どこかおかしい「集団自衛権」論議

松本 徹三

「集団自衛権」のみならず、安倍首相が進めている一連の安全保障政策に若干の危うさを感じている点では、私自身も他の多くの人たちと大きく変わる事はないが、そういう懸念を語っている人たちの「相も変わらぬ浅薄な議論」には、私は心底がっかりしている。

どこが「浅薄」かと言えば、先ず、「戦争」とか「平和」とかいう言葉を連発しているにも関わらず、これらの言葉が意味するものを根源的に理解しているとは思えない(少なくとも説明はしていない)からであり、次に、「現実的な代替案」を何一つ示す事なく、専ら一般の人たちの情緒(恐怖心など)に訴えようとしているからである。


「集団自衛権を持つ事により、日本は『戦争をする国』への道を突き進む」という議論を先ず検証してみたい。そもそも「戦争する国」とはどんな国なのかが一向定かではない。その前に、「どんな場合でも戦争をしない国」などというものが、この世に存在し得るか否かも定かではない。(そういう意味では、安倍首相の言う「不戦の誓い」という言葉も、欺瞞に過ぎないというべきだろう。)

日本は「どんな場合でも、『戦争』は自国民の『安全』と『生活』を守る為の『最後の手段』であると考え、『極力それを回避する強い信念』を持った国になる」べきだし、憲法にもそのように明記し、世界に対してもそのように宣言すべきだ。私が左右両翼の全ての人たちに問いたいのは、それ以外の如何なる言葉を彼等は提案したいのかという事だ。他にもっと適切な言葉があると考えるのなら、具体的に言って欲しい。

残念ながら、人類がこの世界を支配している限りは、この世から「戦争」は絶対になくならない。問題は如何にその可能性を少なくし、その惨禍を最小限に食い止めるかという事だ。これは人類全体が取り組まねばならぬ大きな課題である。日本だけが「高みの見物」を決め込む事は、褒められた事ではないし、国民の安全と生活を保障しようとする限りは、そんな事は不可能でもある。

不幸にして、人間は「闘争心」という遺伝子を持って生まれてきている。自分のしたい事を相手が受け入れなければ、力づくででも受け入れさせようとするのが人間の持っている本能だ。だから、古代からの人類の歴史は、全て戦争の歴史だったし、現在でも、大中小の喧嘩や小競り合いは世界中で後を絶たない。

本来は平和を希求している筈の宗教の指導者すらもが、自らの考えを受け入れない人間は力で屈服させようとしてきた。また、勇敢に戦って相手を打ち負かす事は「美」の極致とも考えられて来ており、多くの詩や絵画がそれを謳い上げてきた。戦争を絶対悪と見做す姿勢は、つい最近に芽生えてきたものに過ぎない。

古来、戦争に勝った側は負けた側の人間を全て殺すか奴隷とした。時が下って大規模な農業や産業革命が人間の生産活動を大きく変えると、奴隷にするよりは、生産を担わせてそこから得られる富を収奪するほうが効率が良いと考えるに至り、列強は植民地争奪合戦に走った。

しかし欧州で富の不均衡が拡大し、その結果として第一次世界大戦が起こると、流石に多くの人たちが「戦争」というものがもたらすあまりに大きな経済的損失と、情容赦もなく人を殺戮する近代兵器がもたらす悲惨な結果から目を外らす事が出来なくなり、「世界の恒久平和」を目指して、様々な仕組みが考え出されるようになった。

しかし、ここで、人類は更にまた過ちを犯す。それまでのものに数倍するような利害の衝突が欧州とアジアの両地域で起こり、第二次世界大戦が勃発する。この大戦がもたらした惨禍は第一次大戦の比ではなく、ロシア、ポーランド、ドイツ、日本等の国々では、前線に送られた将兵だけではなく、数えきれない程の数の一般人が殺された。特に、一発で一瞬にして数十万人の命を奪い、その後も長期間にわたり多くの被爆者に過酷な生活を強いた原子爆弾のおぞましさは、筆舌に尽くせぬものだった。

議論を簡単にする為に、日本で起こった事だけを総括するなら、下記のように総括出来るだろう。

欧米との富の格差、及びそれがもたらす軍事力の格差を縮める為には、「満蒙の植民地化が必須」であるという考えに取り憑かれた日本国民は、軍部の独走に目を瞑り、中国の蒋介石政府の頑強な抵抗を過小評価し、また米英が当然石油禁輸等の制裁措置をとってくるだろうという事を予測出来ずに、日中戦争の泥沼にのめり込んでいった。

この過程において、日本政府や軍部の指導者は、長期戦になれば米国の経済力に太刀打ち出来ない事を知りながらも、ドイツが欧州で有利な立場に立ち、太平洋上でも日本が緒戦で勝利すれば、有利な条件での講和が可能になるという「根拠に乏しい見通し」を心の支えにして、真珠湾の奇襲攻撃を決意、戦局が不利になっても、「全国民に戦い抜く精神力があれば事態はそのうちに好転する」という「全く根拠のない見通し」によって、絶望的な戦争を継続した。

その結果、狂信的としか思えない自殺攻撃を繰り返す日本軍に恐怖した米国は、遂に原爆投下という非人道的な暴挙にまで出て、日本に無条件降伏を促した。日本では、軍部は最後まで徹底抗戦を主張したが、昭和天皇が一大英断を下してこれを押さえたので、辛うじて民族の絶滅は免れた。

終戦後、日本国民の大多数は、かつての軍国主義に対する幻想はほぼ完全に捨て去ったが、力による革命を標榜して天皇の退位を求める共産政権が日本に出来る事を恐れる人々は多かった。彼等は国民の過半数を占め、自民党の主導の下に、東西冷戦下では実質的に米国の傘下に入る道を選び、米国の意向に添う形で、憲法上は疑義のある自衛隊の強化を着々と進めた。

しかし、大都市圏の労働者や学生、「進歩的文化人」等を中心に、常に国民の三分の一強を占めてきた「非武装中立論者(左派勢力)」が頑強に抵抗してきた為に、憲法改正はなかなか出来ずに、今日に至っている。

国際共産主義運動が退潮し、東西冷戦の解消した今となっては、外国軍により日本の独立が脅かされる懸念は少なくはなったが、今度は、なりふり構わず資源の確保に走る中国の「覇権主義」が、新たな脅威となってきた。具体的には、

1) 日本が戦争を覚悟してでも抵抗しない限り、尖閣列島はやがては中国の領土と見做される事になり、周辺の地下資源は中国によって確保される事になるだろう。
2) 如何なる状況下においても、もし日中間に経済的な利害の衝突があれば、中国海軍は日本のシーレインを扼して、実質的に日本を経済封鎖し、日本側の譲歩を求めてくるだろう。
3) 中国は、何れにせよ、サイバー戦で日本の社会と経済を大混乱に陥れるに足るだけの準備を行って、仮に将来、日本国内で「少数の親中勢力」が政権の奪取を狙い、中国が海を越えてこれを応援したいような事態が生じれば、このような能力をフルに使う事を考えるだろう。

等々の懸念がある。

現在の日本国民の大多数は、どこの国にもいる少数の単細胞的な国粋主義者を別にすれば、「武力を背景にして経済的な権益の拡大を図る」事などはもはや頭の片隅にもないだろうから、仮に抑止力としての軍備を持ったとしても、積極的にこれを使って紛争の拡大を招き、その結果として、先の大戦で味わったような惨禍を受容せねばならなくなるようなリスクはとらないだろう。

しかし、防衛面では、中国がかつての明の時代の「鄭和の大艦隊」の夢を思い出し、巨費を投じて海軍力を増強した場合には、日本が多少の海軍力の増強を計った位では、なかなか太刀打ちは出来ないだろう。これに加えて、韓国が今後とも「反日」を国是とする事に決めて、その上に立って中国との一体化路線を進め、北朝鮮の軍事力を無傷で入手した時には、日本の安全保障上の立場は極めて脆弱なものとなるだろう。

従って、現在の日本がとるべき安全保障戦略は、先ずは自前の防衛戦力を拡充し、その一方で「米国の軍事的プレゼンス」がアジアに残留する為の諸条件を整える事以外にはあり得ない。「集団自衛権」も「秘密保護法」も、その為の手段に他ならず、基本戦略と結びつける事なく、その事だけを切り離して議論してみても、何の意味も持たない。

最後に、蛇足ながら、「日本は永久に戦争をする事はなく、従って軍備は一切不要」と考えている人たちに、一つの質問をさせて欲しい。マンガチックな想定ではあるが、真面目に答えて欲しい。

中国と一体化した韓国が、先ずは対馬に上陸してその領有を宣言、続いて、「かつての植民地支配に対する代償として、北九州三県の割譲を要求する。期日までに日本が適切な措置をとらねば、重装備の韓国軍が博多湾に上陸する事は避けられない」と言ってきたらどうするか? あくまでシミュレーションなのだから、「そんな馬鹿な事はあり得ない」というのでは答えにはならないと理解して欲しい。