同じワーカホリックだった「同志」の死を考える --- 岡本 裕明

2014年06月24日 16:21

ある友人が亡くなりました。54歳。バリバリのやり手でした。病名はALS, 筋萎縮性側索硬化症という難病で3年間の闘病生活の末でした。今日はやや感傷的なブログになりますがお許しください。

この友人とは思い出があります。


彼とは同じフィットネスクラブに通っていました。彼はウェイトトレーニングを、私はグループエクササイズでした。共通点は二人ともクラブがオープンする朝6時から週3~5回行っていたことでしょうか? いわゆる北米の健康的な朝型のライフをエンジョイしていたわけではなく、彼も私も日中や夜は忙しくてエクササイズなどしている暇がなかったのです。で、仕方なくまだ皆が起きだす前からフィットネスをせざるを得なかったというのが真相です。

ホテル業界の彼と不動産開発の私の仕事の接点はあまりありませんでした。が、5年ほど前に氏から新しくできるホテルの駐車場の運営を頼まれました。私どもは注意深く検討し、ホテルと駐車場の特性を踏まえた上でプロポーザルを行いました。もちろん、ホテル側の総支配人以下主要スタッフとも十分な討議を重ねた上でのことです。

そのプロポーザルは若干の変更を経て受諾され、私はマネージメント契約にこぎつけました。双方、握手で新たなるスタートを祝った瞬間でした。ところが現場のマネージメントは過去のしがらみで別のマネージメント会社を入れたかったようで契約を締結した我々にあからさまの嫌がらせを行いました。つまり、全く協力姿勢を見せないのです。酷い状態でした。もしも我々の運営に非があるのであればそれは素直に受け入れます。が、何もしないうちから妨害されたのです。

熟考の末、私は彼のところに出向きます。そしてこう伝えたのです。「契約をさせていただいたが、現場は当社を受け入れるつもりがないようだ。現場とのハーモニーが作れないのであれば残念ながら当方のサービスを十分提供することができないので契約破棄してもらいたい」と。彼は「待ってくれ」としきりに抵抗しましたが、ほどなく彼も現場の態度に気が付いたのでしょう。彼から「今日は二人で思いっきり飲みましょう」と誘われ、悔しさいっぱいの深酒をしたことを覚えています。今思えばお互い熱かったと思います。

亡くなる2週間前その彼の見舞いに行った時のことです。酸素吸入器を付けた彼の周りにはホテル会社の社長をはじめ、インテリアデザイナーさんらが所有ホテルのリノベーションのプレゼンテーションを行っています。挙句の果てにわれわれにもカーペットのサンプルを持たせ、どれがよいのか真剣に議論している彼を見てただただ驚くばかりでありました。

社長さんたちが出ていった後、彼がポツリと「僕は最後の最後までこうやって仕事をさせてくれる機会を与えてもらえて幸せだよ」といったことがあまりにも印象的でありました。

54歳という仕事盛りの歳、おまけに彼と私はワーカホリックであった「同志」であります。その彼が死ぬ時まで仕事ができてうれしいといったその一言に彼は満足して永眠したのだろうと確信を持っています。

今日、車を運転していて交差点の一番前に止まった際、無数の人々が横断歩道を渡っていく中、一人ひとりの顔をじっと見ていました。70億の人類が70年なり80年なりの人生を送り、次の世代に伝えていくという継承の中、はかない人生を懸命に強く、生きていく人がどれだけいるのだろうかと。

我々は時として時代に流され、流されることに心地よさを感じることもあります。ですが、私は滑り台をストンと落ちるより懸命に掴まって落ちないように突っ張っていきたいと思っています。この友人は54歳ながら多分、懸命につっぱり普通の人の一生以上の濃さをエンジョイしてきたことでしょう。

生きているわれわれはもっと日々の生に感謝し、悔いのない時を過ごさねばならぬと改めて考える次第です。

良き友人に合掌。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年6月24日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。

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