地球科学者のボヤき --- 山城 良雄

アゴラ

地球科学者の評判が悪い。まあ、ここアゴラでは誰のせいか、よう分かっている。そやけど、原子力規制委員会委員(以下、「規制委」とするで)の島崎邦彦センセや火山噴火予知連絡会会長の藤井敏嗣センセは、再稼働を妨害していると、あちこちから非難の声が上がっている。お二人とも、若き日のワシにとって憧れの大師匠やった人だけに感慨深い。


島崎センセに至っては、14年秋の任期で再任されず事実上のクビや。規制委「に専念するため、地震予知連絡会長、地震防災対策強化地域判定会委員、地震調査委員会委員、交通政策審議会委員など他の要職を辞任」【ウィキペディア】しはったことを考えたら、あまりの仕打ちや。再稼働の是非は別として、ワシとしては弁護をさせてほしい。「余計立場が悪くなる」って? ……やかましい。

規制委での島崎センセの仕事。はっきり言うたら地震予知や。普通「断層の評価」という言い方をされるが、地震時以外の断層の動きは無視できる(とされている)から、原発近くの断層時にどう動くかを予想するには、どんな地震が起こるかを想定せんと話にならん。

日本列島に何かを作るなら、付近に大小なんらかの断層があることは避けられへん。関東平野の真ん中のような沖積層の上なら、さすがに断層は見つからんかもしれんが、こういう軟弱地盤に原発などは作れん。結局、原子炉の近くを掘り返してみると、ほぼ必ず断層らしきものが出てくる。こうした断層が、次の地震時にどう動くか予想する。やや特殊やけど地震予知の一種になる。

地震予知の三要素とは、場所・時間・規模や。このうち、「時間」は、原子炉の寿命を考えたら、せいぜい100年先を考えたらええ。結局、今後100年、この付近でどんな地震が起こるか(どの断層が地震を起こすか)を、ある程度予想することから仕事が始まる。

当たり前の話やが、地震予知というのは半端なく難しい。基本的には周期で考えるが、その元データとして、過去の地震を調査するのは結構大変な話や。日本列島で、日時の特定できる文字の記録が残り始めるのがせいぜい1500年前からや。ということは、1000年以上の周期のものは調べようがない。

貞観地震(869年)が注目されるようになったのは東日本大震災の後や。どうやら周期的なものらしいが、「あと1100年ぐらいしたら気をつけた方がええ」という、真にのんびりした話や。

兵庫県南部地震(阪神大震災)のように、周期があるのやらないのやらハッキリせんものなんかは、完全にお手上げや。来る時は、いきなり来る。少なくとも、「いきなり」に見える来かたをする。

仮に、全ての地震の震源でのマグニチュードが実用レベルで予知できたとしても、そこから特定地点の揺れや被害を予想するのは、もうひとつ大きなハードルがある。地震の規模から、特定の地点(この話では原発)の揺れを推定する。

兵庫県南部地震で見られたベルト状の被害地域「震災の帯」の成因は、地盤が関連しているらしいことは、わかったが、詳しいメカニズムはわからずじまいや。

ワシも、震災直後から神戸の町を随分と調査したが、実感として10m歩くと被害の様相が変わる。鉄筋のビルが倒壊している横で、古ぼけた木造住宅がほぼ無傷やったりする。阪神大震災を象徴する被害と言える阪神高速高架の倒壊にしても、縦揺れが関与したかどうか、という基本的なことさえ分かっておらん。

つまり、震源と地震の規模が分かっても、それで、どんな被害がどれだけ出るかを予知するという困難な作業がいる。ワシの実感としては、震源の予想より難しいと思う

さらにもう一つ困ったことに、福島第一の事故で活断層がどう関与したのか、公式の報告がない。「あれは津波の事故」と言い切ってもらえれば、地震学者は既存の安全基準に基づいて再チェックをすればええだけや。逆に活断層が関与したというデータがあれば、それに基づいて新たな安全基準を作ることになる。

そやから、福島の話がハッキリせんうちは、規制委は、世界中に過去の事例のない「活断層による原発事故」を想定して、安全か危険か判断せんとあかん。これは辛い。

つまり、島津センセとしては、分からないことが山積する中で判断を迫られているわけや。こうなると、学者としてできることは、敷地の断層をつつき回して、「危険かも知れませんよ」と呟くことしかない。

川内原発に関する噴火リスクについての、藤井センセの見解【ロイターやけどリンク切れなので、こちらを引用】も同じや。結論は、「川内原発の運用期間中に、破局的噴火が起こ
るかどうかについて『起こるとも、起こらないとも言えない』」。要は分からんということや。

誤解の無いように付け加えておくけど、地球科学界の重鎮がそろって再稼働に反対しているというわけではない。あくまで科学者としての責任論や。再び藤井センセの言葉を引用する。

科学は、わからないというところから始まるので、いつまでたってもわからない。宇宙の始まりだってそう。ところが工学の世界は別。境界条件を人為的に決めて、この範囲内では分かると断定する。工学は自ら神様になるが、理学はいつまでたっても神様は別のところにいる

理学(狭義の「科学」)と工学の発想の違いや。同じ東大地震研究所出身の中田節也教授はもっとこれをわかりやすく説明してはる。「正直に言えば、多分起こらないと思う。だが、リスク評価である程度の確率がある以上、危ないでしょうと言わざるを得ない」

こういう立場の科学者に、「審査を通す気がないのでは」とか「リスクの確率を数字で示せ」と言うのは酷な話や。分からんものには「分からん」としか言えん。

話を島崎センセに戻す。この「分からん」という判断について、センセには特別な想いがあるはずや。なにしろ、東日本大震災のときの地震予知連会長やからな。

気の毒がってか誰も、「無能学者」とか「税金泥棒」とかの言葉を投げつけたりせんかったが、結果的に、自分たちは無能で泥棒やったと言われてもしかないことは、センセ本人が一番分かっておられたはずや。

引退(どころか相撲流に言えば廃業)の身のワシのような者でさえ、ものすごい敗北感を感じたのは覚えている。ワシらが追いかけていた地球科学とは、この程度のシロモノやったんやとな。

ここから先はワシの推量や。妄想やと思ってもうてもええ。その島崎センセは、地震の恐ろしさと分からなさを、身にしみて知る研究者として、規制委の仕事に向かわれたはずや。それだけに、安易に、学者として安全のお墨付きを出すことは、出来んかったんやと思う。

以前、再稼働は博打でしかできんと、ワシは書いたが、どうやら、そのオッズ(おそらく低いやろけど)が分からん。最先端の地球科学者でも分からんとしか言えん。で、どうするのか、というのが最大の問題や。

今日はこれぐらいにしといたるわ。

帰ってきたサイエンティスト
山城 良雄