著作権について思うこと。その2 --- 中村 伊知哉

2014年06月16日 08:38

著作権政策に関するお話、最初の問題意識に立ち返ります。物事を解決するアプローチのことです。まず「行政」重視について。

著作権行政では、権利側と利用側の利害を調整するスタイルがとられます。文化審議会の場で、延々と時間をかけて意見調整が図られます。これはそもそもムリだろうと思います。著作権ルールが生煮えで、互いの土地が柔らかい時期はよかったかもしれませんが、時間をかけてあれこれ努力した結果、しきたりはできあがり、地面は硬くなっていて、それをさらに個別に掘り返して線引を変えるなんて、小さな案件でもコストがかかります。


ぼくが通信や電波の行政に身を置いていたからそう感じるのかもしれません。その世界では、たとえNTTやKDDIやソフトバンクが猛反対しても、実施すべきと考えれば総務大臣は断固決定するからです。無論ユーザが反対しても決断することもあります。それらが実行できるかどうかは政治=国会を舞台に力勝負となりますが、行政の決定は大臣の意思として行います。

著作権行政はコンセンサス行政が基本です。だからまどろっこしい。それなら民民の契約に委ねるスキームとするか、司法に判定してもらうか、立法で多数決取ってもらうか。そのほうがよくね?というケースが増えています。

典型例が録音録画補償金。簡単に言えばハードウェアからコンテンツへの利益還元策です(という見方はよく否定されますが、ぼくはそう見ています)。その制度が死に体になっていて、どないするかの議論のためさきごろ文化庁にWGが設置されました。これも従来の方式では展望がありません。

議論はもう10年近く続いています。2005年の文化庁の会議にはぼくも参加しました。そのときには、ハードディスクなどを対象とする政令改正がギリギリまで煮詰められ、改正文案までできていました。

その最終局面でぼくは、それでダメなら、権利者側は行政を蹴飛ばして、行政訴訟を起こすか、議員立法に立ち向かうか、小学校で習った行政と司法と立法の三権を使いこなすのが大人ではないかと迫ってみました。

結局その際、権利者側は、ぼくのような子どもの意見は聞かず、「より大人」な態度を見せ、最後までケンカを通すことなく収めました。要するにメーカー=経産省の勝ちです。ぼくはその時点で本件は未来もノーチャンスと見て、議論の場から離れました。

それから議論は延々と続き、権利者とメーカーとの訴訟も起き、結局行政は議論の場を与えることを続けています。またしてもWGの設置。文化庁の態度は実に正しい。10年でも20年でもその行政需要を殺さなければ、いつまでも仕事が続きます。役所のビジネスモデルです。

要するに時間コストがかかりすぎる。これが著作権制度を巡る最大問題です。じゃあ行政での解決はムリか。そんなことはないと思います。知恵はあるはずです。この件については改めて話します。

電子書籍をめぐる出版社の権利も議論になりました。知財本部でも長い時間をかけて話し合われました。本件はようやくコンセンサスに至り、文化庁が出版権を認める方向で法改正に至りました。ぼくは「契約」で解決すればいいと考えていましたが、法制度としても契約をベースにする制度案とする方向となり、いい解決に向かった例だと思います。それでも電子書籍元年から4年、時間がかかりすぎています。制度に頼るからだと考えます。

フェアユースに関しては、2012年に法律が成立しました。ただ、これも知財本部の議論から文化審議会の議論を経て、やっと制度として実現したのは、映り込みの処理など、もともと裁判などでもフェアとされていたものであり、限界事例を追認したにすぎないとされています。中山信弘先生は「骨抜き」と痛烈に批判しています。これもコンセンサス行政だから仕方なくそうなるという実例でしょう。構造上の問題だと考えます。

(つづく)


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2014年6月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。

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