北朝鮮が「地上の楽園」だった時代

池田 信夫

ハンキョレ新聞が、朴槿恵大統領のやり方は父親と似てきたと論じている。そのころを体験した人は少ないと思うので、メモしておこう。


私が大学に入った70年代、韓国は朴正煕の軍事政権で、言論弾圧の嵐が吹き荒れていた。弾圧は今の中国やロシアより激しく、日本でも民主化を支援する運動が起こった。東大でも和田春樹氏が中心になって支援運動が起こり、私も募金を手伝ったりしたのだが、ある日、向こうの運動体から「支援をやめてくれ」という連絡が来た。日本人が支援しているとわかると、他の韓国人が反発するからだという。

当時は北朝鮮が「地上の楽園」で、韓国は軍事政権の最悪の国ということになっていた。朝日新聞などが先頭に立って、北朝鮮への帰国事業を支援し、1984年に終わるまでに9万人以上が帰国し、一人も戻ってこなかった。これは慰安婦などよりはるかに罪深い、集団拉致事件である。朝日の市川速水記者も、次のように率直に責任を認めている。

かつて南の軍事政権と対比させたとき、南はダメだ、北はいいという論調の記事がありました。北朝鮮に対しては、社会主義幻想と贖罪意識に加えて、その「悪い南と対峙している」という面も加わって、目が曇ったんだと思います。帰国事業に朝日新聞も加担した。[…]自分が1950年代、60年代に記者だったら、踏みとどまれたか、まったく自信はありません。(『朝日vs産経 ソウル発』p.160)

当時、韓国の民主化運動をもっとも熱心に支援したのは岩波書店で、『世界』には「TK生」という韓国人が弾圧下の韓国から送ってくるというふれこみで「韓国からの通信」が連載された。実は、このTK生は当時の東京女子大教授、池明観氏であり、彼の「通信」は日本で入手した2次情報を加工したものだった。

こういう運動を支援したのが岩波の社長になった安江良介で、岩波は北朝鮮の拉致を一貫して否定した。町山智浩氏が安江に「私は元在日として拉致事件が許せないから調査しているんです」といったところ、「お前には関係のないことだ!」と一喝されたという。岩波の御用文化人だった大江健三郎氏は、次のように書いている。

北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。[…]ぼくはそこに希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。 ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかずにはいられない。

慰安婦問題をめぐる朝日や岩波の異常な言説の背景には、こういう「進歩的文化人」の北朝鮮に対する幻想のなごりがある。

北朝鮮は変わらないが、韓国も軍事政権の時代から本質的には変わらない。フクヤマも指摘するように、政治的腐敗を防ぐ方法は上からの支配と下からの競争だが、この二つはトレードオフになっている。ヨーロッパ圏が過剰な競争のためにいつまでも統一できないのに対して、中国や韓国は過剰な支配のためにいつまでも変化できないのである。