集団的自衛権とマッカーサー元帥の「老兵は死なず」演説

2014年07月12日 07:39

今から70年前の1944年7月。

ルーズベルト米国大統領はマッカーサー元帥をハワイに呼び寄せ、日本を全面降伏に追いこむ最終作戦を策定し、マッカーサーをその実行責任者に任命した。

ウエストポイント(米国陸軍士官学校)をトップの成績で卒業し、米国陸軍史上5人しかいない元帥にまで昇進したそのマッカーサーも、1951年4月の米国両院議会での朗々たる「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」演説で52年にわたる軍務に幕を閉じた。


63年前のこの演説は、今日でも日本の自衛のあり方に多くの示唆を与える演説であった。

曰く、

中国大陸での変化を理解するには、過去50年の中国人の気質と文化の変化を理解しなければならない。50年前までの中国は均質性を持たず、互いに意見が対立するグループに分かれていた。ところが、均質性を高める努力が行われた結果、民族主義的な衝動が生まれ、いまでは、より支配的で攻撃的な性向を持つ統一した民族主義の性格を帯びるという事態に至っている。

と、この演説の2年前に樹立されたばかりの中華人民共和国の拡張主義を当時から見抜き、更に続けて、

略奪的な攻撃の進路上にあるシーレーンの制海権とその上空の制空権を確保するための海軍力と空軍力の優位と、基地を守るある程度の陸軍部隊を擁していれば、太平洋の友邦への大規模な攻撃は、すべて失敗に終わるであろう。

とシーレーンにライフラインを握られている日本の防衛のあり方にも有用な示唆を与えている。

この指摘は、南シナ海での領土拡大策を採る中国とその脅威に晒される諸国との争いの激化も的確に予測しているが、7月10日の「フィナンシャル・タイムス」紙の「米国・中国の海軍力拡張に対抗」と言うトップ記事は、毎年530兆ドルもの巨額な物資が行き来する南シナ海が、中国の拡張政策やサイバー窃盗で脅威に晒されている事を取り上げ、「中国の南シナ海に対する執拗な拡張政策に対抗するため、米国はこの海域で海空両軍の偵察力を高めるなど新たな軍事戦術を打ち出し始めた。ある米国海軍高官は『中国の南シナ海に於ける拡張政策に対抗する米国の努力は、これまで何の効果も齎さなかった』と語り、「大掛かりな戦闘に発展させる事を避けながら中国軍による止む事の無い拡張政策を封じ込める戦略の策定に着手した」と伝え、マッカーサー戦略の重要性を再確認した内容であった。

この演説は又

米国の防衛線は、いかなる相手に対する攻撃も想定しておらず、進攻作戦に不可欠な要塞も備えていないが、基地を適切に維持すれば、侵略に対する無敵の防御手段となる。然し、非友好的な力によってこの防衛線が一部でも破られれば、ほかのあらゆる主要部分が決定的な攻撃を受けることになる。

と指摘し、東アジアに立憲民主主義を否定する体制国家が存在する限り、沖縄のような基地が平和を維持する為に果たす役割の重要さを強調している。

マーカーサー演説の数ヵ月後には、日本政府(吉田内閣)は当時の学界や知識人の主流派の圧倒的多数の単独講和反対論を押しきり、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約の署名に踏み切った。

連合国がこの条約で、日本が主権国として国連憲章が認めた個別的自衛権または集団的自衛権を有することと、集団的安全保障の取極めを自発的に締結できることを承認した事も重要な事実である。

歴史には「ればたら論」は意味ないが、「北海道の分割統治」など厳しい対日要求をしていたソ連などに配慮して単独講和を拒否し続けた学者や知識人の多数派の意見を取り入れて、吉田首相が単独講和を拒否していたら、日本の運命はどうなっていたかと思うと、指導者の決断の重大さを改めて認識する。

ましてや、日本との単独講和に署名しなかった各国も、1952年1月のユーゴスラビアを筆頭に続々と日本との講和に応じ、1972年の日中国交正常化を最後に旧交戦国との講和は略完了し、実質的な全面講和が実現する事となった。

この事を、全面講和論を主張した学者や知識人は何と説明するのであろうか?

単独講和反対論の反省が未だにされてない事も、日本の「自衛権論争」が混沌とする一因に思えてならない。

それにも拘らず、全面講和論はその後も展開され、「憲法第九条」が日本の平和を保証して来たと言う論議に引き継がれる。

私も「第九条」の掲げる理想主義の実現を希求する一人だが、各国が国益の拡大を求めて激しく争う厳しい国際政治の中で、「憲法第九条」が水戸黄門の「葵の紋」のような効果を上げた来たとは信じ難いし、その具体的な証拠も見当たらない。

今になって急に騒がれるシーレーンだが、これまでも決して平和な海ではなかった。

誰もが知るインドシナ半島の争乱を筆頭に、戦後のマレーシアでは中国系とマレー系の対立による大規模な殺戮や永年に亘る共産ゲリラとの争闘が続いた。

戦後の日本が直面した最大の反日感情は、韓国でも中国でもなくフィリピンであったが、そのフィリピンでは、ルイス・タルクの率いる共産党指導下の抗日組織であるフクバラハップと政府軍との戦闘が繰り広げられ、これに脅威を抱いた米国の軍事援助を得たフィリピン政府は、何とか共産党とフクバラハップを壊滅に追い込んだが、それに替って起きたミンダナオ島を中心とする回教武装集団との和平は未だに完了していない。

フィリピンに次いで反日感情の高かったインドネシアでも反中国人暴動や東チモール独立運動、回教徒が多数派を占めるアチェの武装抵抗など騒動が尽きない。

このような政治社会情勢に囲まれた日本の生命線を握るマラッカ海峡は、ソマリア沖に継ぐ危険な海峡といわれている。

日本を取り巻く、このような一触即発の危機的状態を大爆発無しに抑え日本の安寧を保証して来た物は、国連憲章が認めた個別的自衛権または集団的自衛権を各国が夫々の国益を守る為に工夫したお陰であり、「憲法第九条」のお陰だとははとても思えない。

日本が守るべき究極の目的は、未だ成長過程にある日本の立憲民主主義を育て発展させる事であり、「非武装中立」と言う手段にある訳ではない。

全体主義国家も「憲法第九条」を尊重すると言う担保が無い限り、集団的自衛権の保持と行使の権利こそが、日本の立憲民主主義を守り国民の自由を保障する唯一の手段であると言う事実を、マッカーサー演説から学んだ気がする。

2014年7月12日
北村 隆司

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