SIMロック狂騒曲と携帯端末メーカーへの鎮魂歌

松本 徹三

Sonyにはなお若干の可能性が残されているかもしれないが、日本の携帯端末メーカーは世界市場ではほぼ完全に死に絶えそうな状況だ。


スマホの浸透に伴って世界の携帯端末市場は一変しつつある。Nokiaのシェアの一部を蚕食出来たかもしれなかったLGや台湾メーカーのHTCも難しい状況である上に、最近はiPhoneだけでなく、Samsungさえもが一時の勢いをなくしているようだ。勢いがあるのは中国メーカーだけで、Huawei、ZTE、Lenovo、小米(Xiaomei)、酷派(Coolpad)、TCL、Hisence等々が代表格だが、その他にも何十社ものメーカーがある。多くの発展途上国では、流通チェーンを抑えた現地会社が、中国の中堅以下のメーカーに価格を競わせて、自社ブランドを一気に立ち上げているケースも多くなってきた。

日本の携帯端末メーカーは、Ericssonとの合弁で世界市場で或る程度の販売チャンネルを確保してきたSonyを除き、現時点ではほぼ世界市場を諦めたようだ。各メーカーの責任者は「まだしばらくは日本市場で細々と食いつなげるだろう」と考えて、その日暮らしをする以外の将来戦略を持っているようにはとても思えない。そこに、全く意味不明の「SIMロック禁止令」が、事もあろうにせっせと税金を払ってきた自国の政府の手で出されようとしているのだから、泣きっ面に蜂というところだろう。

私は長らく世界の携帯通信業界に身を置き、色々な悲喜劇を見てきたが、日本国内でのSIMロック議論ほど奇妙奇天烈な話には遭遇しなかった。「技術の流れ」や「業界の仕組み」をあまり分かっていない人たちが色々なことを言っているようだが、この人たちの言っている事は、「SIMロックを禁止すると通信事業者の支配力が弱まり、従ってユーザーの選択肢が広まって、安い端末や安いサービスを受けられるようになる」という事なのだが、何故そうなるのかについては全く説明がない。考えてみれば、この二つの事にはもともと因果関係がないのだから、説明が出来ないのは当然だ。

はっきりしている事は、このような法令が実際に出ると、通信事業者はあまり痛くも痒くもないだろうが、「日本市場だけを最後の心の拠り所にしている日本のスマホメーカー」は遂に命綱を絶たれるという事だ。

韓国では十数年前に、端末機のサブシディー競争に音を上げた通信事業者(特に顧客ベースが小さい為にサブシディーに使う原資が乏しい後発事業者)が政府に働きかけ、これを聞き入れた政府が「若者が前後の見境もなく次々に新しい機種に乗り換えていくのは不健全だ」という大義名分で「サブシディー禁止」の政令を出した。

ところが、その途端に韓国内における端末機の売り上げはみるみる激減したので、今度は、まだその頃には現在程強くなかったSamsungやLGが悲鳴を上げて、政府にこの政令を取り下げてくれるように陳情し、実際に取り下げられた。しかし、今回の日本の場合は、もはやそのような時間の余裕はなく、日本のスマホメーカーは悲鳴を上げる前に安楽死を迎えているだろう。

世界の携帯電話業界は「端末機の値下げで市場規模が広がり、この為に更なる端末機と通信料の値下げが可能になり、それがまた更に市場規模を広げる」という好循環で拡大を続けてきた。市場拡大の主戦場になった発展途上国では、通信料が「毎月の後払い」では、払ってくれるかくれないか分からないユーザー層が多くてやっていられない為、殆ど全てが「前払い(プリペ)」である。

これに対し、日本ではユーザーの信用レベルが高いので、殆ど全てが「毎月の後払い」である上に、早い時点から携帯電話機で「通話」や「短いメッセージのやり取り(SMS)」以外の色々な事をやる文化が育ったので、高機能端末が普及した。しかし、高機能端末は当然値段が高いから、それを一括で払えと言えば二の足を踏む人が多いだろうという考えから、実質的に2年(24ヶ月)月賦のような感じになる値段の建て方が、「販売奨励金制度」と銘打って、業界の主流になった。

月賦となると、割賦代金は毎月の通信料と一緒に「通信料の一部」のような形で払って貰うのが一番スムーズになるので、そのような形になったし、そうなると、今度は「24ヶ月使う事なく、従って、通信料の一部になっている端末機の月賦部分を払わないで逃げてしまうユーザーもでてくるだろう」という危惧が生まれ、それを防止する為にSIMロックというものが考えられた。つまり、SIMロックというものは、別に通信事業者が「顧客囲い込み」の為に考えたものでなく、「高価な高機能機を出来るだけ多くのユーザーに買って貰おう」という工夫から生まれたものなのだ。

確かに、「現在の通信事業者は、そんな高機能を求めない人たちにまで、無理に高機能を押し付けているのではないか」と考える人たちも多く、それは或る程度は当たっているかもしれない。しかし、それなら、こういう人たちにとって一番良い方法は、安いプリペ端末を買って貰う事ではないだろうか? プリペは文字通り先払いなので、勿論SIMロックなどは要らない。事業者を頻繁に変える事も可能だ。海外に行けば現地の安いプリペカードを使うのも容易だ。中国製のスマホは、既に15,000円を切るものが出てきているので、これなら一括払いも苦にならないだろう。最近は一台で2枚のSIMカードをサポートする機種も多いので、ボタン一つで通信事業者を頻繁に変えたい人は、そういう機種を選べば良い。 

こう言うと、「通信事業者がそういう機種を積極的に売るべきだ」という人がいるかもしれないが、これは筋違いな要求だ。

日本では、欧州等と異なり、通信事業者が当初から積極的に端末機の流通に関与し、店の看板もテレビ宣伝も通信事業者のブランドが主になっているが、制度上は誰でもが何時でも自由に参入出来る。通信事業そのものは認可事業だから、総務省から認可を受けた事業者しか出来ず、色々な規制もかけられて当然だが、端末の販売の方は、たまたま通信事業の「兼業」が現在主流になっているというだけの事で、元々総務省があれこれ言う立場にいる業界なのかどうかさえもが疑問だ。

「具体的にどういう端末を売るか」「どういう価格戦略をとるか」等々は、勿論、販売業者が自由に決めて良い事なので、たまたま「端末販売業」を兼業している通信事業者も、量販店のように「機器類の販売」を主たる事業にしている人たちも、或いは全くの新規参入者も、それぞれに自分たちの利益を最大化するやり方を考えればよい。これが資本主義体制下での「自由競争」というものだ。

現実にバングラデシュでは、私も驚いたのだが、1年前には見た事も聞いた事もなかったSymphonyというブランドが、わずか1年でSamsungを抜き、「現時点で最も認知度の高いスマホのブランド」になった。或る地元の事業家が、わずか1年で全国に1,000店舗もの販売店を展開したからだ。この事業家は、中国メーカーから何種類かの格安の機種を買い上げ、Symphonyのブランドをつけて、Symphonyの看板を掲げた店で売っている。「SIMロックさえ外せば、多くの人が求める安価な端末市場が日本にも出現する」と夢想して、盛んに喧伝している人たちには、むしろこういう努力をして頂いた方が、世の中の為になるだろう。

このように話を進めてくると、多くの人たちには、「そんな事なら、何故総務省がこんなにもこの問題に熱心なのか?」という疑問がわいてくるだろう。それについては、過去の出来事を身近に見てきた私には、或る程度の推測が出来る。

先ずは、「世界の先頭を走ってきた筈の日本の携帯電話機が、何故世界市場では売れないのか?」という事が問題になり、犯人探しが始まった。その時に、実業をやった事のない学者先生や評論家の先生の中で、「日本では通信事業者が機器メーカーより力を持ち、色々な特殊仕様を押し付けるので、メーカーが自由に競争出来なくなっている」という議論が盛り上がったようだ。そして、SIMロックが、何故か「その特殊仕様の典型例」であるかの様に論じられるにまで至った。

この話に深入りすると長くなってしまうので、詳細は次回の記事に譲るが、誰が考えてもこんな話は辻褄が合わない事は分かるだろう。メーカーが本気でメーカーとして生きていく気があるのなら、日本市場では買ってくれる通信事業者の要請に従い、日本以外ではその市場が求めるものを作って売ればよいだけの事だ。「日本では変なものを買ってくれる気前の良い人たちがいたので、日本の外で普通の人たちに普通のものを売ることが出来なくなってしまった」などという言い訳は前代未聞だ。まして言わんや、SIMロックは世界中でやっている普通の仕組みで、別に「変なもの」ではない。

これだけの事なら、話は大きくはならなかったのだろうが、ここで突然ドコモが総務省に同調し、「SIMロックは怪しからん」と言い出したので、話はややこしくなった。

私は当時ソフトバンクの副社長だったので、ドコモの経営幹部とはこの件については電話で話し、お互いの意見に相違はない事を確認していた。だから、或る公的な会議でドコモが突然豹変したのには驚いたが、豹変の理由はすぐに分かった。当時ドコモ社内では、自らは取り扱わない事に決めたiPhoneをソフトバンクが独占的に扱って、自社の顧客を奪いつつある事に危機感を募らせており、「それならソフトバンクが売ったiPhoneのユーザーにドコモの通信回線を使わせて、黙って通信料だけ頂く方法はないものだろうか」と考えたようだった。

この為、ドコモは自社の端末は全てSIMフリーにするという新方針までも急遽打ち出し、「自由化を推し進めるドコモ」対「自由化に抗うソフトバンク」という図式を作り出したかったようだったが、iPhoneに全ての経営資源を注ぎ込んで勝負に出ていたソフトバンクが、そんな筋違いの話に乗れるわけはない。結局その時点ではこの議論は先送りになったが、そのうちにドコモ自身がApple社の軍門に下ってしまったので、今となってはどうでもよい話になった。但し、鳴り物入りで売り出したドコモのSIMフリー端末で、実際にSIMを取り替えたユーザーがどれだけいたかについては寡聞にして聞かないので、出来ればこの数字は公表して欲しい。

既に話が長くなってしまったが、若干関係のある事でもあるので、最後にMVNOの事についても少しだけ論じておきたい。膨大な設備投資が必要な通信事業者自体は、どうしても寡占体制でしか成り立ち得ないが、「寡占の弊害が生じるのを少しでも牽制する為に、MVNOを育成しよう」という考えは間違ってはいない。また、通信事業者がMVNO業者に不公正な条件を押し付けないように、総務省が種々の規制を設ける事もあってよいだろう。しかし、ここでも、MVNOの将来には、過大な期待は持たない方が賢明だ。

MVNOはMobile Virtual Network Operatorの頭文字をとったものだから、あたかも「新しいタイプの通信事業者」であるかのように考える人がいるかもしれないが、これは間違いだ。MVNOは実質的には「端末やサービスの販売業者」であり、「販売コミッションでなく、通信料収入に連動する形で収益を得る」形をとるという事だけだ。

この形態は、通信事業者がゆったりと構えて大名商売をしていた時には大いに意味があったが、携帯通信事業者3社が生き馬の目を抜くような凄まじい競争をk繰り広げている現在の日本では、あまり大きな変化をもたらす事にはなりにくいと思う。「機敏さ」や「柔軟性」が「規模のメリット」を打ち負かす事はあっても、「機敏さ」や「柔軟性」が同じなら、「規模のメリット」を持っている方が有利なのは当然だからだ。

勿論、イオンが手掛けているように、「データ通信の品質等はどうでもよいユーザー層」にターゲットを絞って、「あらかじめ細切れに分割された回線を安く仕入れて、その分だけユーザーに対する回線コストも下げられるようにする」等というのは、一つのニッチ戦略としてはあってもよいだろう。もし私の理解に間違いがなければ、この細切れ回線戦略は、今はソフトバンクグループの一員になったWilcomの技術者が開発したものだと思う。

さて、この記事を書き出した動機の一つは、山口巌さんが7月8日付けで出しておられる「通信業界の地殻変動が企業を直撃する」という記事に反論する事でもあったが、今回は紙数が尽き、この記事の大部分(特に光回線の卸売りの問題等)にはとても言及する事が出来なかったので、次回の記事であらためて言及させて頂く事にしたい。