国際的に活躍する「日本人ブラッド」の時代 --- 岡本 裕明

2014年10月18日 11:39

日本人の手先が器用で創意工夫に長けていることは異論が少ないでしょうし、日本の様々な歴史上の話からもみて取れます。時には刑務所内での工夫などといったようにそのDNAは状況を改善し、より心地よいもの、便利なものを作ろうとするたくましい創造力そのものであります。

それ故の日本の戦後の高度成長であり、日本の高品質な商品の爆発的売れ行きであり、世界からは羨望の目で見られ、時としてやっかみもあったわけです。


モノづくりニッポンはそういう意味では日本経済の基幹であってそれを支えてきた多くの諸先輩はその魂を潰してはいけないと説き続けました。あるいは経済の諸雑誌でもメディアでもそれを否定することはありません。

その一方で日本で製造業が少しずつその立ち位置を変えてきたことも事実です。

価格競争により人件費の上がった日本よりアジアの国々で作ることが当たり前になりました。繊維、家電でメードインジャパンを探すのは苦労します。7、8年前、それでも自動車だけは下請けの重層構造を考えればそう簡単に海外に出ていくことはないだろう、と考えられていましたし、建設業不振の中、自動車産業の従事者は日本の雇用を守り続けてきたことも事実です。ところが、数年前の激しい円高は80円を超える水準となり、輸出事業者にとって別の意味での創意工夫は避けられない課題と発展していったのです。

それは自動車産業と言えども国内生産を維持出来なくなるかもしれない警告だったかもしれません。

10月16日の日経、一面トップは「新型車、海外製品輸入、敵地量産、為替変動に強く」とあります。いよいよ、日本は自動車も輸入する時代を本格的に迎えようとするその兆候を示す重要な記事であります。

思えば日本で「逆輸入自動車」として華々しいイメージを作ったのは三菱自動車がオーストラリアで製造したマグナだったと記憶しています。時は80年代後半のバブルの頃で「輸入車」という響きと日本車なのにオーストラリアのワイルドな感じがするそのポジショニングに妙な魅力を感じたものです。

ですが、輸入自動車が市場を席巻することはかつてあまりなかったと思います。その理由の一つに日本人のブラッドに「バイジャパニーズ主義」が芽生えたことが大きかったと思います。70年代ぐらいまでは日本製品も物まねが多く、今一つというものもまだ多かった中、ソニーストアや青山の紀伊国屋あたりではアメリカ製などの珍しいものがたくさん売られており「舶来品志向」を鮮明に打ち出しました。あるいはアメ横のガード下ではちょっと怪しげな並行輸入品が所狭しと並べられていました。

その後、日本製品の品質向上、日本人のために合わせた独特のマーケティングも功を奏し、外国製なのに日本独自仕様が当たり前となり、挙句の果てにやっぱり日本製がよい、という志向転換がありました。さらに追い打ちをかけたのが海外製品(特に食品)における不信感がバイジャパニーズを煽ったと考えています。

そんなメンタルな後押しもあり、トヨタや日産は国内で最低生産台数の目標を設定するなど国内自動車産業の保護を進めてきましたが、グローバル化はいよいよ、そのコミットメントをも変えるのかもしれません。

その先兵だったのがホンダであります。同社は海外に生産拠点を移し続け、適材適所を推し進めました。その結果、同社の日本国内からの輸出比率はわずか3%となり、見方を変えればこれほど「ドメな」会社はないという事になってしまったのです。マツダなど国内生産比重が非常に高い企業もありますが、グローバル化を考えれば将来的に日本製の自動車が希少価値になることすらあり得るのでしょう。

残念ながらそれは好む好まざるにかかわらず、日本が持つ根本的問題点、つまり、少子高齢化と就職のミスマッチ、更には賃金水準を含む成熟した先進国の病がもたらす避けがたい事情があります。東大阪や東京大田区の町工場の火が一つ、また一つと消えていくことで産業ベースでのモノづくりの足腰は明らかに変質化しています。

ではそれが予見できるならどういう対策が必要なのでしょう? 製造業の国内回帰はまずあり得ません。あったとしてもそれはロボットが担うことになります。

私はモノづくりDNAそのものをビジネスに転嫁するしかないと思います。ユダヤ人は世界で1300万人程度しかいないのに世界の政治経済を牛耳っていると言われています。そのユダヤから少子高齢化に悩んでいるという話は聞こえてきません。それはブラッドを守る、というにフォーカスしているからではないでしょうか? ならばモノづくり、創意工夫の日本人が世界の隅々で活躍することが日本を守ることになるのかもしれません。

過去にノーベル賞を受賞した一部の「元日本人学者」は非日本国籍者とし、日本人のノーベル賞メダル数にはカウントされません。しかし、これはおかしなものでブラッドは日本人であって日本国籍がないだけの話であります。カナダに長くいるとethnicという言葉を頻繁に耳にします。民族という意味ですが、われわれが今後発想の転換をしなくてはいけないのは国籍至上主義から民族至上主義への転換ではないかと思います。その上で活躍する場を日本から世界に広げやすくし、非日本人という差別的発想を止め、同じ民族として喜びを分かち合う思想に発展することがまずは重要な気がします。

モノづくり日本の将来の話は思わぬ方向に展開してしまいましたが日本が抱える本質的なイシューとはこのあたりにある気がいたします。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年10月18日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。

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