対ロシア政策、ウクライナとフィンランドの教訓的比較事例 --- 中川 八洋

2014年08月14日 09:17

ウクライナ国の東部におけるロシア人系住民の分離独立を狙う武力叛乱は、マレーシア航空の旅客機をミサイルで撃墜するという蛮行へとついにエスカレートした(7月17日)。乗客・乗員298名すべてが殺害された。

日本では、このマレーシア旅客機撃墜を、朝日新聞のように「親ロ派の仕業のようだ」だけの、通り一遍の報道で済ますのが一般的である。ウクライナからの分離独立を巡る表面上の「内戦」は、隣国ロシアのウクライナ侵略であるのが明白。にもかかわらず、「親ロ派…」と報道することは、さも純粋な「国内の内戦」であるかに作為した嘘報道つまり偽情報ではないのか。つまり、朝日新聞やNHKその他の日本の新聞テレビは、視聴者の日本国民を騙している。日本国民から真実を知る権利を奪っている。


ウクライナの分離独立の武力蜂起は、正しくは、「内戦」に見せかけたロシアによる隣国ウクライナに対する侵略であって、それ以外ではない。マレーシア旅客機撃墜こそは、これを証明した事件であろう。なぜなら、地対空ミサイルは現役のロシア軍の部隊でなければ扱えない。つまり、マレーシア旅客機撃墜は、ウクライナにロシア部隊が侵略している証拠を世界に闡明した。

しかも、プーチン大統領も、彼らのことを「親ロ派武装住民」とせず、「義勇兵」だと口を滑らした(7月22日)。やはり、ウクライナの分離独立武装集団は、ロシアの正規軍から選抜された「義勇兵部隊」が主力で、この武力による分離独立の“主犯”は、プーチン大統領である。

こうした、国内ロシア人住民による武力叛乱で混迷するウクライナから、日本が学ぶべき教訓は多い。ウクライナの対露防衛油断というか、その対ロ国防忘失の20年史は、日本の反面教師である。

ウクライナは、1991年末に、ソ連邦の崩壊に伴って、棚からぼた餅的にその独立を獲得した。この僥倖にくわえ、穏やかな民族性もあって、世界最凶に怖ろしい侵略民族ロシアを余りに甘く見すぎることとなった。ウクライナの悲劇でもある今般の「内戦」は、ウクライナ人の対ロシア防衛軽視の20年史の結末だと嘆息するほかない。

このことは、独立後のウクライナ20年史を、フィンランド独立後20年史と比較するともっと鮮明になる。なぜなら、1991年のウクライナのソビエト・ロシア帝国からの独立と、1917年12月のフィンランドのロシア帝国・ボルシェヴィキ政権からの独立とは、全くといってよいほどに瓜二つ。しかも、ロシアの再侵略が22年後であることまでそっくり。

ウクライナに対する新ロシア帝国の再侵略は、2014年2月、クリミア半島におけるロシア系住民を焚きつけて武力蜂起させ、その混乱に乗じてあっという間にロシア部隊の上陸による軍事侵攻で占領した。そして、3月25日、ロシア連邦に強制併合した。それは独立からちょうど丸22年後だった。

一方、フィンランドの場合は次の通り。フィンランドは、1917年12月、ロシアから独立を宣言。フィン国内に(第1次世界大戦中のため)駐兵・展開していたロシア軍3万余と、これを援護するレーニンの共産革命に呼応するフィン人共産主義者を一掃したのが1918年5月。ここにフィンランドは完全な主権国家となった。

それから丸22年後の1939年11月30日、ヒトラーのポーランド侵略により、世界の眼がポーランド滅亡に向けられている最中を利用して、ソヴィエト・ロシアは、戦車2000輌・50万人の大軍をもって、フィンランドへの再侵略を決行した。航空機1000機の援護で、フィンランドの東から南部/中部/北部の三方を衝く奇襲電撃的侵攻であった。

これをわずかの兵で食い止めフィンランドを守りぬいたのが、天才軍人マンネルヘイム元帥であった。マンネルヘイムは、ロシアから独立したからもう大丈夫などとは油断せず、「ロシアは必ずフィンランドに再侵攻してくる」と予見し防衛準備を怠らなかった。ツアーの帝国であれ、レーニン/スターリンの共産帝国であれ、「1億8000万人の大国ロシアは大規模な軍事力で電撃的に人口350万人の小国を襲う」ことを自明だと考えた。

マンネルヘイムは、1919年にフィンランドに初の士官学校を創設した。1924年には国防大学を開設して高級指揮官や幕僚要員の教育を開始した。予備役将校の育成にも手を抜かなかった。その数は、1939年のロシアの侵略時には、2万名近くになっていた。

それでも平時編成の陸軍は3ケ師団と騎兵1ヶ旅団、戦車150両、航空機100機である。ただ、ロシアの大軍が集中的に侵攻してくるラドガ湖とフィンランド湾の間に、戦車の進行を阻む、世界的に有名な築城陣地「マンネルへイム・ライン」(140㎞)を構築していたのが功を奏した。石などを活用した経費節約に徹した実に安っぽいものだったが、それでも大軍の電撃侵攻を阻み、翌1940年3月13日、ソ連と講和・休戦に漕ぎ着けた。ロシア側の損害は「戦死20万人、戦車1600両、航空機684機」であった。
 
ウクライナは、国内のロシア系住民を思いのままに操るロシアの内政干渉と軍事侵略とを、おそらく2014年中にはかろうじて制圧するだろう。問題は、この制圧後のことである。ウクライナ人は大人しいので、国内の融和を尊重し、叛乱住民を許す愚行を選択する可能性がある。だが、これは命取りになる。ロシアにとって、“いったん退却”は、再侵略のためであって、2度目は失敗しない。

ウクライナは、叛乱鎮圧後、首謀者を迅速に処刑することを躊躇ってはならない。問題は、首謀者以外のロシア系住民の問題であるが、ウクライナは、わずかでも今般の分離独立に加担したり協力したものに対して、1人残らず国外追放処分することを躊躇ってはいけない。また、この叛乱で国家が蒙ったすべての損害を彼らに賠償させるべく、彼らの財産をすべて没収することも断行しなければ、同じ叛乱が繰り返される。

ロシアからの移民は、何代経ってもすべて“国盗りの前衛部隊”である。「ロシア人と見れば侵略予備軍と看做す」のが、箴言的だが法諺的な真理である。もしウクライナが、この真理にそむけば、次回の叛乱でウクライナ国は消滅するだろう。ウクライナはまた、ウクライナとロシアの国境線は長いが、それでも、マンネルへイム線を現代化した堅牢なものを構築する必要がある。

ウクライナは、まず早急にEUに加盟し、続いてNATOに加盟する方向の中で、一途にクリミヤ奪還の執念を世界に見せるべきである。クリミヤ半島奪還でウクライナが教訓とすべきは、遼東半島を「三国干渉」でロシアに奪われた日本が、1895~1905年の10年かけて奪還した歴史を研究して欲しい。

また、ウクライナは、トルコとの関係を緊密化して、モントルー条約の改正か廃棄かにつき、世界にアッピールし、米国の空母が黒海をいつでも遊弋できるようにしなければならない。

21世紀は、13世紀が再現される、“第2モンゴル帝国”が世界を席巻する戦争の世紀になりつつある。“第2モンゴル帝国”とは、言うまでもなく、新ロシア帝国と漢族の支那帝国とが連合したもの。

世界は、米国を中心に、対ロシア/対支那で結束し、地球を跳梁跋扈する野蛮な2民族連合体の“第2モンゴル帝国”を軍事的に包囲する以外に、世界秩序を維持できない時代に突入したことを知るべき時である。

中川 八洋
筑波大学名誉教授、国際政治学者。中川八洋公式HP

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