日本の財務省は、巨額な残高を誇る国債を償還できるのか。もちろん、償還の目処など、全く立たないはずである。しかし、だからといって、何か問題だろうか。
国債の償還というのは、実のところ、新しい国債の発行による借換えにすぎない。借換えのたびごとに、借換えの額を少しずつ減らしていくことはあり得ても、完全な償還は、あり得ないし、必要でもない。
償還はしなくとも、利息を払い続けることは、最低限の要件である。ところが、いかに財政の厳しい日本国でも、利払いに困難をきたすような状況は、全くもって想定し得ない。利払いが滞りなく行われていて、借換えが円滑に進行している限り、巨額な発行残高があっても、日本国債の危機というものは考え得ない。
だからこそ、債務残高の側面からみたときには、日本の財政の状況は、破綻に近いことが明らかでも、それなりの格付を維持し、市場の秩序が保たれ、国家財政も、一応は、回り続けているのだ。そのことを背景にしてこそ、財政の健全化よりも当面の景気対策を重視すべき、という財政積極論も可能になっているのである。
しかしながら、もしも、危うさがあるとしたら、それは、将来も借換えが円滑に進行するかどうかであろう。借換えが少しずつ難しくなるということは、借換えのたびに、調達金利が上昇していくということだ。そうなると、国債価格は下落する。価格の下落自体は、大きな問題ではないが、価格が更に下落するという予測が市場一般のものになってしまうと、今度は、借換えが円滑には進まなくなるという非常に厳しい市場評価ができてしまう。それが国債の危機である。その可能性、なしとしない。
要は、鍵は、市場からの信任なのである。信任があるから、借換えができる。借換えができるかぎり、国債は、安全な投資対象であり得る。信任が崩れれば、国債価格は大きく下落する。価格下落の結果、その後の財政運営を難しいものにするであろうという見通しに基づいて、おそらくは、格付が下げられる。格付が下がれば、更に国債は売られる。危機である。
格付の後追い性のことがいわれるが、価格が下がったから格付が下がる、というような後追いは、一見、おかしいようにみえて、実は、おかしくない。なぜなら、政府の国債であろうが、企業の社債であろうが、本当の償還ということは、むしろ例外で、普通は、連続的な借換えが行われる仕組みだからだ。借換えの安定性が損なわれることが、破綻確率を高くして、格付の低下を招くのであって、格付が低下するから、破綻確率が高くなるわけではないのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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