インデクス運用という逆説

森本 紀行

インデクス運用の理論的根拠については、再考の余地が大きい。なぜなら、インデクスは市場指数、即ち、定義された市場、例えば、東京証券取引所第一部のなかで取引される証券の価格の平均値だからである。平均値は、個別証券の価格変動の結果の集積である。はたして、結果を事前に目標にすることは、常識的に、まともなことか。


世の中には、多種多様な能力試験がある。そのほとんど全てについて、試験結果の平均点を算出していると思うが、まさか、受験に際して、結果としての平均値を目標にすることがあるのか。常識的にあり得ないであろう。

5人が100メートルの徒競走をするとしよう。5人のうち、一番足の速い人であれば、5人の平均タイムを目指して走ることは可能である。しかも、残り4人の過去実績のデータが整備されていればいるほど、平均へ近づける精度を上昇させることができる。しかし、その努力、どんな社会的意味なり、意義なりがあるのか。一番足が速いなら、全力で走って、平均値を上げる努力をしたらいいだろう。

二番目に足の速い人も、同じく、平均を目指したらどうなるか。おそらくは、残り3人の真ん中あたりで、二人がピッタリ並んで併走する形になるだろう。5人全員が平均を目指したら、もはや走る意味を失う。要は、5人横一線に並べばいいのだから、10秒だろうが、10時間だろうが、関係ない。動かなくて、そのまま、スタートラインに立っていればいい。

亀の後ろを走るアキレスは、普通に走れば、結果的に亀を抜く。その当然に抜くという結果を目的化すると、論理的には、亀を抜けなくなる。的に向かって、矢を放てば、結果的に的に当たる。しかし、的に到達するという結果を目的化すると、論理的には、矢は的に到達しない。有名な、哲学の逆説である。

全員が一番を目指して走るから、全員の平均タイムがよくなるのである。投資家全員が一番いい銘柄を選ぼうとするから、市場平均値がよくなるのである。もしも、市場参加者が全員インデクス運用を目指したならば、証券価格は変動しなくなるであろう。徒競走の参加者全員が平均タイムを目指せば、走る必要がないのと同じように。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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