日本史の必修化と歴史を学ぶことの面白さ --- 西村 健

2014年07月05日 11:42

今年初め、政府が高校での日本史の必修化を検討していることが明らかになった。現在、高校の社会科は学習指導要領改訂によって「地理歴史」と「公民」に分割され、「地理歴史」では世界史が必修、日本史と地理は選択制となっている。

何かを選択するということは何か(機会)を失うことになる。現在は選択科目の日本史。自国の歴史を理解している人材を育成すべきだとの政策意図には大変感動した。ただし、必修化にすることも大事だが、同時に教科書が興味・関心をそそるものにし、授業内容もその教師の教え方も改善すべきではないかと考える。


世の中には様々な意見がある。国際化の中でこそ自国の歴史への理解が欠かせない、いや中学レベルで十分、日本史など知らなくても海外では困らない等々。

国際派の識者からよく発言があるのは、日本人は日本のことを知らない、説明できないという意見だ。経験則に基づいたこの意見は、とても多くの共感を生むし、説得力がある。しかし、日本史を学んでも、結果として知識の記憶に終始してしまえば、意味がないし、学び方次第で大きくその効果が変わってしまう。

日本史教育の問題点は3つある。

第1に、事実(とされているもの)を追うことが中心になっている。たしかに、脳の構造を考えると20歳前に知識を記憶するがいいことは確かだが、細かいことを覚えさせすぎているように見受けられる。

権力者の細かい名前より、その人物がどういった意思決定を行い、どういった背景であって、歴史的にどういった意義があるのか、そして、それはなぜかを知り、理解することのほうがよっぽど大事である。細かい知識の記憶が多く、日本人や日本社会がどのように成立していったのか、全体像が見えない。

日本史は有史以来悠久の歴史を持つほど膨大である。どこかで折り合いをつけないといけない。知識の記憶中心主義は子供が楽しく学ぶ可能性を減じている。

第2に、政治中心の、「偉い人」「優秀な人」中心主義である。素晴らしいリーダーも多かっただろうが、他方、名も知れない先人たちが一生懸命努力し、この社会を生き抜いて、子を育ててきた。仁徳天皇の古墳はとても素晴らしいが、こうした建造物は大変なプロジェクトによって建築された。大阪城や姫路城などの名城もそうである。

名もなき多くの人々がどのような役割を果たし、どのように苦労し、頑張ったのかへのリスペクトがあまり感じられない。安土城を作ったのは織田信長だけではない。現実に、この人間社会は誰もがヒーローや偉人になれる社会ではないが、権力者だけが注目される歴史は歪んでいないか。

第3に歴史を学ぶ上の前提を伝えきれていないこと。歴史というものを学ぶには色々と注意することがある。歴史は我々が住む時代の価値観とは切り離せなく、既存の価値観によって解釈・評価されがちである。

徳川綱吉が偉大とされる時代はいつか将来にくるかもしれない。他方、後醍醐天皇を支えた忠臣である楠木正成は現代ではあまり尊重されていない。

また、権力者によって操作されやすく、お隣の国ほどではないにしても、一部は書き換えられている可能性がある。田沼意次は本当に「悪い」人だったのか。その前後の権力闘争によってイメージは塗り替えられる。また、田沼意次についても歴史論争というものがある。1つの出来事、1人の人間の業績を多面的に見ること、つまり、歴史に正解はないということを感じてもらうことこそ重要なのだろうと思う。

「歴女」「古墳ブーム」など最近、歴史が注目されている面もある。

しかし、歴史名所の看板をまじまじと読み込む人は訪問者の1割もいない。各地の地域の資料館は訪問者も少なく、どこも閑古鳥がないている。教育内容が変わらなくては意味がない。私のような歴史好きではない、博士号を取りたいと思っていない人向けに、歴史にいかに興味を持ってもらえるかが歴史教育に問われている。

日本人とは何か、どのように成立してきたのかを楽しく学ぶことで、今の自分たちを支えてくれるものがどこから来たのか、先人たちがどういった苦労をしたおかげで今の我々があるのかを考えるきっかけになり、また先祖への敬意も増すだろう。ただし、ある国のように、歴史に感情を埋め込むようにならないように注意が必要だが。

西村 健
日本公共利益研究所 代表

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