎にも角にも日本でも同じようなことは必ず起きています。女子を3人にしてはいけない、というのは1人あぶれる可能性がある、ということでしょうか? 5人なら2人と3人の小集団があり、さらに5人組という母集団ができることが多いと思います。つまり、細胞分裂を想定してもらえれば良いのだろうと思います。

なぜ、細胞分裂が起きるかといえば、そこには会話や活動を通じて進化があり、その進化の過程において双方が相容れない形がいつの間にかできてしまう、ということかもしれません。

私はこのような社会に対して10年以上も前から「みんなで仲良くするのは無理。だから緩い連携を作り上げるべき」と主張してきました。たとえば政党を見ればその意味するところがお分かりいただけると思いますが、党派は違えども、目的達成のために連立したり、連携することは常套手段なのです。つまり、組織と組織を合体させるのはその組織のDNAが違うのだから、一緒にすれば異相になる、というのが私の考えです。

先日、日経ビジネスを読んでいて思わず膝を叩いてしまった記事がありました。世界の三大ブランドメーカー所有会社の一つ、ケリング(旧PPR)がなぜ成長しているのか、という内容です。私が興味をもったのは17の個性あるブランドを次々と傘下に置きながら、一つの会社のもとで運営する手法であります。記事から読み取ったその方法とは「あえて合理化せず、ブランドの方針に従って商品を生み出していく」「買収前のまま、縫製工房や職人はリストラせず、買収前と同じようにスーツを作る」といった具合で、「もちろん原料調達や製造工程を統合すればそれだけ膨大な利益が出るだろう。だから、それをするとブランドは確実に台無しになる。」とし合理化によるDNAの遺棄を最大の損失とみているのです。「ブランド経営における唯一の戦略は創造性を伸ばすこと」とあります。

組織を合体させれば必ず強弱関係のなかで淘汰が発生してしまいます。しかし、弱いと思われていた組織のDNAには光り輝くものもある、とすれば、私は緩い連携の意味はますます重みを増してくるのではないかと思っています。

今日はこのぐらいにしておきましょうか。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年1月21日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。