人身売買の批判は「非歴史的」である

池田 信夫
歴史認識を問い直す 靖国、慰安婦、領土問題 (角川oneテーマ21)

慰安婦問題はかなり煮詰まって、朝日新聞の逃げ場もなくなってきた。彼らが「強制連行はなかった」と認めた以上、残るのは人身売買である。その証拠はたくさんあり、おそらく娼婦の多くは何らかの身売りだったと思われる。これは戦前も違法であり、軍や官憲がそれを仲介した事実はないが、それを黙認していたことは明らかだ。

問題は、それに対して国家責任を認めるのかどうかという点に尽きる。これについて東郷和彦氏は、2007年にカリフォルニア大学サンタバーバラで行なわれた「歴史問題シンポジウム」で、多くのアメリカ人からいわれたことをこう記している(p.163以下)。

  1. 日本人の中で、「強制連行」があったか、なかったかについて繰り広げられている議論は、この問題の本質にとって、まったく無意味である。世界の大勢は、だれも関心を持っていない。

  2. 性、ジェンダー、女性の権利問題について、アメリカ人はかつてとはまったく違った考えになっている。慰安婦の話を聞いた時彼らが考えるのは、「自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか」という一点のみである。そしてゾッとする。これがこの問題の本質である。
  3. ましてや、慰安婦が「甘言をもって」つまり騙されてきたという事例があっただけで、完全アウトである。「強制連行」と「甘言でだまされて」気がついた時には逃げられないのと、どこがちがうのか。
  4. これは非歴史的(ahistoric)な議論である。現在の価値観で過去を振り返って議論しているのだ。もしもそういう制度を「昔は仕方がなかった」と言って肯定しようものなら、女性の権利の「否定者」(denier)となり、同盟の担い手として受け入れることなど問題外の国ということになる。

これが慰安婦問題のもっとも厄介な論点である。彼らも認めるように、これは現在の価値観を戦時中に遡及する非歴史的な論理であり、学問的には成り立たないが、大衆レベルでは広く受け入れられている。たとえば「建国のころアメリカは奴隷制を受け入れられていたのだから、歴史的には奴隷制は当然の制度」という議論は、今のアメリカでは受け入れられない。

外交官の世界で日本軍が慰安婦を強制連行したと信じる人はいないが、人身売買があったことは常識だ。問題は、ここから先である。東郷氏は「韓国で生きている約50名の元慰安婦の人たちと和解」するために「アジア女性基金で民間からの拠出によって賄った償い金を、政府予算で拠出」せよというが、それで問題が解決する保証は何もない。

まず必要なのは、現代の立場から人身売買を批判することは非歴史的な価値観の遡及適用だと明確にすることだ。そういう批判は自由だが、国家責任とは別の問題である。日本が慰安婦の人身売買に国家賠償するなら、アメリカ政府も黒人奴隷の子孫に賠償し、イギリス政府もインドの大反乱で虐殺したインド人の子孫に賠償しなければならない。そんな訴訟が成り立たないことは、アメリカ人でもわかるだろう。

その上で重要なのは、人身売買について日本政府はすでに謝罪したと明確にすることだ。1993年に河野談話で一定の責任を認めて政治決着し、アジア女性基金で非公式の賠償をした。いま騒ぎになっているのは、韓国政府が「河野談話で決着していない」と言い始めたからだ。彼らが国際法はおろか当事国の話し合いも無視して国家賠償を求めるから、話が混乱しているのだ。

だからNYTなど「国際社会」の性奴隷(人身売買)批判に対する答は簡単だ:日本政府はすでに道義的責任は認め、非公式の償いもした。韓国政府の「日本軍の強制連行」という宣伝の根拠となっていた朝日新聞の誤報は取り消されたので、政府には道義的責任はあるが法的責任はない。それはアメリカ政府の黒人奴隷に対する責任とまったく同じである。