ビットコインについて話をすると、まず最初にいわれるのが、
「ビットコインと円天の違いがわからん」
「ビットコイン?円天と一緒でしょ」
というものだろう。
確かに「どちらも怪しい匂いがして、理解できないもの」という意味では一緒である。だが、まじめに解説すると、どちらも理解し難いものという点くらいしか一致する点はないと思う。
まじめに、ビットコインを理解してもらうために、あえて円天を持ちだして違いを真面目に説明しようとおもう。
比較のために、①発行体、②価値の担保、③発行ルール、④発行方法の4つを表にした。なお、円天のほかに日本円も表にくわえてある。
まず円天についておさらい
円天というのはL&Gという健康食品の会社が始めた電子マネーだ。この会社にお金を預けると、たとえば10万円をあずけると、1年毎に、10万円分の円天というマネーが発行されるとうものだった。
基本的に企業から付与されるポイントのようなものであり、通貨というよりより、楽天ポイントやマイレージのような企業ポイントだったということが言える。
この円天は、いろいろな場所で使えるという触れ込みで、利息のかわりだと宣伝された。実際には、円天では買い物はごく一部の場所でしかできず、円天も際限なく発行された。裏ではL&Gは集めたお金を配当に回しており、新しい出資金がなければ配当が支払えないという典型的なネズミ講であった。
円天の発行体はL&Gという私企業である。これ自体は問題ない。企業の財務体質が健全で、あつめた資金を流用したりの不正をしていなければ、企業発行のポイントといっても、かならずしも信用が低いとは限らないからだ。
楽天ポイントやアマゾンポイントといったポイントは、一定の信用がある。楽天は、株式を上場し、財務諸表も公開しおり、ポイント引当金も積んでおり、誰もが透明にその信用性を評価できる。消費者は、楽天のポイントであれば、将来の買い物と使えるので、価値があると考える。
L&Gの財務は粉飾だらけだ。不透明な企業が価値を保証するといっても、だれもその信用性を客観的に評価することはできない。
さらに、円天にはルールがない。すべてL&Gの裁量だ。
円天の発行量も決められたルールはなく、L&Gの裁量で行われた。L&Gは、すきなときに円天を刷りたければ、いくらでも円天を刷ることはできるのだ。なんでもやりたい放題で、そこにはなんのルールもない。
重要なのは、ルールが有るかどうか
日本円の場合はどうだろう。
日本円は、厳密な法律の手続きによって発行している。
日本銀行は、お札を刷り放題だと勘違いされることが多いが、そうではない。お札を刷るには、その分の国債を市中から買わないといけない(買いオペ)。これにより通貨の供給がなされる。
国債をどのタイミングでどのくらい買うのかというのは日銀の判断にまかされており、通貨の供給量をコントロールしている。とはいえ、現在では、日銀は国債をほぼ無制限に買うという異次元緩和政策をしているのは承知のとおりだ。それでも、買うことのできる国債が世の中になくなればそこで理論上は終わりのはずだ。
もし日本円が円天と同じ運命をたどることがあるとすれば、そのコントロールが外れてしまったときである。つまり、国債を日銀が直接引き受けるようになった時だ。ルールなく、政府が借金をしようとすれば、日銀にお札を刷らせれば良くなるということだから、通貨は文字通り紙切れになってしまうだろう。いくら国家が管理するお金といっても、国家が暴走してルールが守られなくなれば、それは信用を失い、円天と同じようになってしまう、ということだ。
肝心なのは健全なルールが合意されており、みんながそれを守るというということにある。
ビットコインはどうだろう?
ビットコインは発行者おらず、管理者がいない。まだ多くのひとが誤解しているが、発行者がおらず、管理者がいないという状態と、ルールが存在しないということは違う。ビットコインは発行し放題で、誰かがコインを作るといえば好き勝手にコインが出てくるということではない。どうやらそういうイメージが根強くあるようだ。
ビットコインの発行量は上限が2100万枚と決まっていて、それは予め合意されたスケジュールにそって粛々と発行されている。ビットコインには厳密なルールがあり、みんながそれを守って運用している。いってみれば、全員が発行者であり管理者だ。特定の誰かに権限が集中していないという意味で発行者と管理者が存在しないけれども、まもるべきルールは存在し、守られている。
ビットコインは実物の価値の裏付けもない通貨なので、通貨の発行量の上限(希少性)だけが唯一の価値の担保になっている。その点で、発行量が守られることが極めて大事である。コインの発行のペースや量は予め仕様できめられており、プログラムがそれを守って実行する。
ビットコインの発行は、10分に1回、25ビットコイン。その量は4年毎に半減していく仕組みだ。140年間かけてコインは発行されていき、2140年ごろに、2100万枚目のコインが発行されて終わりになる設計がされている。
しかし、ルールをきめたところで、だれがそれを担保するというのか?管理者もいない状況でどうやってそのルールを全員が守るのか?
そこがビットコインの仕組みの肝である。
実は、特定の管理者ではなく、参加者全員の多数決*1にしているのである。具体的には、ビットコインのルールを守るかどうかは、ビットコインネットワーク参加者全員が相互監視するようになっている。ビットコインでは簡単にいうと、ネットワーク参加者の1/2以上が「OK」と認めた取引が認められる。ざっというとそういう仕組だ。
ビットコインでは、ルールの順守を、ネットワーク参加者が事後的にチェックするという方式でなりたっている。
たとえば、じつは誰でもビットコインを発行して、自分の財布に送るような取引データをつくることは可能だ。そういう取引データをつくって、ネットワーク全体に流すこともできるのである。
ただ、そんな不正は明らかであり、すぐさまネットワーク参加者によってチェックされてしまい、取引データは不正なものとして削除される。
この仕組においては、もちろん共謀すれば不正は可能である。1/2以上の参加者を巻き込んで、不正を働けばいい*1。
ただ、そんなことをするインセンティブは既存のネットワーク参加者には一切ないといえよう。そんなことが起きれば、ビットコインの信用が傷つき、自分たちのコインの価値はまったく無に帰してしまう。参加者が自らコインの価値を毀損する行為を共謀することは考えられない。
そういう信用が、ビットコインの「信用」の基礎になっている。
ありうるとしたら、ビットコインそのものを潰したいとおもう何らかの勢力の攻撃だ。それらの攻撃に対しては、世界中のビットコイン保持者たちが共同してコンピュータパワーを提供し、彼らの攻撃をはねのけるだろう。
ビットコインは善意に支えられたオプティミズムな仕組みであり、とてもインターネット的だ。私はそういう仕組の可能性が好きである。なのでこうして記事を書いている。
ビットコインを取り巻くサービスの信頼性
なお、ビットコインが円天だというのは、そういった技術的な仕組みの部分ではないという指摘も理解している。要するに、いろいろ怪しいということだろう。もうそれには反論できないので、確かに怪しいとしか言い様がない。その点は、個人の印象もあるので、議論はしない。
ビットコインは、いまだ発展途上はおろか、赤ちゃんにも達していないレベルのサービスである。すでに長い歴史のある他の決済システムと比べると、まったく環境がととのっていない。取引所がビットコインを持ち逃げしたり、セキュリティに難がありビットコインの盗難が相次いだり、最初から悪意を持った詐欺をする意図でサービスを行う人が少なからず居るのも事実だ。
こんなレベルでは、まだ一般のひとが、普通にビットコインを扱うことができるとは私も思えない。私ですら、騙されたり、訳の分からないサービスで冷やっとすることばかりなのだ。
これは、ビットコインの仕組みの安定性やセキュリティとは別のレイヤーの話であるが、一般のひとからみれば、どちらも一緒で、同じように「危ない」と感じるのは、そのとおりだと思う。私は区別して考えているが、一般のひとは、そうは捉えないだろう。
ビットコインがまともなものとして、一般の人にうけいれられるかは、そこにかかっているというのは私も同意する。
たとえば、ビットコインの取引所に関しては、アメリカでは、ビットライセンスという州のコンプライアンス規制がかかった、安心して取引できる取引所ができるもようだ。消費者保護の法律も適用される。健全な発展のためには、こうした取り組みが必要になってくるだろう。
※ビットコインについての取材・解説・講演などを受け付けております。[email protected]までご連絡くださいませ。主に、仕組み、技術解説、ビジネス動向、経済面についてお話できます。
*1ネットワーク全体のコンピューターパワーの1/2を上回る計算能力として定義されている。