「ものづくり」から都市間競争へ - 『年収は「住むところ」で決まる』

池田 信夫



成功体験を忘れることはむずかしい。日本が製造業で世界を制覇するように思われた時代から30年で、世界経済は大きく変わったが、日本の企業は何も変わっていない。ホワイトカラーの勤務時間を自由にする規制改革にさえ「残業代ゼロ」と称して反対する労働組合は、いまだに全員が工場で働く労働形態をモデルにしている。

そういう「ものづくり」では生き残れない、と著者は日本語版のまえがきで断言する。30年前にはアメリカ政府も、製造業を保護するために日本たたきをやったが、アメリカに残ったのは製造業ではなく「イノベーション産業」だった。そのコアの部分の雇用は減ったが、「企業城下町」には多くの企業が集積する。

インターネット時代には世界中どこにいても仕事ができるので、こうした知識集約型の産業もグローバルに分散するといわれたが、現実に起こっているのはシリコンバレーやシアトルなどの特定の都市への集中だ。それはイノベーションに必要なものが既存の部品ではなく、創造的な人々の出会いだからである。生まれたイノベーションのほとんどは失敗して埋もれてゆくが、それが別の出会いで生き返ることもある。

こうした新しい産業の中核は工場ではなく、都市そのものだ。創造的な人々の集まる都市ではイノベーションが生まれ、それが雇用を引きつける。だから必要なのは「残業代ゼロ」に反対して製造業の雇用を守ることではなく、労働市場を柔軟にして新しい雇用を創造することだ。そのためには人口を都市に集中させ、アジアの都市と競争できる環境を整備する必要がある。

もう一つのコアは人的資本だ。大学の科学技術教育のレベルが、都市の労働生産性に大きく影響する。アメリカの初等中等教育は劣悪だが、大学にアジア系の移民を「輸入」でき、彼らがハイテク産業を牽引している。ここで重要なのは伝統的な一般教養ではなく、テクノロジーである。

本書のメッセージは経済学ではおなじみの話だが、著者の実証研究のデータで裏づけられている。地元利益を守る政治家には歓迎されないだろうが、日本が生き残るためには「ものづくり」や「国土の均衡ある発展」は捨てるしかないのだ。ただし訳書のタイトルは物欲しげで、内容にそぐわない。