「慰安婦問題」を日本外交の転換点にするべき

松本 徹三

私がアゴラで「慰安婦問題」に始めて触れたのは、2011年12月26日の記事だから、もう3年近くも前の事になる。その記事の中で、私は「このような問題を大きな声で議論するのは人間としてあまりに恥ずかしいので、多くは語らない事にする」として、戦後の欧州や日本や韓国で起こった種々の事実関係を伝えるだけに留めた。しかし、今となっては、このような姿勢は正しくなかったと反省している。


韓国の外相がこれまで通り「日韓関係改善の前提は慰安婦問題の解決」と言い続けるのであれば、それは「日韓関係の改善は当分間ない」という事と同義語になる。「嘘」を前提とした関係は健全なものではあり得ず、我々はそんな関係を望むべきではないからだ。また、一握りの人たちの反吐の出そうな「偽善的な言動」をそのまま受け入れる事も、人格下劣な著述業者や弁護士たちの売名や金銭的な欲望の達成を結果的に助けてしまうような事も、金輪際あってはならないからだ。

「慰安婦問題のような痛ましいが避けて通れなかった問題」を、70年を越す歳月を経た今になってもなお声高に論じなければならないのは、辛い事だし、全く馬鹿げた事でもある。しかし、相手が拘るのなら、こちらだけが黙っている訳にも行かない。そんな事をしていれば、多くの人の間で「嘘」が「真実」と思われてしまうからだ。不幸にして、国際的には、既に大方はそのような形になってしまっている。

全てに渉って今以上に武力がモノをいった過去の一時期において、我々の先輩たちの行動に恥ずべきものが何もなかった等と言うつもりは全くない。しかし、「慰安婦問題」において言い立てられているような「人間性にもとる蛮行を日本が国がらみで行った」という「根拠のない誹謗中傷」を、我々の世代で認めてしまって、国家賠償等を行い、次世代の日本人に負担を残す事はどうしても許容出来ない。

それに比べれば、「日韓の首相や外相が何年間も没交渉となる」位の事は、別に何と言う事はない。10年でも20年でもそういう状態が続いても止むを得ない事だ。その間、両国の庶民の間やビジネスマンの間では、これまで通りお互いに敬意を払いながら、普通に交流を続ければよいだけの事だ。

韓国人に親近感を持っている私は、これまで、ネトウヨ等が「とにかく少しでも日本から金をせびり取ろうとする乞食根性の国」として韓国を誹謗するのに強い怒りを感じてきていた。そして、何故韓国は「国家賠償」に拘る事によって、そのような「民族の誇りが踏みにじられるような誤解」を受けるリスクを冒すのかと訝しく思っていた。しかし、その謎は、最近読んだ池田信夫さんの一連のアゴラの記事で氷解した。

読者の皆様は、池田さんの下記の記事は当然既に読んでおられると思うが、この記事に書かれている内容には嘘や誇張の匂いはなく、一方、この事を知ると、全てに筋が通って理解がしやすくなる。

先ず9月1日付の「慰安婦を食い物にする高木健一弁護士」によれば、高木弁護士の作戦は「軍が業者に委託して調達した慰安婦」について国家賠償金の獲得に成功すれば、同じように口利き屋によって日本に連れてこられた炭坑労働者等についても同様の訴訟が成立し、訴訟額は合計で1兆円にも及ぶだろうから、これを担当すれば巨額の弁護士費用が稼げると踏んでの上だという。彼の作戦云々は推測の域を出ないにしても、彼が1兆円云々を口にしたのは事実のようだから、報道機関は彼を徹底的に取材し、彼自身の口からその意図を正確に語らせるべきだ。

次に9月6日付の「植村記者は義母の詐欺の共犯だったのか」によれば、「慰安婦問題」の最大の仕掛人である韓国の「挺対協」と緊密な関係にある「太平洋戦争犠牲者遺族会(会長は朝日新聞植村記者夫人の実母である梁順任さん)の幹部が2011年12月に詐欺罪で告訴されていた由である。何が詐欺かと言えば、「会費を払えば日本から賠償金をとってきてやる」と言って、国際法上は難しい事が分かっているにも拘らず、如何にも現実性がありそうだと見せかけて金をとるという手法が詐欺行為に当たるという事だ。彼等も高木弁護士同様、国際的な同情が得られやすく、従って日本政府を追い込めそうな「慰安婦問題」を突破口にしようとした形跡があり、その姑息さと卑劣さは筆舌に尽くし難い。

さて、独立国家としての筋を通す為に、「日韓関係の長期停滞」と「中国による韓国の実質属国化の容認」という「安全保障上、経済上の少なからぬ犠牲」を払う覚悟までするのなら、これまでの国連等における「虚偽に基づく対日非難」についても、その誤りを訴えて撤回を求めるべきは当然だ。この点で、私は同じ池田信夫さんの9月5日付の記事「外務省はクマラスワミ報告の撤回を要求せよ」の趣旨に全面的に賛成だ。

これに対しては、「最早手遅れで、そんな事をやればやる程日本の立場は悪くなる」として反対する人たちは多いだろう。しかし、私はそうは思わない。勿論、やり方は十分工夫する必要がある事は言を俟たない。私の提案は下記だ。

  1. 先ずはクマラスワミ報告だけに焦点を絞り、ここに全てを集中する(米国の議会決議等も何とかしたいとは思うが、最初から多方面に議論を広げると、反論してくる敵の数を増やしてしまうので得策ではない。残る問題は後で考えればよい)。
  2. 精神論や価値観の議論は一切排除して、事実関係のみに言及する(国連のような機関は、先ずは「事実関係」を慎重に検討した上で、その上に立脚して「人権」や「道義」といった「価値観の問題」を語るべきであるのに、クマラスワミ報告はこの原則に従っていないので、この報告書自体が「不公正で意味をなさないもの」になってしまっていると指摘)。
  3. 次に、クマラスワミ報告は「委員会の報告」という建前なのだが、この委員会は、「証言者と直接面接したり、反証を求めたり」という「基本的で常識的な努力」を全く行っていない事を強く批判すべき。そして、それに関連して、この報告書の殆どの記述が、香港在住のG. Hicksという人物の書いた「Comfort Women」という本に書かれている事の流用であるが、そのG. Hicksも、韓国語は一言も喋れず、韓国から送られてきた英文資料を何の検証もなしにそのまま流用したに過ぎない事、及び、この報告書は、G. Hicksの著作と並んで吉田清治の「私の戦争犯罪」の記述もそのまま引用しているが、これが虚偽であった事は既に本人がずっと以前に認めている事も指摘して、「このような極めて不徹底且つ不公正なやり方は、国連のような組織による報告書の作り方として全く不適切である」と論断する。
  4. このように、論旨は極めて直線的なものにするが、交渉の担当者(弁護士)には「国家主義的な傾向の強い人物」は決して起用してはならず、「人権を重視する温厚な国際人(女性のほうが良いかもしれない)」を起用する。何れにせよ、間違っても「女性問題」や「人権問題」と言った「価値観」の領域の議論には踏み込まず、あくまで「正しい方法による報告書の作り直し」を要求するに留める。
  5. これに伴い、「日本が何故この事に拘るかと言えば、今なお世界中で公然と行われている女性の人権侵害の問題に、国連が引き続き最大の注意を集中していく為にも、問題をねじ曲げたり、誇大化又は卑小化したりするような『悪例』は決して残してはいけないと考えるからだ」と強調する(間違っても「東京裁判批判」や「村山談話見直し」や「靖国参拝」の問題とこの事が結びつけられ、欧米諸国等に「この要求は日本の右傾化の一環である」と見做されてしまうような隙は与えてはならない)。

さて、さはさりながら、日本人は元来こういう仕事が下手だし、クマラスワミ報告書が出たすぐ後に「折角書き上げた42ページにも及ぶ反論書を時の政府が握りつぶしてしまった」という失態を既に犯してしまってもいる。このような状況下では、なかなかここまでやる踏切りはつかないのではないかという危惧も当然ある。

そこで、私の提案は、先ず朝日新聞を俎上に載せて、日本国内で徹底的な予行演習をする事である。これなら日本語で出来るし、世論も動員出来るので、国連との交渉よりははるかにやりやすい筈だ。米国から横やりが入って腰砕けになる懸念もない。これは別に弱い者イジメでも何でもないし、卑怯だとも思わない。朝日新聞は逃げ隠れず、堂々と自ら俎上に乗って、国際社会において不当に傷つけられた日本人の名誉回復の為の一助となって欲しい。

朝日新聞に対する一連のバッシングに対して、木村社長や沢村編集長は「偏狭なナショナリズムを鼓舞して韓国や中国への敵意を煽る彼等」「排外主義を煽り日本でしか通用しない論理でひたすら『溜飲を下げる』欲求につけ込もうとする一部のメディア」という言葉を使って、産経新聞や一部の週刊誌を逆批判している。これは一部当たっており、私もその事を大変心配はしている。

しかし、朝日新聞がこれを言うなら、先ずは過去の自分たちの過ちについては潔く謝罪し、「それをもたらした自分たちのこれまでの姿勢を反省して、そこからの脱却を計る」決意の表明をするのが先決だろう。その為にも、「国民の目の前で先ずは自らを俎上に載せる」事こそが必要なのだ。

何度も繰り返すが、大新聞がそれぞれに自らの「価値観(主張)」を語り、社会に影響を与えようと試みるのは当然であり、望ましい事だ。しかし、事実関係については、「隠蔽」や「創作」、「誇張」や「偏り」があってはならない。これがあれば、読者の基本的な信頼を失い、「価値観の主張」にも耳を傾けてもらえなくなるだろう。

「存在」が「当為」に先行する(実存主義の理念)ように、報道関係者にとって、「事実」は「価値観」に先行するべきだ。「始めに価値観あり」で、事実関係の報道をそれに従って脚色する(都合の悪い事実は報道しない)ような姿勢は、「報道の根本的な存在意義(モラル)」を根底から覆すものである事を、是非とも再確認して欲しい。

最後にもう一言。私は「河野談話は見直さない」という現時点での日本政府の立場に賛成だ。「日韓間の友好関係を維持する為にはどうしてもこれが必要」という韓国側の主張を理解して、政治的決着を優先させたのが河野談話の背景だったという「事実関係」が公表された事で、一応の筋は通った。「この談話を見直さない」という方針は「日本政府は友好関係の維持に引き続き努力する」という姿勢を表明する事にもなる。

この事と「国連は国際正義の実現を目指すべき」というドクトリンに基づいた「クマラスワミ報告の見直し要求」とは、本質的に何等矛盾するものではない。