G型L型大学の区分に全面的に賛成する

大石 哲之

L型大学G型大学が批判されているが、なぜ批判されるのかさっぱりわからない。

批判の多くは、何年か使えるかわからないツールの勉強をしても意味が無い、(日本の将来のためにも)本質的に考える力や、問題を発見して未来を切り開く力や、イノベーションを生み出す力を育成すべきという(いずれも日本に欠けているといわれる力である)。

なにもそれは否定しない。ただそれを偏差値50の人ができるかというとそうではない。そういう役割は依然として、トップ層が担うしかない。

実際ハーバード大学の文系は、職業訓練的なこともしていないし、やっているのは徹底的な教養だ。ジェネラルアーツといわれて、徹底的に考える力を養う。

ジェネラルアーツの教育を否定してるのではないが、偏差値50の文系学生全員までジェネラルアーツを教えるのは無理がある。ハーバードのような教育をして消化できるのは、せいぜいトップ5%くらいだろう。

もちろん全員がこれができればよいに越したことはないが時代が変わっている。工業の時代には全員がそれなりになれたが、今後は、トップ5%の創造力のあるリーダーが全体を牽引していくしかない。全員をスティーブ・ジョブスにしようとする教育は理想論だが、ジョブスになれなかったひとは、ひどいリスクを負う。そういうリスクを取れるのはやはりトップ5%くらいだろう。

この提言だけを見ると、ジェネラルアーツの学部がL型大学に変わって消滅するように見えてしまうのが欠点だろう。

私はこのL型、G型に、理系・文系を加えて、4つにするほうがいいとおもう。

理系G型 ・・・ アカデミックな研究主体。東大など。

理系L型 ・・・ 理論ではなく実用的な工学をおこなう。日本は工学の国であり、多くの理系人材を今後も育成する必要がある。地方大学がこれを担えば良い。

文系G型 ・・・ ジェネラルアーツを教えて、徹底的に考える力やイノベーションを起こす力を教える。ハーバード方式である。これは慶応などの私大が担えばいいだろう。

文系L型 ・・・ 職業訓練学校にする。英語がつかえ、実用的な実務ができるひとを育成

上記の考えで言うと、東大などの国立大学に文系学部はいらない。全部廃止すべきだ。文系は私学にまかせて、トップのジェネラルアーツの学校と、その他の職業訓練学校にわければいい。

文系L型はもはや大学ではないという反論もある。たしかに、実態は職業訓練がっこうなので、大学というには抵抗があるかもしれない。ただこれも言葉の定義の問題なので、そこから始めると、議論がわけわからなくなる。

文系L型に、大学という名称をつけ学士号をあたえるかどうかはプラクティカルな議論にすぎない。
ただ、日本の大半のひとが進学するであろう文系L型から大学の名称をとれば、大幅に大卒げ減ることになり、プライド的にも残念な事になろう。
国際比較になったとき、学士号を連発している他国の大学卒に学歴で劣ってしまい比べられてしまうので、職業訓練でも学士としたほうがいい。
海外でビザをとるにも学士号は必要だ。中身は職業訓練だが、事実問題として学士号を出したほうが大学も学生もwin-winである。

従来の私学文系のような学部は、ネットの動画で見れば十分である。 必要ならオンライン大学が学士号を出せば良い。社会人が自分の教養を高めるため、こういう大学を利用するのはありえるし、大きな市場になるだろう。