「中庸」の価値を再考する

松本 徹三

「中庸」という概念は、孔子が「論語」の中で「最高の徳」として賛嘆して以来、儒教の伝統的な中心概念として尊重されてきた。一言で言えば「偏よることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること」を意味し、時折誤解されるような「足して二で割る」という意味ではない。「ごく普通の平凡な感覚で容易に理解出来る判断こそが『中庸』に則った判断である」という言葉にも注目すべきだ。古代ギリシャでも、アリストテレスが「メソテース」という言葉で同じような概念について語り、それを倫理学上の中心的な徳目として位置づけている。


しかし、この徳目は、孔子も「論語」の後段で「それを具現している民は少なくなって久しい」と慨嘆しているように、言うは易くして行うは難しいもののようだ。多くの人が「極端な言葉」に魅力を感じ、それで高揚感や連帯感を得る傾向がある。私も若い頃は「中途半端なやり方では何も出来ない」という気持ちが強かったので、この言葉をむしろ忌み嫌った。現実にも「穏健な革命家」は古来あまり成功していない。

私がこの言葉の意味をあらためて噛み締める事になったのは、中国の文化大革命の末期に、四人組が「批林批孔」という言葉で暗に周恩来を批判した時だ。「批林」の「林」というのはクーデターに失敗した極左の林彪将軍の事であり、「批孔」の「孔」は「孔子譲りの中庸思想を信奉するかの如き、中道志向の周恩来首相」を暗に意味した。私は「根っからの共産主義者でありながら、常に公正であろうと努め、現実を重視し、忍耐強く己を律していた周恩来」を、政治家として極めて高く評価していたから、「彼が『中庸』なのなら『中庸』というのは良い事のようだ」と単純に考えた訳だ。

今、世界の多くの国が、一応は「民主主義」をベースに統治されており、そうでない国も「民意を重視している形」をとっている。「民意」なるものは、これ迄は把握が困難で、封じ込められる事も多かったが、ネット社会の拡充により、この状況は変わりつつある。しかし、その「民意」なるものが、どういう過程で形成されていくかと考えると甚だ心許ない。

一般の民衆は、事実関係を良く検証して真偽を判別したり、論理立ててものを考えたりする事に慣れていないし、そんな事にあまり興味も持っていない。だから人心収攬に長けた政治家や社会活動家が単純明快な言葉で語りかければ、いとも簡単に乗せられてしまう恐れがある。また、多くの人たちは、徒党が組まれて自分がその中にいると安心するので、一旦一つの考えを共有するグループの中に入ると、個々の事象について自分の頭で是々非々を考える事が出来なくなり、そのグループの考えに盲目的に同調するようになる。

かくして「画一的で極端に偏る考えを持った二つのグループが、多くの問題について真っ向から対立する」図式が一般化する。彼等は白紙から議論する事を忌避し、一方的に自分たちの考えを繰り返して語り続ける傾向があり、反対の考えを持った人たちを単純に「怪しからん奴らだ」と切り捨ててしまう。誰も「中庸」などは求めない。しかし、こうなると民主主義はうまく機能しない。一方の側が政権を握れば他方は強く反撥し、「政権に反対する為には騒乱を起こすしかない」という考えに捉らわれるからだ。騒乱は国民の誰にとっても不利益をもたらすが、そんな事はどうでもよい事になってしまう。

タイの混乱を見るとこの事が如実に現れている。カリスマ性を持ったタクシン・シナワトラ氏が農村部と貧困層に絶大な人気を持ったのはよいが、その身辺には疑惑も多くなった。中進国を志向するタイにとって最も重要な都市部の中間所得層やインテリ層はこれに強く反撥するが、選挙をすれば勝てない事が分かっているので、デモやストのような実力行使に訴える。こうなると、大都市部では劣勢なタクシン支持派も黙ってはおられず、対立は暴力沙汰に発展する。これまでは国民から圧倒的な崇敬を受けている国王が「中庸」を求めて調停を計ってきたが、実際に騒乱を鎮めるには軍の力を借りるしかない。今後の軍の指導者の考え方次第では、民主主義の全否定に繋がってしまいかねない懸念が払拭出来ない。

しかし、両勢力がほぼ均衡するこういう状況はまだいいほうだ。一方の勢力が相当優勢になると、雪だるま式に更に勢力が拡大し、遂には反対勢力を封殺してしまう事態になりかねない。過去の日本がこの好例だ。「天皇」や「愛国心」は誰も否定出来ないのをよい事に、少しでも自分たちと異なる意見を言う者がいれば、「売国」「不敬」などのレッテルを貼って、自由にモノが言えない状況を作り出してしまった。

昭和天皇ご自身は、日中関係を何とか改善しようと最後まで心を砕いておられた事が、今回発表された実録でも明らかになったし、自らの立場についても「天皇機関説が妥当」とまで明言されていたのだから、軍部の増長を止めたかった人たちにとっては、強力な後盾となり得た筈だったのに、本来ならその事を国民に知らせようと努力すべきジャーナリストが、単純な一般大衆の人気を取ることばかりに腐心し、このような努力を全くしなかったのは痛恨の極みだ。それどころか、彼等は、むしろ勇ましい言葉を書き連ねて、国民の心情をより極端な方向へと煽ったのだから、惨憺たる日本の将来はこの時に既に決まってしまったと言っても過言ではない。

一般大衆が「事実の検証」や「論理的な思考」を面倒くさがり、「単純で過激な言葉」「現実を無視したものであっても耳に快い言葉」に吸い寄せられるのは、人類全般の性向だからどうしようもない。しかし、本当に国の為を思う人たちがいるなら、このような人たちはこの傾向に歯止めをかける努力をするのが当然だろう。まして況や、国民の世論を代表する事を目指すような一流のジャーナリストは、この事に命を懸けるぐらいの気概があって然るべきだ。ネット上でも、そういう人たちの地道な努力がもっと拡大していく事が望ましい。

新聞社やマスメディアが、国の政策についてそれぞれに自社として「かくあるべきと信じるもの」を持っている事は一向に差し支えない。社説等でそれを主張する事はむしろ大切な事でもある。しかし、「事実の検証」と「論理的な思考」が全てに先行すべき事は当然である。それ以上に、出来れば常に「自分たちの考えが偏っていないか、過不足なく調和が取れているか」を反省しつつ仕事を進めて貰う事が望ましい。つまり、基本的には、常に「中庸」を志向するべきだという事だ。

私たちの年代が若かった頃には、若い人たちの多くは本気で「社会主義、共産主義の優位性」を信じていた。それなのに保守的な農村票を押さえた自民党政権が何時迄も続いている事に苛立っていた。その一方で、米軍の手によって監獄から解放された共産党員は、当初はマルクス・レーニンが標榜した「暴力革命」を呼号していたが、途中から「選挙を通して国会で多数を得る事により革命を実現する」戦略へと転換した。しかし、こういう生温いやり方に不満をもった一部の学生たちは、「先ずは秩序を破壊する事。建設はその後で考えれば良い」という考えを声高に語っていた。

こういう時代は既に遠い彼方へと消え去ってしまったが、「アラブの春」では同じ傾向が見られた。長い間一握りの独裁者の支配下で忍従を強いられていた民衆は、「独裁者を倒す」という唯一点のみで団結し、遂にその目的を達成した。しかし、破壊の後に建設は来なかった。社会は混乱し、人々の生活は以前より却って悪くなった。健全な民主主義の基盤がなければ、独裁者が打倒されても、その後にはまた別の独裁者が現れるだけの事だ。

決して民主主義を破壊する事なく、現実的な改革を繰り返しつつ、「より民衆が幸せになれる社会」を作る為にはどうすればよいか? 一つの鍵は、国内での先鋭的な対立を少しでも解消し、お互いに罵声を浴びせ合う事を慎み、「誰でもがごく普通の感覚で容易に理解出来るような政策」つまり「『中庸』を具現した政策」について合意出来るように努力する事だと思う。そして、この為には、「固定観念」ではなく「事実」と「論理」をベースとした議論が何よりも大切であるという事が認識されなければならない。既存メディアとネット社会がお互いに切磋琢磨して、この理想を実現すべきだと思う。