買えないものには値段はない

2014年06月17日 11:30

日本株式市場の長期低迷の裏には、多数の要因の複合的作用があるのだろうが、一つの重要な要素は、被買収に対する経営陣等の否定的対応であろう。


ところで、アート愛好家の大金持ちは、美術館などには敢えて行かないのである。理由は簡単だ。美術館の展示物は、買えないからである。

美術館にある国宝級の絵画には、非常に大きな価値のあることは間違いないが、だからといって、高い価格が付くことはない。そもそも、市場がないからだ。一方、ギャラリー(画廊)は、もともとアートを売るのが商売である。そこは、アートの市場である。だから、大金持ちは、美術館に行かずに、ギャラリーに行くのだ。買えるからである。

買えるということ(同時に、売れるということ)、これは、当然過ぎるほど当然な市場の基本要件である。買えないものには、市場で値が付かない。どれほど価値があっても、価格は付かない。ところが、市場では価格が問題なのである。

株式市場に自己の株式を上場しておきながら、事実上、買収できないような状態に置くことは、アートを美術館に収蔵するようなものではないのか。そのような企業にも、社会的な価値がないわけではない。もしかすると、国宝級の価値のある企業もあるのであろう。世界中の企業が見学に来るのかもしれない。しかし、だからといって、その企業の株式に、まともな株価が付くかどうかは、疑問である。

投資家は、美術館で絵を鑑賞しているのではない。ギャラリーで絵を物色しているのだ。企業経営者は、少なくとも株式を公開している以上は、ギャラリーで評価されるように努力しなくてはならない。美術館で感心されるように経営したいなら、非公開化すべきである。しかし、非公開化もまた、自分自身による買収であろう。

要は、自分自身による買収だろうが、他人による買収だろうが、株式市場から、株式が吸収されていく仕組みが明確でない限りは、株式市場としては、機能しないということである。ここに、日本の株式市場の大きな問題点があるのだ。

ところで、美術館の絵にも理論価格をつけることはできる。買えないから市場価格はないのだが、鑑賞に供して得ることのできる観覧料の将来にわたる総額の現在価値として、理論価格をつけることはできるのである。

同様に、買収できない企業の株式に投資価値がないかといえば、そうでもない。価値がある限りは、価値を投資収益に還元できないはずはない、そのように思考することが、資本主義の原点としての投資の基本姿勢なのだ。

そこで重要な意味をもってくるのが、配当性向である。買収可能性をめぐる問題と並んで、日本の株式市場の問題性として指摘されてきたのが、この配当性向である。買収もできず、配当ももらえないならば、株式としての魅力はない。ここに、日本株式市場の根本的問題がある。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
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