日本の携帯端末メーカーの悲劇

松本 徹三

前回の記事でも申し上げた通り、Sonyに残る若干の可能性を除いては、日本の携帯端末が世界市場で或る程度のシェアを獲得する可能性はほぼなくなったと見るのが正しいだろう。Sanyoを吸収した京セラが米国を中心に若干は頑張ってきていたし、私自身はSharpにもまだ或る程度の可能性はあると思ってきたが、今後の巻き返しは望み薄のように思える。


理由は只一つで、どのメーカーにも、世界市場での競争にチャレンジしようという「強い意志」が見られないからだ。日本以外の市場では既に「負け癖」がついてしまっていている為に、「抜本的にやり方を変える事」を考える意欲すらが湧かないのだろう。「そんな事をしないでも、国内で細々と食いつないでいれば、事業部が解体され、自分が新たな職探しをしなければならないような事態は回避出来る」と考えてもいるのだろう。

よく考えてみると、これは日本人としてはとても残念な事だ。何故なら、これを諦めるという事は、「人間が常に身に付けているデジタル機器」の分野から、そして「将来の全ての家電をコントロールする機能」から、総撤退する事を意味するに等しいからだ。

その昔Apple(Steve Jobsがいなかった頃と記憶するが)がPDA(Personal Digital Assistant)と銘打った端末を開発し、PDAという言葉は普通名詞になった。SharpもザウルスというブランドでPDAを開発販売し、一時はそこそこの人気を集めた。携帯電話機の進化形として定着した現在の「スマホ」には、将にこのPDAという言葉がぴったりくるような気がする。「誰でもが常時身につけていて、その人に代わってあらゆるデジタル処理をしてくれる」というこの言葉の意味は、将に現在の「スマホ」そのものだ。以前のPDAと大きく異なるのは、電話を含む高度の通信機能を備えた事と、通常のカメラ、携帯オーディオ機器、携帯ゲーム機等の機能を全て吸収した事だ。

誰にでも常時携帯して貰うには、小さくて軽い事が絶対に必要だ。しかし、機能が如何に大きくなっても、必要な部品は限られているので、これは十分に可能だ。

必要な部品は何か? タッチパネル方式の「ディスプレイ」、職業的な機能を省いた「通常のカメラ(ビデオを含む)」、各種の「センサー」、通話にも音楽を聴くのにも使える「オーディオ」、通信処理やグラフィック処理を含めた多くの役割をこなす「CPUとその周辺のデジタル回路(SOC)」、或る程度の容量を持った「メモリー」、「アンテナとアナログ無線回路」、「電池」、等々、主なものはこの程度だろう。

このような部品群を適当に配置して、ソフトウェアで時に応じて色々に使い分ける事が出来るようにしておけば、「万能機」が出来上がる。一番安い部品を組み合わせれば、材料費は30ドル程度で済むだろうし、一番高いものを組み合わせても、300ドル程度で済むのではないだろうか? コンシューマー向けの商品としては、「単独機能に閉ざされた商品」が、このような「万能機」に勝てるとはとても思えない。

これらの部品群をうまく配置して完成品に組み立てる事は、そんなに難しい事ではない。つまり、労賃が格段に安い発展途上国でも出来る事を意味するが、同時に、製造ラインを完全にロボット化する事も夢ではないという事だ。という事は、「日本メーカーが必ず中国メーカーに負ける事」にはならない事を意味する。ベトナムやミャンマーで組み立てるとか、ロボット化を徹底するとか、中国メーカーに勝てる手だてはいくらでもある。

その一方で、省電力を徹底し、筐体内の電波干渉を防ぐ為には、部品の配置にも独特のセンスが必要となろうし、防水加工とか、デザインに柔軟性を持たせる為の細部の加工には、特殊な技術を要する所もあるだろう。こういった分野では、日本にはなお世界最高レベルの経験の蓄積があると思う。細部に凝った外形デザインも、本来日本の強みの一つであり、味気のない携帯パソコンよりは、勝負のし甲斐があるだろう。

一方、SonyやPanasonicは勿論、ToshibaやHitachi、SharpやCasioにも、世界市場でそこそこの存在感はあったのだが、日本のメーカーは、このブランド価値を最大限に生かし、更にそれを高める為の努力を、これまでまともにやってこなかったように思える。恐らくは、事業部制が強すぎ、トップに直結したマーケティング機構が弱かったのが原因だろうが、それ以前の問題として、「自ら製造するのでなければ意味がない」と考える、日本独特の「自前主義」という固定観念が、大きな障碍になってきたような気がする。

本当は今からでも遅くはない。開発と製造は「外形デザインと特殊機能でメリハリをつけた高級機」に絞るべきは当然だが、営業面(流通に関わるファイナンスを含む)は低価格機(他社ブランド、又は現地ブランド)と一体化された組織でやる事が重要だ。或る程度の数量を動かさないと、部品メーカーへの交渉力がなくなるし、各国での営業、サポート組織も維持出来ないからだ。

しかし、現実には既に手遅れだ。各社にそれが出来る「人と組織」が存在しないからだ。責任者にも担当者にも「食いついてくるような目の輝き」は全くないし、「決断のスピード」は国際標準から見れば「浮世離れしたレベル」だ。ここで中国メーカーとの決定的な差がついている。

さて、「こんな私に誰がした」というのが本稿のテーマだが、真っ先に申し上げておきたいのは、「責任を他に求める」のは全くの筋違いだという事だ。

勿論、為替は何の関係もない。円高が嫌だったら海外の製造工場を使えば良いだけの事だ。日本の通信事業者の要求が世界市場のそれと大きく違っているので困ったのなら、部品選択や工程管理等に或る程度の共通性を持たせた「全く異なった機種」を、市場別に幾つか揃えればよかっただけの事だ。日本の通信事業者が「持ち帰り0円+SIMロック」で日本のユーザーの高機能機に対する購買意欲を高めてくれた事については、感謝を込めて「ご馳走様」と言う事はあっても、恨みに思う理由は更々ない。嫌なら断ればよかっただけの事なのだ。

一時は世界で一番進んでいたかに見えた日本の高機能携帯電話機が、あっという間に沈んでしまったのは当然の事だ。長年にわたり世界でダントツのシェアを誇っていたNokiaでさえ、新興のAppleやAndroidに賭けたSamsungの前に一敗地にまみれたのだから、日本メーカーにチャンスはなかった。いや、AppleやGoogleに先んじて「強力なOSをベースにした端末群」を開発していれば、そのチャンスもあったのだが、OSに関してはNokiaが採用していた低レベルのSymbianの域にさえ達していなかったのだから、何をか言わんやである。

一時期の日本の携帯電話機のように、「これだけの機能を積み込む必要がある」と認識したのなら、その瞬間に「あ、これは最早パソコン並の商品だ」と看破して、自らのOSをつくり、その上に、誰でもに様々なアプリを作り込んで貰う体制を固めるべきだったのだが、それをやらず、十年一日の如く、機種ごとに膨大な手間暇をかけて「組み込みソフト」を造っていたのだから、いつかは破綻するのは目に見えていた。現実に、日本メーカーの欧州市場等への売り込みがことごとく失敗したのは「高価格」故であり、その「高価格」は、機種ごとの膨大な「ソフト開発費」故だった。

いや、正確には、ドコモはそれを試みたのだが、「結果としてうまく行かなかった」というのが正しいだろう。Linux標準が或る程度定着しつつあったのに、実際にモノ造りをするチャンピオンがいなかった事に目をつけたドコモは、自らがこのチャンピオンになる事を志した。そこまでは大変立派だったのだが、実際の開発は司令塔不在で迷走し、あっという間にAppleやGoogleに先を越されてしまった。

ドコモの下には、NECやPanasonicは勿論、新興ソフトベンダーのApplix等も膨大な数の技術者を送り込んだのだが、ドコモはそれだけでは飽き足らず、欧州の通信事業者の雄であるVodafoneや、東西の端末ベンダーの雄であるMotorolaとSamsungにも声をかけ、将に鉄壁の「共同開発」の布陣を敷いた(かに見えた)。

しかし、このような寄せ集めの連合軍は、Steve Jobsのように独断的に振る舞う強力なリーダーがいなければ何の結果も出せないのが常だ。ところが、日本人は何事にも遠慮がちで、誰も「出る杭」にはなりたがらない。こうして、Limoと呼ばれたこの壮大なOS開発プロジェクトは、結局は何の結果も出せないままに、歴史の彼方に消えてしまった。

聞いたところでは、当時のドコモの社内には、当時はまだドコモの役員を務めていた夏野氏のように、「Androidに全てを賭けるべき」と主張した勢力も存在したようだが、「OSを海外に頼るのは良くない」という主張の前に一蹴されたらしかった。もしその時点でドコモがAndroidに賭けていたら、日本メーカーには現時点でもSamsungと互角に戦える可能性がまだ少しは残っていたかもしれないと考えると、日本人としては少し残念ではある(こんな事は、ソフトバンクの役員を辞めた今だから言える事だが)。

かつて、ドコモは、Qualcommが3Gの基本技術とチップについて世界市場で支配的な力を持つ事にも強く抵抗したが、結果的には殆ど何の成果ももたらす事は出来なかった(ドコモの意を汲んで日本でQualcommに対する訴訟まで行ったPanasonicは、結局はドコモにも見捨てられ、携帯端末の分野から完全に撤退してしまった)。外国発のOSに対抗して、日本でもそれに勝るものを作ろうとしたその「意欲」と「姿勢」は高く評価されるべきだが、結果が出せなければ、結局は敗軍の将になってしまう。

「戦うと決断したのなら、死を賭して勝つまで戦う。戦って勝てる自信がないのなら、戦う事自体を始めから潔く諦める」。これが、古今東西を問わず兵法の鉄則である。長年にわたる独占体制の上で「独特の文化」を作り上げてきたNTT系の会社には、この鉄則に対する理解が欠如していたかに見えるのが、少し残念ではある。

と言うのも、iPhoneに対するドコモの姿勢にもこのような点が見えるからだ。かつてのドコモには、「iPhone何するものぞ」という気概があったかに見えた。その判断が正しかったかどうかは別として、それは一つの見識ではあった。SonyとSamsungをTwo Topに据えた販売戦略は、多くの他の日本メーカーを絶望させはしたが、一つの堂々たる戦略ではあった。しかし、結局この戦略は当たらず、ドコモは最終的にAppleの軍門に下った。それも、「破竹の勢いだったiPhoneにもそろそろ翳りが見え始めてきたこの時点で」である。それならば、あの「失われた3年」は何だったのかと、複雑な思いをする人たちは多いだろう。

誤解を避ける為に言うが、私は決してドコモを批判しているのではない。ドコモは精一杯やった。結局多くの努力は実らず、今は二、三位との差も縮まって、「只の人」に近くなってはしまったが、それもよく考えれば「歴史の必然」だと言える。ドコモが「只の人」になった事は、日本の通信産業全体にとっては良い事だったのだとも言える。

しかし、最後に、私は一つの「タラレバ」話で本稿を締めくくりたい。

かつて圧倒的な力を持ち、日本の全ての携帯端末メーカーがその前にひれ伏していた頃のドコモが、もしこのように宣言していたらどうだっただろうか?「今後ドコモは、世界市場で或る程度の実績を持っているメーカー以外の製品は買わない(勿論、機種は同一である必要はない)」。各日本メーカーからは、その時には怨嗟の声が舞い上がっただろうが、その代わり、恐らく何社かの日本メーカーが、現在の世界市場でもなお生き残っていたのではないだろうかと、私には思えてならない。

「勝敗は時の運」だから、他の事は問わない。結局は捨てざるを得なかった「可愛い子供たち」を、「崖から突き落とさなかった」事だけが、もし私自身が「獅子のように強かったドコモ」の人間だったら、今なお悔いているかもしれない只一つの事だっただろう。