出来の悪い子供を持った親が言いそうな「誰々(ドイツ)を見なさい」と言うセリフを乱発する「言いつけ外交」は、誇り高い韓国民にとっても肩身の狭いパフォーマンスに違いない。
「言いつけ外交」による日本批判の対象は「圧制」「偏向報道」「人権無視」「人種差別」「軍事化」「復古主義」「偏向歴史教科書」「慰安婦」「靖国」「右傾化」「文化財ドロボー」など森羅万象に及ぶ事からも、外交と言うより国内の難題から国民の目をそらす人気取り策と考えるべきであろう。
旅客船「セウォル号」の沈没事故が発生した際、朴大統領が何をしていたかについて執筆した産経新聞のソウル支局長を「偏向・侮辱報道」だとして検察に喚問したり、未だに出国禁止措置を解かないのも韓国政府で、これでは権力を喜ばせる報道以外は、全て「偏向」と見做すのが韓国政府の方針だとしか思えない。
この事についての韓国のマスコミの従順さは驚くばかりで、日本のマスコミの権力癒着も酷いと思ったが、韓国の傀儡振りと比べれば遙かにましだと分かりホットした。
産経支局長の出国禁止措置に対するドイツの反応は分からないが、先進諸国からは「国家的な悲劇のさなかの大統領のスケジュールは、明らかに公共の利益にかかわる問題で、メディアが大統領を含む政治家の行動をただすのは、当然のことだ(国境なき記者団)」とか「刑事上の名誉毀損に関する法律がいかに言論の抑圧に使われるかの実例だ(ウォールストリート・ジャーナル)」等と批判が続出しているが、傀儡化した韓国報道界からは政府支持の声しか聞こえて来ない。
歴代韓国政府の報道政策を見て驚く事は、同じドイツでも「自由が、かけがえのない物であるからこそ、自由は慎重に割り当てなければならない。(It is true that liberty is precious; so precious that it must be carefully rationed.)」と言ったレーニンの教えに忠実であった、東ドイツに学んでいることである。
朴大統領が政権批判を許さない理由は「どのような世論を形成するかは、国家の絶対的な権限である(It is the absolute right of the State to supervise the formation of public opinion.)」とか「報道機関は、政府が奏でる曲の鍵盤のような物だと思えば良い( Think of the press as a great keyboard on which the government can play.)」と言った「ドイツの指導者」に感化されていると思われるが、問題は、この指導者がナチスドイツの宣伝相であったゲッペルス(Joseph Goebbels)であった事だ。
そして、朴大統領が始めた「言いつけ外交」の内容の粗雑さから判断して、「望ましい結果を生む宣伝はみな良い宣伝で、それ以外の宣伝はみな悪い。大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう。」と言うナチスドイツの宣伝政策にヒントを受けた可能性が大である。
特に、「日本政府はヘイトスピーチに寛容すぎて、韓国民を傷つけている。近隣諸国との和解努力をしていドイツに学べ」と言う要求は、下衆の勘繰りに過ぎない。
と言うのは、ドイツの「ネオナチ・ヘイトスピーチ」や「人種差別暴力」は、東西ドイツが統一された1990年代前半から悪化を続け、1993年には国際競技大会の米国のルージュ競技代表選手であった黒人選手がネオナチに襲われ負傷する事件が起こり国際問題になりながら、事態は一向に改善せず、少数民族や外国人に対する暴力事件は年間7,000件にも及び、東西ドイツが統一された1990年から93年までの3年間だけでも30人もの人が殺されている。
それにも拘らず、ドイツ政府の無策もあって、2003年には「ネオナチ・スキンヘッド」の数は、少なめに見積もっても1万人を超えていると言う統計が出ているからだ。
立命館大学の調査結果やウイキペデイアの「ドイツの歴史認識(日英両文を参照)」の項目を読むと、「占領軍の手で行なわれていた非ナチス化がドイツ人の手に移ると、処分者の急速な名誉回復と復職活動に転換され、『非ナチ証明書』とは、ナチス時代の汚点を洗い流す証明書だと皮肉られた事もある程で、1950年には公職追放されていた元ナチ関係者15万人のうち99%以上が復帰し、1951年に発足した西ドイツ外務省では公務員の3分の2が元ナチス党員で占められていた。又、ドイツ軍による戦争犯罪とナチスのユダヤ人迫害は意識的に切り離され、略奪や虐殺といった戦争犯罪の追及は無視された」と書かれている。
と言う事は、朴槿惠大統領が生まれた1952年には、ドイツの「復古主義」「偏向歴史教科書」「右傾化」等は既に完成していた事になる。
ドイツに学べと言う日本の「軍事化」への批判だが、1952年12月3日にはアデナウアー首相が行なった軍の名誉回復演説で「連邦政府の名において、わが民族のすべての兵士の功績を承認する。われわれは近年のあらゆる誹謗中傷にもかかわらず、ドイツ軍人の名声と偉大な功績がいまなおわが民族のもとで命脈を保ち、今後も生き続けることを確信する。」と述べてドイツ軍の復活を宣言している。
仮に安倍首相がこのような強烈な「国粋演説」を行なったとしたら、朴大統領は「怒り心頭に達して」気絶していたであろうが、ドイツの宰相が行なうと「学びなさい」と言うから不思議である。
幸いな事に、日本国民はこんな演説を許すほど狂ってはいない。
こう見て来ると朴大統領の「正しい歴史認識」の意味が、益々理解できなくなる。
朴大統領は、たかが、立命館大学やウイキペデイアの記述だと反論するかも知れないが、インターネット王国を自称する韓国政府からこの記事についてウイキペデイアに抗議があったと言う記録も、ドイツからの訂正申し込みもない以上、正しい記述だと思う他ない。
確かに、ドイツ政府はナチスによるユダヤ人迫害については、謝罪を繰り返しているが、日本は600万人ものユダヤ人を殺害したナチスのように、特定の民族を狙い撃ちした虐殺・迫害行為は行って居らず、謝罪する対象すら見つからない。
「文化財ドロボー」に至っては、正に笑止千万で、西欧の考古博物館は文明の起源国からの略奪文化財で埋まっており、ドイツもその例外ではなく、世界の至宝とも言うべき「ネフェルティティの胸像」や「ヘミウヌの像」も、エジプト政府の再三の要請にも拘らずドイツの博物館に鎮座したままである。
東ドイツ育ちのメルケル首相は、博士号を受けた1986年には、悪名高い東独の秘密警察(シュタージ― Stasi)のチェックも含む厳しい審査に合格し、国家に忠実とみなされた者にのみ許された、西ドイツ旅行をした人物でもある。
メルケル首相が歩いたこの人生や「私は時にリベラル、時に保守、時にキリスト教社会主義です。」「『多文化社会を推進し、共存、共栄しよう』と唱えるやり方は、完全に失敗した」と堂々と言いのけるずうずうしさも身につけており、朴大統領がいくら擦り寄っても、本心では何を考えているか想像もできない。
しかし、はっきり言えることは、ドイツの戦後処理は朴大統領の思っている程、美しくも、優しくもなく、寧ろ日本より後退していると言ったほうが正確かもしれない。
以上述べたように、朴大統領の日本批判にそのまま同意する訳にはいかないが、だからと言って、大統領の日本批判の全てが誤っているとも思っていない。
この点については、次回以降の原稿に譲る事にしたい。
2014年9月22日
北村 隆司