「万年野党システム」は日本社会の保守本流

池田 信夫

万年野党というNPO法人が発足して活動を開始したらしい。会長の田原さん以下、役員にも知人がいるが、率直にいってこんな名前でシンクタンクをつくるのは自殺行為である。


ヨーロッパの戦争の歴史の中でイギリスが勝ち残ったのは、フランスのような絶対君主ではなくオランダのように「民主的」でもない、立憲君主制という独特のガバナンスによるところが大きい。そこでは野党は対抗勢力(opposition)として代案を出し、時には内閣を倒してみずから政権につき、必要なら国王を追放することもできた。

こういう制度は、自然にできるものではない。普通は中国やロシアなどのように「一君万民」の専制国家になり、それに反対する勢力は徹底的に弾圧される。他方、古代ギリシャやローマでは共和制もできたが、最終的な意思決定主体が不在なので、対外的・対内的に紛争が起こったとき収拾がつかず、短命に終わることが多い。

日本の天皇制では、天皇自身は名目的な君主なので追放されないが、敵対勢力を徹底的につぶすこともない。百姓一揆や下克上などの形で、定期的に「ガス抜き」しながら徐々に軌道修正する。このとき百姓一揆は、検地(増税)反対などの既得権保護を要求し、権力を取ろうとはしない。

このしくみは明治時代の自由民権運動にも受け継がれ、板垣退助は拒否権型議会主義の元祖だった。ここでは与野党とも政治家には立法する能力がなく、政府に文句をいって大衆の人気を得て、利権の分け前にあずかるビジネスモデルだ。中江兆民が民権運動から身を引いたのも、こういう万年野党型の運動にうんざりしたためだ。

この構造は、中心のない不動点としての天皇制と対応している。そこでは打倒すべき権力の実体が存在しないので、反対派は対抗勢力ではなく「野」に下った野次馬として代案も出さず、野次を飛ばすだけだ。与党の政治家にも権限も知識もないので、国会では実質的な権力をもつ官僚が膨大な答弁資料をつくる。

これは丸山眞男も指摘するように、形式の同一性を保ちながら実質的な変化を実現する洗練されたシステムともいえるが、それを牽制する外部の力がないので、幕末のように行き詰まってもシステム自体を変えることができない。

この万年野党システムの中核にいるのは、権力をとらないことを前提にしてきれいごとをいう福島みずほ的フリーライダーと、朝日新聞のように決して責任をとる立場にならない野次馬的マスコミである。彼らこそ百姓一揆の伝統を受け継ぐ日本社会の保守本流なのだ。

集団的自衛権が行き詰まる原因も憲法ではなく、この万年野党システムにある。これを変えない限り、社会保障などの大改革をいくら提案しても実現しない。だから今の政治でまず変えるべきなのは、この万年野党システムである。そのためには政治任用の拡大や官邸の機能強化など多くの課題があるが、憲法改正は必要ない。

逆にいうと、憲法を変えても万年野党システムを変えないかぎり日本は変わらない。それなのに、そういう名前のシンクタンクを設立するのはブラックジョークにもならない。改革を提案する側さえ病根を認識していないほど、この病は重篤なのだろう。