朝日新聞の「第2の敗戦」

2014年09月12日 01:28

朝日新聞の木村社長の記者会見は、拍子抜けするような全面降伏だった。内容はほぼ私が指摘した通りで、1ヶ月前に提案した第三者委員会も設置されることになったが、その人選を監視する必要がある。朝日の好きな「リベラル文化人」がやると、また「本質を直視せよ」みたいな話になるからだ。


慰安婦問題は大阪社会部という特殊要因があり、政治部出身の木村氏は、ここまでドロドロの話が出てくることは予想していなかったと思うが、根本にはもっと根深い問題がある。それは世界的に「リベラル」が退潮し、その支柱を失っている状況だ。これは社会主義が崩壊したあと続いてきたが、私がそういうパラダイム転換を経験したのが、いま思えば1991年に強制連行の取材をしたときだった。

そのころは私も「リベラル」で、「日帝が朝鮮人を強制連行した」というパラダイムで戦争犯罪を告発するために韓国まで行ったのだが、意外なことに強制連行の証言は1人も撮れなかった。こういうとき、考え方は二つある。

  1. 日帝パラダイムは正しいが、今回は例外(アノマリー)である

  2. それは反例であり、日帝パラダイムが間違っている

この区別は、ポパーや黒田総裁が考えるほど自明ではない。たとえば惑星の運行は、天動説では例外だが、地動説では法則だ。私はとりあえず1の考え方で「軍の強制連行はなかったが、日本政府に責任はある」という番組をつくったのだが、疑問は残った。

おかしいなと思ったのは、1993年の河野談話のときだったが、これは当時は大した話題にはならなかった。河野談話が問題になったのは、これが韓国の対日批判の根拠になってからだ。私がこれについてコメントしたのが、2006年の記事だった。このとき経緯を整理する中で、実は2なのだと気づいた。

しかし日本の「戦後リベラル」は、これを反例と認めない。彼らは昔のパラダイムに反する事実はアノマリーとして処理し、「強制性」という曖昧な言葉でもとのパラダイムに入れるのだ。吉見義明氏のように「植民地ではすべて強制だ」と定義すれば、すべての雇用は強制になる。「記事は誤報だが本質は正しい」という(今回クビになった)杉浦編集担当の記事も、こういう「天動説」の典型だ。

敗戦後に朝日新聞のような絶対平和主義が生まれたのは「GHQの押しつけ」というより、丸山眞男のいう悔恨共同体のような贖罪意識だったと思う。それがGHQの方針だったのは、終戦直後の冷戦前(1946~8年)のごく短い時期だった。GHQは冷戦が始まってからあわてて日本に再軍備させようとしたが、吉田茂はそれを拒んだ。この点で、それは吉田レジームと呼んでもよい。

ところがこれを「自虐史観」として批判する右派は、逆に「日本の戦争はすべて正しかった」というパラダイムで考えるので、話は永遠に噛み合わない。異なるパラダイムは通約不可能だからだ。こういう70年前の対立軸を捨てないと、日本の直面している本当の問題は見えない。

パラダイム転換には、敗戦ぐらいの強烈なショックが必要だが、今回の「第2の敗戦」で朝日のリベラルな記者の目は覚めるだろうか。こういう問題も、読書塾で考えたい。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 青山学院大学非常勤講師 学術博士(慶應義塾大学)

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