実現するか、日本型新裁量労働制 --- 岡本 裕明

アゴラ

安倍首相は年収1000万円以上の労働者を対象に残業手当をなくし、成果をベースにした報酬の支払いへの道を探る日本型新裁量労働制の試験導入を目指しています。これに対してマスコミなどが「残業代ゼロ!」という過激なタイトルで読者を刺激をしているため、何が正しいのかよくわからなくなりそうです。もう一度、この点を考えてみましょう。


時給1000円のアルバイトさんが仮にフルタイムで一週間40時間働いても年収は200万円にしかなりません。一流企業に就職が決まった新入社員諸君の場合、賞与により多少ぶれが生じますが、それでもせいぜい年収は400万円でしょうか? つまり年収1000万円の人とは一般的には一流上場企業で30代後半から40代で達成する人がようやく出てくるという感じで、50代になるともう少し増えてくる、そんな感じです。一部の資料には年収1000万円は上位5%程度の水準とあります。つまり、上位管理職や高い専門性をもった方々ということになります。

管理や専門の分野を極めていくと正直、24時間仕事との縁は切れません。例えば為替の仕事をしている人は3年程度がポストの限界と言われるのは日中の仕事のみならず、マーケットが24時間ノンストップで動くため、地球の裏側で何かあれば常にたたき起こされるため、とも言われています。

では、個人事業主の人はどうでしょうか? 私の知っている人たちには夜中までごく普通に調べ物や仕事をしている人がいますが、そのモチベーションは「自分が働かないと家族を養えない」「競争に負ける」という世の中との戦いやプレッシャーがその引き金となっています。但し、私はその人たちが毎日、朝から晩まで根詰めて仕事をしているとは思っていません。友人と食事に行ったり家族団らんをした後、こっそり仕事をしていたりするものです。つまり、24時間のうち、仕事とプライベートが混在しているのです。

休日に会社の人から仕事の電話やメールがくることは往々にしてあるかと思います。それに対して「私は休みなのだから返事はしない」「電話に出ない」という態度を取ればその人は閑職に追いやられるでしょう。あるいは電話の対応をしたから残業代をくれ、という人もいないと思います。

現代社会には仕事とプライベートの区切りが9時から5時という明白な切れ目ではワークしなくなっていることがたくさんあるのです。例えば子供の学校の親子面談や急な呼び出しなどへの参加は逆に女性の社会進出を後押しするうえで男性の労働の柔軟性は極めて重要です。

つまり、マスコミの掲げる「残業代ゼロ」という一面的捉え方は裁量労働制やホワイトカラーエグゼンプションの意味や背景を十分に把握していないともいえるのです。

もう一つは日本人の労働時間。あくまでもサービス残業を含まない統計上の話ですが、日本人の年間労働時間はOECDの平均より少ないのです。アメリカやイタリアより少ないのです。では、なぜアメリカ人は働くかといえば働くことで報酬が上がるチャンスがあるからでしょうか? つまり、飴をぶら下げられていると同時に成果が上がらなければ鞭が飛び、来年は首を切られるリスクがあるからともいえます。

私の会社の白人の担当弁護士は出社時間は大体朝4時。そこから2時間ぐらい仕事をして1時間ほどジョギング。また仕事をして大体夜6時までいます。では家族は怒らないのか、といえばそこはうまい調整方法があるのです。年間の2か月相当をを別荘で家族と過ごしながらリモートで業務を行っています。また、彼の同僚は大のゴルフ好きでアメリカのアリゾナあたりからリモート業務をしているのです。

日本型新裁量労働制は年収1000万円を超えるトップ層が積極的に時間の効率化を諮ることでサービス残業の発想を少しずつ修正していくことが可能になるかもしれません。「残業代を払わなければ残業なし」というきっかけ作りです。そうなればサービス残業で成り立っていた一部の薄利多売のビジネスは立ち行かなくなり、価格戦略を見直さざるを得ず、賃金上昇を伴う物価上昇という健全な経済体質を作るきっかけにすらなるかもしれないのです。

安倍首相が押すこの実験、私はぜひとも進めてみたらよいかと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年5月11日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。