「自称芸術家」という言葉の暴力 肩書きの耐えられない軽さ

2014年07月16日 07:39

「ろくでなし子」こと、五十嵐恵容疑者が電磁的記録頒布容疑で逮捕された。「3Dプリンターを使い、女性器を造形するためのデータを頒布した」容疑である。


この報道で、気になる表現があった。五十嵐容疑者の「自称芸術家」という肩書きである。自称意識高い系研究家として、「肩書き」に関心のある私としては首をかしげざるを得なかった。これは、見事なレッテル貼りではないだろうか。

各紙がどう報じたのか検索してみたが、全国紙では朝日、毎日、産経がこの問題を報じており「自称芸術家」という表現を使っている(日経、読売では確認できなかった)。47NEWSもそうだった。報道機関がというよりも、警視庁の発表がそうだったのだろう。

「ろくでなし子」こと、五十嵐恵容疑者が創作活動を盛んに行ってきたことはアウトプットの量などから考えて明確である。

性をめぐっての「芸術か、わいせつか」の論争は、チャタレー事件などの時代から続いてきたし、平成においてはヘアヌード問題などもいまや懐かしいが、その歴史は、見せしめと、既成事実の積み重ねの繰り返しだった。今回の逮捕に関しては、見せしめ臭がぷんぷんする。「自称芸術家」という発表の仕方、それを各紙がそのまま載せてしまったということは、女性器を描くことは芸術ではないということを暗に主張していないか。こいつは胡散臭いんだぞというアピールに聞こえる。

「自称芸術家」という言葉から、フリーランスの肩書問題についても改めて考えた次第だ。いつになったら、認められるのか、と。自分に調度良い肩書きとは何なのか、と。このあたりの模索は日々続くのだ。



4月に発表した『「できる人」という幻想』(NHK出版)でもふれたが、自分のことを大きく見せようとする人はいるわけで。セルフブランディング(笑)で、自分の肩書きを作るという痛い人、香ばしい人がいたりもするのだが。

肩書きが、仕事を運んでくることもある。最初は釣り合っていなくても自分のなりたい姿、ありたい状態に連れて行ってくれることだってある。

とはいえ、その肩書きを成立させること、定着させることは簡単ではない。

どんな小さな企業でも、会社員は株式会社◯◯ 営業部 山田太郎 というような名刺と肩書きを得ることができる。フリーランスで食べるということは、自分のブランドを自分で確立しなければならない。

「自称芸術家」という表現に、暴力的なにおいを感じつつ、肩書きの耐えられない軽さというか、これを確立するのが簡単ではないことを再認識した次第だ。

日経の私の履歴書に故・渡辺淳一氏が登場していた際のことだ。2013年1月27日に掲載された第27回には、交際相手の部屋に入ろうとして逮捕されたエピソードが紹介されている。取り調べで「渡辺淳一 作家だ」と名乗った際に、「そんな奴は知らない」という態度をとられ、「絶対に有名になってやる」と誓ったそうだ。

「ろくでなし子」こと、五十嵐恵容疑者には、「自称芸術家」なる表現を二度と使わせないような、奮起を期待する。

自称・評論家、自称・人材コンサルタント 40歳ライター 希望は安定

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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